ミイツケタ

TARO

ミイツケタ

 希望の高校に合格してから、初めて電車通学をすることになった。はじめは新鮮で楽しかったが、慣れてくると満員電車の息苦しさや、眠気などの苦痛の方が大きくなっていった。一年ほど経つと、そんな苦痛も感じなくなり、高校生活と共にただの日常へと変化していった。

 休み時間、仲間と集まってくだらない会話に夢中になった。女と付き合い始めた奴がいて、そいつを訊問して情報を引き出しては盛り上がるのだった。

「そういえばお前はどうなんだよ。いつも涼しい顔して聞いてんじゃねえよ」と、この前後輩から告白されて付き合い始めた奴が、いじられ疲れたのか、僕に話を振ってきた。

「そうだよ。もう誰かとつきあっているんじゃないの?」

 教室の空気が少し変化した。何人かの女子の視線を感じた。それを察した奴が小声で言った。

「何気にお前のファン多そうだからなこの教室にもフフッ」

「何言ってんだよ。全然だよ、全然」僕は茶化されるのを楽しんでいる様子を見せた。それでみんなは納得した。いつもの風景だった。

 ところが、今回はやや違う展開を見せた。会話が途切れたのを見計らって、友人の一人がスマホを取り出し、なにやら操作し始めた。

「なあ、ちょっとこれ見てくれよ」と、そいつはみんなの前に画面を差し出した。電車のドア横に立っている僕が写っていた。

「俺じゃん」

「そうじゃなくてさ、この、ドア窓の向こうの景色を見てくれよ」

 正直僕はこういうのが苦手だった。異変に気付くセンスが欠如していた。だから、誰かが気付くのに乗っかるのを常としていた。しかし今回ばかりは違った。

「あ…」

「だろ、変じゃんこれ」と、そいつが指差した位置には、線路の柵に手をかけ、うつむいている長い黒髪の女が写り込んでいた。

「お前見られてるよ」

「ウオッ、マジじゃん」

「怖っ」

「恐怖映像、恐怖映像」

「やべえ、トラウマになるじゃん」

 いつの間にか何人かの女子まで、騒ぎにつられて覗き込んでいた。

「キャッ」

 騒ぎが拡大しそうな予感がしたので、僕は収拾を計った。

「騒ぎすぎだよお前ら、たまたま写り込んだだけだろ、だいたいこの距離なら、一瞬で通り過ぎるから、俺を見るのなんて無理だって」

「まあねえ、そうなんだけどさ」と、言っているうちに、午後の始業のチャイムが鳴ったので、各自席に戻った。


 僕はその夜、Aに電話をかけた。

「ごめんごめんすぐ削除するからさ」Aは僕が何かを言うより早く謝ってきた。いきなり電話をかけたので、僕が怒っているように思ったみたいだった。

「ああ、頼む、だけどその件じゃないんだ」

「え、なに?」

「あの写真、どこで撮ったか特定できないかな?」

 僕はいきさつをすべて打ち明けて、協力を求めた。引け目を感じているのか、彼は二つ返事で引き受けた。


 それは些細な違和感から始まった。毎日の通学電車、僕はいつもドア横をキープして満員電車をやり過ごしていた。いつものように、見るでもなく風景が流れるのを眺めていると、線路沿いに立ち並ぶアパートが目に入った。特に変わった所のない単身者向けのアパート、その敷地の端、隣の建物を隔てる塀の間のわずかなスペースに僕は何かを見た。

 ほんのわずかな瞬間で、最初は脳裏に残像がよぎり、僕はハッとした。

(あれ、今、人が立っていたような)

人が立っていてこちらを見ていたような気がした。当然、確かめるには遅すぎだった。奇妙な感覚がいつまでも残った。

 次の日もそこに差し掛かると何かを感じ、とっさに振り返った。すると、同じ所に確かに人が立っていた。長い黒髪の女のような気がした。

 次の日、今度はあらかじめ待ち構えていたので、正面を捉えることができた。確かに長い黒髪の女だった。白いボロボロの服を着て俯いて立ち尽くしていた。

 次の日も、また次の日も女は同じ場所に立っていた。しかも、だんだん俯いていた顔が徐々に上がってきた。

 このままだと目が合いそうな気がしてゾッとした僕はそれ以来ドア横に立つのをやめた。反対側のつり革につかまり、本を読むことにしたのだ。そしてすっかり忘れていたのだった。


「なあ、そろそろだぜ」とAは言った。SNSの技術情報にも詳しい彼は、すぐさま場所を特定して来た。さすがにピンポイントとまではいかないから、突き止めることができた範囲を一緒に確認しようということになった。

「さあ、どうなりますか」

「お前楽しんでないか?」

「悪りい。だけど居るとは思えないけどね」彼は呑気に状況を面白がっていた。他人の厄介ごとにある程度の距離感で首を突っ込めるのだ。

 満員電車を二人でやり過ごしながら、僕たちは窓の外を注視していた。しばらくして、Aが「オイ」と肩で合図した。僕はとっさにAの陰に隠れた。Aはスマホを構えた。

「ああダメだ。写ってないわ」

「女だったか?」

「そうは見えたんだけどねえ。確証がねえよ。でも位置は掴んだ」

 翌日も僕らは同じ所に陣取った。今度こそ見逃さないように、と気概を新たにしたAには秘策があった。

「ヨッシャ!」とスマホの連続シャッター音がしてからAは叫んだ。僕はAの後ろで窓の外を注視していた。確かに居た。あの女だ。じっと電車を見つめていた。

「ばっちりだよ。おいみてみろよ」とAは言って、画面を操作しながら僕に見せてきた。そこには肉眼では捉えられない鮮明な画像が連続写真で撮られていた。

「結構かわいい子じゃねえの? ちょっとやつれているけどな。ハハ」

「まあ、な…」僕は言ったきり、次の言葉が出てこなかった。Aが言った言葉は恐怖感を紛らわせるための強がりだった。

「うん、これ、何か言ってるよなあ」Aは写真を連続再生して、いろいろ試していた。

「言ってる? 何を?」

「口元を良く見てろよ」とAは拡大して、一枚ずつ表示した。パラパラ漫画のように口元が動いていた。確かに何かつぶやいている。不気味に思え、僕は頭を振った。

 次の日、また次の日、僕達は女を目撃し続けた。生気のない、艶を失った白い肌。くぼんだ目。日に日に様子が明らかになり、あまりの不気味さに、Aはあまり女のいる方を見なくなってしまっていた。Aが体勢を横に変えた瞬間、はずみで僕はうっかりAの前に出てしまった。一瞬の出来事だが、その時僕は女と目が合い、微笑まれたような気がした。同時に女の口元が動くのを確認した。

〔イッテラッシャイ〕

 こう言われた気がして、僕はゾッとした。背筋から後頭部にかかけて麻痺するような嫌な感覚を味わった。

 僕はAと相談して、もう、やめよう、ということで一致した。

「まあ、あれだな。あそこに居続けるということは、まだお前を見つけていないんだな」

「なんだよ、あの女の目的はやっぱり俺だっていうのかよ」

「知らねえよ」

 Aはそう言い残して立ち去った。そして次第に学校を休みがちになり、ついに登校しなくなった。


 二週間ほど経ち、Aの席の空白を不気味に思う日はあったが、一連の事件は僕の中で過去の出来事になりつつあった。一本早い電車に乗り、車両も変えた。すると女の姿は見えなくなった。けれど、用心してドア横は避けて、つり革につかまった。

 その日、つり革につかまって本を読むことにも飽きたのか、何かのきっかけでまた、元の窓際に立って景色を眺めていた。

 すっかり忘れていたのだった。すると、例の地点に差し掛かり、僕はそれに気付くと、出来事が一瞬にして脳裏に蘇った。しまったと、思っても人がいっぱいでどうすることも出来ない。一人だから誰かの背後にも回れなかった。

 僕は身をすくませながらながら見ていたが、あの女の姿はそこになかった。しかし、別の人間が立っていた。Aだった。俯いていたが、確かに彼だった。その直後、

バンッ!

 と、大きな音がすぐ近くでして、ドア横に体を密着させている僕の体にも振動が伝わった。それから間もなく電車が緊急停止した。

(異常を検知したので、一旦停車して、確認作業を行います。お客様には大変ご迷惑を…)

 車内放送を聞きながら、自分から見える範囲を確認した。僕はとっさにAが飛び込んだのではないか、と思った。さっき確認した場所は角度の都合上、窓越しではどうなっているかはわからない。窓の外を車掌が確認しに走っていった。見覚えのあるあの単身者アパートが立ち並ぶ一帯が見えているから近くには違いなかった。

 いつもの位置に女は立っていなかった。代わりにAが立っていた。僕に分かるこの事実だけが頭の中を堂々巡りしていた。一つの結論に結びつけようとすると、もう一つの結論が打ち消してしまい、僕は不安感に押しつぶされそうになった。

(確認が終わりましたので、間もなく出発します。揺れますので気を付けてください…)

 違うのか? 僕はこの後、一時間以上車内に缶詰にされるのを覚悟していた。車内ではやがて乗客救助終了のアナウンスがされ、警察の現場検証が始まる。会社員の何人かは遅延の報告を通話で行い、他のものはネットで情報収集し始める。あとはひたすら待つのみの果てしない疲労との戦いが続くはずであった。なので、いささか拍子抜けした。カラスでもぶち当たったのか? そんなことを考えつつ発車の揺れに備えていた。

 電車はゆっくりと走り出した。なぜか僕はその時、安心していた。長い間抱えていた不安感から解放された気がしたのだった。不気味な女もAと思しき人影も、結局、因果関係を無理やりこじつけた僕の思い過ごしのようだし、大したトラブルもなく今、車内は平穏を取り戻している。景色はいつものように流れ…

「ばっちりだよ。おいみてみろよ」と後ろでAの声が聞こえた気がしたので思わず振り返った。しかし彼の姿はなかった。ちょっと離れたところに高校生二人組がいて、スマホを見せ合ってはしゃいでいた。勘違いか、と僕は顔を元の戻した。その時、ズルッとドア窓を何かが下りてきて、僕の視界をふさいだ。後ろで悲鳴が聞こた。逆さまの、人間の上半身が手をだらりと下げていた。僕の目の前には血にまみれた女の顔。そして口元が動いた。

〔ミイツケタ・・・〕

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ミイツケタ TARO @taro2791

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