第14話 Dance with Natsume1



「お~い、ヨル~、ヨ~ル~」

「ん?」


 後者の中で、俺を呼ぶ声がした。俺は練習中のけん玉を止め、かすかに聞こえてきた声に耳を傾けた。


「ヨ~ル~」


 夏目さんの声だった。何をしているんだ一体校舎の中で。俺は夏目さんの声のするほうへゆっくりと歩いて行った。


「お~いヨル~、どこだ~、資格の本買ってあげるから早く出てきなさ~い」


 夏目さんを視認した。夏目さんは俺の視線の先で、俺を探していた。それにしても資格の本で俺を釣れると思っているあたりが夏目さんらしい。


「お~い、早く出てこ~い」


 俺は気配を消し、小走りで夏目さんの元へと走った。


「ヨル~」

「夏目さん」

「うっひゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 出来るだけ夏目さんに接近し、耳元でささやいたことが原因か、夏目さんは大声をあげて飛んだ。

 俺は戦意がないことを伝えるため、両手を上げる。


「どうしたんスか夏目さん、俺なんか呼んで」

「そ、それよりまず前に言うことがあるだろうがボケ!」


 夏目さんは耳を両手で押さえながら、真っ赤な顔で激高する。


「あ、おはようございます」

「違ぇよ!」


 夏目さんはだんだんと足を踏み鳴らした。


「ごめんなさいでしょうが! ごめんなさいしなさい!」

「何故……?」


 意図が分からない俺とは対照的に、夏目さんはふーふーと上気している。


「耳! みーみ! 分かる!? 耳、ここ、耳!」

「はあ、分かりますけど」


 ぴょんぴょんと小さなジャンプを繰り返しながら、夏目さんは耳を指さした。


「耳元で! 囁くな! ゾワゾワ! する!」

「……?」


 耳元で囁いただけでそんなことになるのか。


「なんで分かんねぇんだよ! 耳元で喋られるとえっちな気分になるんだよ!」

「いや、別にならないですけど」

「嘘つけ! ゾワゾワするだろ!」


 夏目さんは俺の下にとことことやってきて、つま先で立ち、俺の耳元に手を当てた。


「ふーっ」

「……」

「ふーっ! ふーっ!」

「……くすぐったいですね」


 やはり、何も感じない。


「なんで何も感じねぇんだよ! 死んでんのか!」

「夏目さんがおかしいんスよ。俺学校でこんな興奮してる人初めて見ましたよ」

「ああーーーーーーもう!」


 暫く夏目さんは興奮し、やがて諦めたように脱力した。


「まあ……いいや。で、ヨル、今週の休日空いてる?」

「いや、勉強するんで」

「だと思った」


 即断。


「実は今週の土曜日社交界があってナ」

「へ~」

「私も社交パーティーに行かないといけないんだナ」

「頑張ってください」

「そこでナ、私パパに彼氏連れて来いって言われたんだよ」

「はあ」


 この流れはまさか。


「だから、お前に私の彼氏のフリをしてもらいたいんだ」

「いや、無理ですって。そんなラブコメみたいな展開」


 余計にやり辛い。


「後輩、社交界って知ってるか?」

「仮面とか付けた正体不明の金持ちが躍る場所?」

「まあ、半分くらい間違ってないんだナ。社交界っていうのは、そう簡単に行ける場所じゃあないんだナ」

「そりゃそうだ」

「で、社交界にはいろんな官僚もいるんだナ」

「……ほう」


 面白くなってきた。


「後輩、官僚になりたいんじゃなかったかナ?」

「まさしく」

「どう考えても、私の彼氏のフリをして社交界に来るのは、そう簡単に体験できることじゃあないんだナ」

「確かに」


 間違いない。


「自分の経験値にもなる、官僚への道も開ける。これは~……?」

「行くしかない! 先輩、彼氏のフリ、是非にさせてください!」

「あっはっはっはっは! よきにはからえ。じゃあ土曜日に私の家に集合だぞ!」

「了解っす!」


 俺は夏目さんの彼氏のフリをすることになった。

 本当に、夏目さんは俺の気持ちを揺らがせるのが上手い。



 × × ×



 そして土曜日。俺は夏目さんに指定された駅から、電車で夏目さんの家へと向かっていた。


「いやあ後輩、ついに君も社交界に進出するまでになりましたか」

「いやはや、夏目さんのご指導の賜物ですよ、ははは」


 俺は、隣で景色を眺める夏目さんに阿諛追従する。

 

「これからヨルには私のパパに会ってもらう」

「ああ、彼氏(かれひ)のフリあからっふね」


 夏目さんが、舐めていた飴を俺の口の中に押し込んだ。


「そうだ。だから夏目さんじゃなくて、下の名前で呼んで欲しい」

「アンダーソン理恵とかでしたっけ?」

「なんだその芸名みたいな名前は。めーぐ。夏目芽久。はい、練習」


 夏目さんはパン、と手を叩いた。


「芽久さん」

「さんはいらない」

「でも先輩なのに芽久って呼ぶのちょっとおかしくないスか?」

「最近のカップルはそんな感じなんだよ」

「へ~。芽久」

「おっけー! その調子で頼むぞ! パパは怖いから厳粛に!」

「うす」


 夏目さんの怖い父親。どんなナリをしているんだろうか。

 俺は恐怖半分、興味半分でその時を待った。



 そして到着。


「皆~、帰ったよ~!」

「これが夏目さんの家……」


 俺は眼前に構える、巨大な建物に内心驚いていた。

 二階建ての木造建築で、鹿威しや鯉の泳ぐ池が見える。一体これをどの程度の広さだと仮定すればいいのかわからないが、およそ東京ドーム一個分くらいの大きさはあるだろう。


「夏目さん、もしかして金持ちっスか?」

「当たり前だろ、社交界行かされるくらいなんだから。あと、芽久。気を引き締めナ坊主!」

「了解」


 俺は襟を正した格好で、夏目さんの家へと入っていった。


「パパ~、帰ってきたよ~これが私の彼氏~」

「……」


 そこには、和服を着た大男が、立っていた。

 無口で武骨、筋骨隆々で朴訥な男が、立っていた。夏目さんの父親とされる人は静かに居間へと入った。


「ついて来いって」

「テレパシーでもしてんスか」


 俺は夏目さんの後ろをついていった。夏目父は机を挟んで俺と向かい合うようにして座り、どこからともなく夏目母のような女性も、夏目父の横に座っていた。


「あらあら、芽久ちゃんも彼氏を連れてくる年齢になったのね。パーティーに彼氏を連れてきなさい、って言ったときはあんなに青い顔してたのに、やっぱり夏目家の跡取りですもの、彼氏の一人や二人、出来てて当然よねぇ」


 夏目母はおほほほ、とこれまた冗談のような笑い方をした。


「そうだよママ、彼氏の一人や二人くらい……あははは」


 正直、お父さんがどうなのかは知らないがお母さんも怖い。


「初めまして、佐久間夜といいます。何分至らぬこともあるとは存じますが、ご容赦のほど、よろしくお願いいたします」

 

 俺はそうして、両手をついてお辞儀をした。これがジャパニーズ挨拶だ!


「おほほほ、礼儀正しい子ねぇ。ねぇお父さん」

「……」


 無言。怖い家だ。


「そう堅苦しく挨拶なさらなくてもいいのよ。芽久ちゃんの彼氏さんなんだから」

「……」

「いいのよ、佐久間くん」

「では、お言葉に甘えまして」


 俺は下げていた顔を上げた。


「おいなんだよ後輩、滅茶苦茶丁寧じゃん! いつものクズ人間っぷりはどこに行った!」

「誰がクズ人間スか。俺はどこででも丁寧で無添加な暮らし向きをしてますよ」

「なんだその素材を大切にするCMみたいな紹介は」


 夏目さんが俺を小突く。


「おほほほ、仲が良いのねぇ、二人とも」

「「いやあ」」


 俺と夏目さんは頭をかいた。






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