三章

風伯と白虎神

 

 人形じんけいとなり、洗練されたしぐさでひざまずいた風。

 その風に、“我が君”、と呼ばれたひとりの男は、静かに風の方へと振り向いた。

 年齢は、四十路よそじ(四十歳のこと)から五十路いそじ(五十歳のこと)くらいだろうか。見た目は、壮年そうねんの男性のそれと、大して変わらない。

 しかし、その深いみどり色の瞳の奥には、一度見た者は忘れることのできないほどの強烈な力が宿っている。

 彼は、白金の髪を一つに束ね、胡粉ごふんよりも白い純白のきぬに身を包んでいた。

 一方。

 人形となった風の年齢は、二十代前半くらいだろうか。見た目は、青年のそれと大差ない。

 しかし、何と言っても、氷のようなさえざえとした美貌びぼうが、見る者を引き付ける。

 亜麻あま色の髪を群青ぐんじょう色の頭巾ずきんで一つにまとめた彼の服装は、どこか昔の貴族を彷彿ほうふつとさせた。

 ここまで言ってしまえば、もうおわかりだろう。

 彼らは、人ではなかった。その正体は、人よりも、何百年、何千年のときを生きる、神仙しんせんである。

 そんなどこまでも浮世離れした彼らは、人が聖域と定め、滅多なことがない限り決して足を踏み入れることのない禁足地きんそくちの真ん中にいた。

 風の主人は、拝礼するかぜに、声をかけた。

風伯ふうはくそうよ、立ちなさい」

 風――――風伯(風の仙と言う意味)・颯(颯は、風伯の真名まな)は、我が君の言葉に謝意を言った。

「感謝申し上げます。我が君」

 その言葉に、うむ、とうなずいた風の主人。

 彼は、立ち上がった風伯と正面から向き合った。

 実は、風の主人は、白虎神びゃっこしん――――花国の国の鎮守であり、花国国造り伝説にも登場する花国の四方位守護神が一柱ひとはしらである。

 かの神は、花国の西の守護神として建国以来、ずっと白西州はくせいしゅうの地を見守ってきた。

 それと同時に、聖域に留まりながらも、地上界—―人間の住む世界のこと――で起こったありとあらゆることを見通す万里眼ばんりがん千里眼せんりがんよりも、さらにはるか彼方かなたを見通せる能力。過去・現在・未来の三つの時間に起こったことを、知ることもできる。なお、この力を持つのは、四神しじんの他に、四霊しれい—―りゅう鳳凰ほうおう麒麟きりん四柱よんはしらの黄王家の守護神—―と、人間では四、五代に一人くらいの黄王家の当主のみである)を持つ。

 だから、風伯はこの神と向き合うといつも、無意識のうちに緊張する。何しろ、桁違けたちがいの神通力じんつうりきを持つ、正真正銘しょうしんしょうめいの高位神なのだ。その位は、天界てんかい――――俗に言うところの天上界てんじょうかいのこと。神々や、仙人が住む世界をいう――――の中でも、かなり重んぜられるほどのものである。一介の風の仙にすぎない風伯にとって、普通なら一生かかっても拝謁はいえつが不可能な地位にいる神だ。

 事実、風伯がどれだけ歳月さいげつを重ねようとも決して超えられない何かを、かの神は持っていた。

「風伯颯よ。何か、良いことでもあったか?」

 白虎神は、いつもは何ごとにも心を動かさず、氷の如き笑みを薄っすらと浮かべる風伯が、珍しく上機嫌なことに気が付く。

 特に隠す必要もなかった風伯は、正直に答えた。

「はい。久しぶりに、素晴らしい演奏を聴くことができました。彼は、きっと数百年に一度の逸材いつざいでしょう」

 そうか。彼のことを、すでに知っていたか。

 白虎神は、心の中でつぶやいた。かの神も、何度か儀式で彼の音を捧げられていたため、その能力をよくわかっていた。

 だから、次にいう言葉は決まっていた。

「風伯颯よ、王都へ行け」

「…………は?」

 風伯の口から、かなり間抜けた言葉が飛び出した。有り得ないものを見たように、その目がわずかに開かれる。

 白虎神は、思った。颯も、驚くと人間のような表情をするのだな、と。 

 それでも、白虎神は言葉を重ねた。

「だから、王都へ行くのだ。…………そなたもすでに、存じておろうが、今年の夏に、後嗣許婚を決める試しが行われる」

 それは、風伯も伝え聞いていたことではあった。人間たちは、まだあまり知らないようだが、神仙の中では周知の事実になっている。

 風伯が、少しばかり、普段の自分を取り戻し始めたとわかったのだろう。

 白虎神は、話を続ける。

「ここ数年が、黄王家の腕の見せ所であろうの。いくつかの星が、動く。おそらく、あと数年のうちに、御代みよが替わるであろう」

「それは…………。黄王家の当主が、替わるということですか?」

 黄王家の当主すなわち女王の御代が、替わる。前のお代替わりいつだったか…………。

 風伯は、記憶を遡る。

 確か…………前女王の崩御によって替わったはずだ。だから…………かれこれ二十年くらい前か。

 白虎神は、風伯の問いにうなずいた。

「ああ。わずかな変化だが…………。ここ数年、北辰ほくしんの光がほんの少し、弱くなることがあるのだ」

 風伯は、はっとした。次いで、吹雪で見えるはずもない北辰を、北の空に探す。

 北辰とは、のちに北極星ほっきょくせいといわれるようになる星のことだ。

 はるか昔から天帝てんていの象徴とされており、またその存在は、地上の帝――――花国では女王――――に、例えられる。

 その星の光が、わずかに弱くなることがある。

 それは、今上の女王の命が、少しずつ黄泉よみへと近づいていることと他ならなかった。

「私は、故あってここを離れられぬ。しかし、何にも大きく縛られておらぬそなたなら、できるはずだ」

 風伯は、この白虎神の言葉で、すべてを悟った。それから、あるとき主人とした神に、揖礼を捧げる。

 再び礼をした風伯に、白虎神はこう命じた。

「風伯颯よ。王都へ行け。そして、私を祀り、私に仕えるはく家の者を、助けるのだ。ただし、」

 ここで、白虎神は一旦言葉を切った。

 一つ一つ、かみしめるように、言葉を紡ぐ。

「心の奥底からその者が願った時のみ、助けよ。私たち神仙は、人の本当の願いしか、叶えられないし、また、してはならぬのだ。聡いそなたなら――――わかるな?」

「はい。よく存じ上げております」

 風伯は、頭を下げたまま、首肯した。

 “いかなる神仙も、地上界のことに、深く干渉してはならない”

 これは、天界に本来属する神仙にとっての、暗黙のおきてであった。

 その掟に、触れるかもしれないことを、あえて自分に行ってほしいと、主人は言っているのだ。――――風伯の答えは、もう決まっていた。

「ここに謹んで承りましょう。我が君。他でもない、あなたさまの思し召しならば」

「うむ。では、頼んだぞ」

「はい」

 こうして、吹きすさぶ吹雪の中、一柱の神の願いが風の仙に託されたのであった。


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