四神宗家の筆頭分家の男児の宿命


「………………」

 事実上、弟を人質にされてしまった月影げつえいは、これ以上、下手な返答を控えたほうがいいと判断し、口を閉ざした。

「月影よ。そなたは何やら深刻に考えておるようだが、別にそこまで難しく考える必要はない。此度こたびのことは、ただの後嗣こうし殿下の婚約者を決めるためのもの、ましてや後嗣殿下のご結婚なんぞ、まだ先のことだ」

 だから、まあ安心せい。

 はく本家の当主は、ここぞとばかりに畳み込む。

「それに、はく家とはく家としては、とにかく許嫁候補を婿選びノ儀式に出した、ということが重要なのだ。別に、頑張って後嗣殿下の許嫁になれと言っておるのではない。本音を言えば、誰もたいして望んでおらぬわ」

 つまり、体裁ていさいが整えばいいということか。月影は、心の中でつぶやく。そのためには、なんとしても、孫息子を一人は差し出さねばならないというのか。

 僕が拒否したら、竣影しゅんえいが行かされる。そんなこと、認められるわけがない。

 八歳になったばかりの大切な弟を、一人で王都に行かせることは、月影にはできなかった。あれだけ純粋に兄上、兄上!、と慕ってくれる弟が、月影は好きだ。歳の離れた兄は、月影が生まれる前に養子としてもらわれていったため、新たな家族が誕生した時には、ものすごく喜んだことを彼は今でもよく覚えている。

 月影は、瞳を閉じた。それから、もう一度いちど目蓋まぶたを開ける。月影の双眸そうぼうには、もう迷いなど一つもなかった。

「わかりました。お祖父さま。この月影、つつしんでうけたまわりましょう。王都へ参ります」

 ただし、と口調を強めて月影は言葉を繋げる。

「条件があります」

「条件? それは何だ。申してみよ」

 やっと折れた月影の一言が気になったのだろう。彼の祖父は、続きを言うように促す。

「はい。それは竣影のことです」

「竣影が、如何したか?」

「いいえ。そうではありません。ただ、あの子はまだ八つです。お祖父さまの正式な後継候補の二番目になるには、まだ早い気がするのです」

 滅多なことでは動じない珀本家の当主が、珍しく驚いているように月影は感じた。

 なぜ、ここで竣影が出てくる? という風に。

 月影は、更に言葉を重ねた。

「一応、誤解のないように申し上げておきます。別に、僕は今の地位を保持ほじしたいわけではありません。まあ、今のところ、後嗣殿下の許婚になる気もありませんので、いずれここには帰って来るつもりではありますが」

「ではなぜ、そのようなことを申すのだ」

「お祖父さまはもちろんご存じの通り、正式な後継者候補になってしまったら最後、くつがえすことが非常に困難になりますよね? そんな地位に、まだ八つの子を就けるわけにいかないのでは、と思いまして。それに竣影にはできるだけ、自分の将来は、自分で決められるようにしてあげたいんです」

 そうだ。たとえ、自分の自己満足だとしても、弟の将来の選択肢を狭めるようなことは、させたくなかった。

 ちなみに、白・珀両家は昔から男系だった。

 珀本家の当主座の継承順は、現在、月影の父、月影、そして竣影である。

 現当主である月影の祖父は、六十路むそじ(六十歳のこと)を超えた今でもお元気だし、次期当主で今は当主の右腕として働いている月影の父は、まだ四十路よそじ(四十歳のこと)にもなっていない。

 となると当然、現当主の孫世代である月影と竣影に今すぐに出番があるわけでもない。

 しかし、一度正式に後継者第二位となってしまったら最後、それを辞退するのはとても難しくなる。それは例えどんな理由があろうとも、ほとんど覆すことはできないのだ。

 この国で大きな権威を持つ四神宗家の筆頭分家の跡継ぎになる、ということは、それだけ責任が伴うのだ。当然と言えば、当然である。

 約八十年前に、先々代の女王が行った大規模な地方行政改革により、州侯であった四神宗家は、自治権を失った。しかし、まつりごとでの権力を失ったが、今も権威の象徴として、多岐に渡って他の追従ついじゅうを許さないほどの絶大な影響力を誇っている。

 そんな大貴族のおさに、とんでもない大うつけを就けさせるわけにはいかない。何と言っても、昔も今も、彼ら・彼女らの命令一つで、いとも簡単に物事が変わってしまうからだ。その命令一つで、人ひとりの命を奪うことさえできてしまう。それほど、重い地位なのだ。

 そして、四神宗家と四神宗家の筆頭分家である斎家さいけの当主というものは、何か非常事態が起きたときには、真っ先に動かなくてはいけない。

 まとめれば、何よりも、一族の統率とうそつをしっかりとり、有象無象うぞうむぞうのうずめく貴族社会の中でしたたかに生きていける能力がある者でないと、務まらない地位である。そのため、後継者候補の子どもは、幼いころから徹底した英才教育を受けさせられていた。

 月影も、暫定的に珀本家の当主である祖父の後継者候補の第二位であったため、英才教育を受けさせられている。

 しかし、第三位である竣影は、月影ほど徹底的には教育を受けていなかった。そのため、月影よりはだいぶ伸び伸びと育ってきたのである。そのように育った弟の良いところを、潰したくないと思っていた月影は、必死になって訴えていた。

 そんな、月影の気持ちがわかったからだろう。

 彼の祖父は、少しだけ考えると、静かに頷いた。

「………………わかった。竣影のことは、こちらで何とかしよう。安心せい。悪いようにはしない」

「ありがとうございます。お祖父さま」

 月影は、謝意を述べた。良かった。これで、竣影の負担もいくらかはマシになるはずだ。

 拱手をする月影を見て、珀本家の当主はこう思っていた。

まったく、月影らしい。自分のことよりも、人の心配をするなんてな。これから、慣れない王都に行く自分の方が、よほど苦労するであろうに。

 しかし。彼は、そんなことを考えているとはおくびにも出さず、言わねばならないことを、月影に告げた。

「ああ。それと。出立は、十日後だ。まずは、白宗家の本拠地がある白西はくせい州第二の都市・琥連これんに出向いてもらう。そこで後嗣殿下の許婚候補として、宮中に上がるための作法や諸々もろもろのことを、覚えてもらう。よいな?」

「はい。わかりました」

 十日後にここを旅立たねばならないのか。思ったよりも、早いな。月影は、もう一度軽く頭を下げながら、素早く思考を巡らす。

 今まで、白西州はおろか、珀本家の領地からさえほとんど出たことがなかった月影にとって、それは未知の世界との出会いに等しかった。

 一方。

 告げるべきことをすべて告げ終わった珀本家の当主は、月影に退出するように促した。

「月影。もう、お下がり」

「はい。失礼いたします」

 その言葉に頷いて応えた月影は、再び拱手をし、静かに祖父の室を辞したのである。




 こうして。

 敬徳けいとく二十年の正月を過ぎたころ。

 珀月影の王都行きが決定した。

 のちにこれが、彼の運命を大きく変えることとなるのだが…………。

 それは、まだ、誰も知らないことである。


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