瑞花白宗家邸にて


 あれから、さい魁宇かいうと別れ、兄と一緒に軒車けんしゃに乗った月影は、瑞花ずいか白宗家邸はくそうけていへ向かった。

 やしきに到着した月影は、軒車けんしゃの中で兄に言われた通りに、旅のあかを落とした。久しぶりにゆっくりと湯あみもし、さっぱりとした気分で、使用人が淹れてくれたお茶を飲んでいる。

 そんな風に、月影がくつろいでいたら。

 突然、回廊をばたばたと走る音が聞こえてきた。

 誰だ……? 

 月影は、首を傾げた。

 仮にもここは瑞花白宗家邸、足音を立てて走る使用人など、いないはずだ。

 何か、緊急のことがあったのだろうか?

 月影が、そう思っていたら。

 見知った人が、月影の前に現れた。

「あ、兄上!?」

 月影は、仰天した。

 なんと、実兄の風雅が、月影のいる室に飛び込んできたのだ。

 かなり急いでいる彼は、月影の姿を認めると、大きな声で叫ぶように言った。

「月影。ゆっくり休んでいるところに悪いが、今すぐ、正装に着替えてくれ!!」

「は、はいぃぃ――――っ!! な、なんで?」

 月影は、思わず叫び声をあげていた。手に持つ湯呑みを落としそうになる。

 一体全体、何事だ!?

「いいから。説明している間も惜しい。つべこべ言わずにさっさと着替えろ! そんで着替え終わったら、正面玄関に来い。事情は、そこで話す」

 そこまで一気にまくしたてるように言うと、風雅は月影の室の出入口に向かった。

 おおーい。誰か、月影の正装一式を持ってきてくれ!!

 回廊の方に首だけひょいっと出すと、使用人を呼ぶ。

 それから、再び首を室に戻した風雅は、月影の方に振り向くと。

「それじゃ、またあとでな。俺も、着替える必要があるから!!」

 そう言って、足早に室から出て行った。

「ちょっと、兄上!!」

 月影は、慌てて去っていく兄を呼び止めた。しかし、月影の呼び止めもむなしく、風雅はまるで疾風のように行ってしまった。

 兄上が…………風のように来て、風のように去っていた……。

 何が何だか訳が分からない月影であったが、兄のただごとではない様子に押されて、しぶしぶ支度を始めたのであった。


◆◇◆◇◆


 大急ぎで正装に着替えた月影は、回廊を疾走していた。

 それから、正面玄関までやって来ると、滑り込むように兄の隣に立った。

「兄上。これは、いったい、どのようなことに、ございますか?」

 月影は、上がった息を整えながら、兄に聞く。

 誰だよ! こんな遅い時間にやって来る非常識な客人は!

 月影がこのような気持ちになるのも、無理はないことであった。何を隠そう、この時点ですでに日は西に傾いているのである。

 つまり、夕刻だ。間違っても、前触れなしに、人を気楽に訪ねていい時間帯ではない。

 そんな実弟の怒りを気にすることもなく。

 月影と同じく正装に着替えた風雅は、大したことではない、と言う風に、弟の顔を見て告げた。

「どういうこともない。ただ朝廷から、女王陛下の勅使が参られるそうだ」

「え? ええ――――――――っ!!」

 月影は、自分の予想をはるかに上回る返答に、叫び声をあげていた。

 さ、さすがは天下の四神宗家しじんそうけ。勅使が、直々にいらっしゃるのね…………。

 月影は、改めて実兄が養子入りした家の偉大さに驚いた。

「ここに来て早々、こんなことになって、すまない。どうやら……。俺たちが、一番最後だったらしい」

「?? 何が、です?」

 月影は、頭の中に、疑問符を浮かべた。

 いったい何が?

 その弟の反応に、少しばかりいらいらしたようだ。怒ったように、風雅は言った。

「だーかーらっ。入京だよ。要するに、王都に来るのが、一番遅かったということっ」

「ええ――――っ!? そうなんですかぁ――――! でも僕たちも、ちゃんと期日の三日前に着いていますが…………」

 月影は、再度叫び声をあげた。

 てっきり、あ、もしかして、余裕だったんじゃない? くらいに思っていたのに。 

 噓でしょ…………。読みが甘かったか。

「他家が、早かったのか、そうじゃないのかは、この際どうでもいい。とにかく、他家と比べれば、白家の到着が一番最後だったという事実があるだけだ」

 さばさばと、事実だけを述べる兄。

 淡々とした兄の様子に、月影はあることを思い至ったようだ。

 風雅に、おずおずとあることを聞いた。

「兄上…………」

「ん? 何だ」

「それって…………。何か、大きな問題になったりしませんか?」

 まさか、罰則とか、ないよね…………。

 月影の懸念していることが、わかったのだろう。

 風雅は、首を横に振った。

「いや。特に問題ナシだ。とにかく体面を重んじる玄家あたりだったたら、ちょっとばかりまずかったかもしれんが、白家ウチはそんなことまでいちいち気にしたりはしない。それに、いつもは白家ウチが最後じゃないし。大抵、朱家の方が、ぎりぎりに来たりするもんだから」

 だからまあ、気にすんな。

 風雅はそう言うと、弟を安心させるために、にかっと笑った。

 そうこうしているうちに、勅使の来訪を告げる声がした。

「ほら。拝礼しろ。勅使殿が、いらっしゃった」

 風雅は月影を促し、自らも床に膝を付く。

 月影も、兄に倣ってその場に跪いた。



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