白くて純粋無垢な悪意。
夏至肉
愛 Love
男はいつもの様に仕事を終え、疲れ切ったその足でスーパーに向かった。
惣菜コーナーへ一直線で向かったが、そこに商品は陳列されていなかった。男は肩を落とし「遅くまで働いて満足な食事ができないなんて、なんて惨めなんだ」と、呟いた。
いつからだろう、スーパーに惣菜が残っているだけで一喜一憂する人生になったのは、値引きのシールが貼られているだけで嬉しく感じ、去年の今、この瞬間なにをしていた?と、問われれば「スーパーで値引きされた惣菜を選んでいました」と答えられるくらい、自分でもつまらない人生を歩んでいると思っていた。
そんなおりである、たまたま通りかかったデザートコーナーに見慣れない商品が置かれていた。
「愛……680円?」
スーパーのデザートコーナーに愛が売っていた。
それも680円で。
男はそれを手に取ってまじまじと見る。
白いトレーに乗せられた愛は、ピンク色のゼリーの様な見た目でラップに包まれていた。
「愛がラップに包まれているなんて笑えるな」男はそう言いながら「これを買う俺はもっと笑えるか?」と、それをレジに持っていった。
会計を終え、男は自宅に帰った。
男の家はボロボロのアパートで天井には染みが広がり何かの模様に見えた。部屋はお世辞にも綺麗とは言えず片付けてくれる
男はそんなこと気にも溜めず、スーパーで買った愛を食べることにした。スプーンで突くと強い弾力が返ってくる。男は取り敢えずそれを掬って一口食べてみた。
「うまいな」
男はいつ振りにその言葉を口に出しただろうか。忙しい日々を過ごしてきたあまり、食事で感動する事を忘れていた。
気づくと男はあっという間に目の前の愛を食べ尽くしていた。味はどことなく甘く、温かみを帯びていた。他にも今まで感じたことのない旨味が口の中を支配する。
ゼリーのようなそれは、お腹いっぱいになるとは到底思えなかったが、食べ終えてすぐに満腹感があった。それだけじゃない、食べてすぐに今まで感じたことのない眠気が男を襲った。
その日見た夢は、母親が現れた。
特に何をするでもなく、一緒に食卓を囲んでいる。母の炊いたお米に、焼き魚と味噌汁。それを笑いながら食べていた。
目を覚ますと、男の眼前には見慣れた天井の染みが広がっていた。男はその染みを見るなり、うんざりとする。男にとってその染みは、夢から覚めた証拠なのだ。男は目を擦り、枕元の時計に目をやった。男は目覚ましをかけ忘れていたが、どういうわけか丁度いい時間に起きることができた。
男は伸びをする。なんだか、身体が軽い気がする。いつもより早く寝たから睡眠時間をしっかり確保出来たおかげだろうか。そんなことを考えながらシャワーを浴びてスーツに着替える。
その日は、何かが違った。
何が違うのか明確には分からない。けれど、久々に見上げた空は青く広がり、風は気持ちが良かった。仕事も思い通りに進み全くと言っていいほどストレスを感じることなく、定時で上がることが出来た。
男は今日も、あのスーパーに向かった。入ってすぐに見たのは、愛が売っていた場所だった。その日もそこに愛は売っていた。男はそれを手に取りレジに680円を置いた。
男は自宅に帰って、愛をスプーンで掬って口に運んだ。そもそも愛は、スプーンで食べる物なのか、箸を使うのか、はたまたナイフとフォークを使うのか分からなかったが、ゼリーの様なそれはスプーンで掬うのが一番食べやすかった。
やはり言葉にできない美味しさが口内を、いや、身体中を支配する。
その日もいつのまにか眠ってしまった。
気付くと小学生の男の子が彼を手招きしている。男は見慣れない少年に「誰?」と声を掛けた。
すると目の前の少年は「啓太だよ。」当たり前だろ?と男を笑った。啓太という名前に男は心当たりがあった。小学生時代の大親友の名前だ。目の前の少年は正に親友のそれで、チャームポイントの麦わら帽子に、健康的な小麦色の肌。そしてクリッとした二重。今までどうして彼を忘れていたのだろうかと疑問に思うほど懐かしい強烈な記憶が男の脳裏に蘇っていた。「啓太って、中野啓太?だよな?」「そうだよ、何言ってんだよ。今日のお前なんか変だぞ?」啓太はそんなことより早くカブトムシ取りに行くぞ!と駆け出して行った。
男は目を覚ます。目の前にはなににも形容しがたい、あの天井の染みが変わらず広がっている。
同級生の啓太と虫取りをした夢が鮮明に蘇る。
あの頃は良かった。
なんのしがらみもなく自由に野原を駆け回り好きな時間を好きなだけ過ごしていた。
男は柄にも無くノスタルジックな気持ちになってきたので、冷たい水で顔を洗って気を保つ事にした。
その日も伸びをして、スーツに着替えて会社へ向かう。
それからずっと仕事帰りにはあのスーパーに足を運んで愛を買った。そして食べ終えた後には温かい夢を見る。そんな生活が半年程続いた。
半年程経ったある日のことだった。
愛を食べても何も感じないのだ。いや最近は愛を食べる量が増えていた。最初は一個で満足していたそれが、二個、三個と増えていき今ではひと時も愛を手放すことが出来なくなっていた。
男は会社を無断欠勤するようになり、自宅に籠る日々が続いた。外へはスーパーで買い物をする時以外は出なくなってしまった。
愛を食べている間は安心感と幸福感が彼を包み込んでくれた。
……しかし、それも愛を食べている間だけ。
食べるのを止めると急に不安が襲ってくる。
自分は独りだという恐怖と言い知れぬ虚無感が彼を襲った。
そんな生活が数年続いた。
もはや彼に職は無く貯金も底を尽き、借金をして愛を買う。
ぶくぶくと醜く太った男は獣の様に愛を貪り喰っていた。
ばくばく、バクバク、爆爆……
生き急ぐかのように彼は愛を喰べ、遂にはそれを喉に詰まらせた。
く、苦しい。愛が押し寄せてくるようだ。
息が出来ない。
愛が……アイ……I……あい……逢い……飽い……哀……愛で溺れる。
愛に殺される。
男は足をばたつかせ、必死に空気を取り込もうとするが、男の意思に反して手は愛を掴んで自らの口に押し込んでいた。
息ができない。
とうとう男は目を閉じた。
最期に男が観た光景は天井に広がる染みだった。
(あぁ……あの染み天使に見える)
_____
「ねぇ、天使A聞いても良いかしら?」
「いいよ、天使B」
「貴方はヒトの子に愛を売っていた様だけど何がしたかったの?」
「僕はね、愛で世界を救いたかったんだ。現代を生きるヒトの子はみんな疲れ切っている。だからそれを愛で補おうとしたんだ」
「それで……結果は?」
「失敗だね。愛に値段をつけたのが間違いだったのかな?無償の愛って言うくらいだし。でも一番は、彼……ヒトの子は愛に依存してしまったようだ。今回の件で僕は気付いたよ。愛は与えるものではないってことに」
「依存って言うより、あれは中毒じゃないかしら。それで?与えるものじゃないってどういこと。天使A?」
「愛は築くものなんだ。ヒトの子が唯一無二と言える人に出会って2人で育み築くモノ。それが愛なのさ。片方が一方的に与える愛はいつか破綻する。神さまも言ってたろ、この世の理には循環が根源にあるって」
「たしかに、いつか神さまが言っていたわね、全てが淀みなく廻るのが理想だって」
「そう、だから愛も1与えたら1返すくらいが丁度いいんだ。」
「あら、愛は育てるんじゃなかったの?」
「言葉の綾だよ。僕はあのヒトの子に100の愛を毎日与えた。彼はその生活に慣れてしまった様でね、愛に依存してしまったんだ。ヒトの子は、古の頃から今ある以上の物を望むだろ。彼も例外なく愛を求める様になってしまった」
「後悔してる?」
「後悔はしてないよ。だってあのヒトの子はあのまま生きていても、愛を知ることはなかったんだから」
「でも今の彼は愛に溺れているように見えるけど?天使A」
「そうだね。そろそろ彼を迎えに行ってくるよ。」
「それが良いわ。早く彼を楽にさせてあげなさい」
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