猛の誓い 2
その木がなければ、たぶん、四、五メートルは、ふっとばされたと思う。
ろっ骨のくだけるのが自分でもわかった。血ヘドが口からあふれた。
瞬間、気が遠くなる。
ふつうなら、まちがいなく死んでる。
(でも……死なない。おれは、死なない……)
蘭の骨髄を移植された猛は、生まれながらの巫子と同じ体になった。
手足がちぎれても生えてくる。病に侵されず、ケガも即座に治癒する。老いず、数百年の寿命を持つ。
苦痛を感じないわけではない。が、まだ戦える。
ボールの疫神は、猛にとどめをさすために近づいてきた。
猛はあふれる血を手でぬぐい、ナイフをベルトからぬいた。
刀と銃は、さっきの衝撃で手元を離れてしまった。でも、このナイフ一本あれば、じゅうぶんだ。
ぬぐった自分の血を、猛はナイフにぬりつけた。
疫神はなげだされたまま、荒い息をつく猛が、もはや、まともに戦えるとは思ってないようだ。ナイフをぬいたのも、最後の抵抗だと。
その油断は、バラバラになった骨をつなぎあわせるのに充分な時間を、猛に与えてくれた。
猛は瞬間的にとびおきた。ナイフを疫神の右目に突き刺す。柄まで達するように、深々と。そのまま、ひねりまわし、脳髄を切り刻む。
獣のような咆哮は、疫神の口からあがってたのか。それとも、猛の口からだったろうか。
そのあいだの記憶が、あいまいだ。戦いのさなかには、ときどき、そんなことがある。
やがて、とつぜん、疫神はけいれんした。酸でもかぶったように、ウロコがゆがみ、溶け始める。
ナイフにぬった猛の血のせいだ。御子の血は、ヘルの変異を元の形に戻すよう作用する。変異のかたまりの疫神には、強烈な毒なのだ。
疫神は、急速に縮んで、動かなくなった。
「猛さん! 大丈夫ですか?」と、池野。
「おれは、もう大丈夫。それより、もう一体、始末しに行くぞ。梶原隊、動けるやつらで、仲間を研究所に運べ」
命じながら、猛は銃と刀をひろいあげる。
疫神は一体も逃すわけにはいかない。
気がせいていた。
そのまま走りだそうとして、立ち止まる。
猛にだって、友人を思う気持ちはある。
「……悪かったな。梶原」
倒れる梶原のかたわらへ、かけよる。
猛は、さっきのナイフで、自分の腕を切りさいた。そこから流れる血を、梶原のちぎれかけた左腕にかける。
巫子の血は他人の傷をいやす。
梶原の腕は、みるみる傷口どおしが、癒着し始めた。あとは輸血だ。助かるかどうかは、それに、かかってる。
あとのことは梶原の部下たちに任せ、猛は、もうひとつの戦場へ急行した。
二時間後、ようやく、疫神は二体とも、まっさつ排除できた。
死体は村の外の山中に埋めた。疫神は通信機器を持ってない。こうしておけば、仲間が復讐に押しよせてくる心配はない。どこかで行方不明になったと思われるだけだ。
猛は安心して、研究所へ行った。
ロビーに柴崎と真島が立っていた。険しい顔つきをしている。
「梶原が……死んだ」
開口一番に言われた。
ドスンと重いものが腹に落ちる。
「そうか……まにあわなかったのか。輸血」
いきなり、柴崎が、猛の胸ぐらをつかんできた。柴崎は梶原と、友人のなかでも、もっとも親しかった。
「猛。おまえ、梶原が危ないん、わかっとって、救護、あとまわしにしたんやってな?
輸血が、もうちょい早ければ、助かってたはずやって、医者から聞いたで。
なんで、あいつを助けてくれへんかったんや!」
猛は言いわけはしなかった。
「疫神を始末することを優先させたからだ」
「おまえ、それでも友達か? 疫神なんか、どうせ、おまえ一人で、やっつけたやないか!」
「結果的に始末できただけだ。もし逃げられてたら、どうする?
おれだって、梶原を助けたかったよ。でも、村を守ることが先決だろ?」
柴崎は、にぎりこぶしをふりあげた。しかし、歯を食いしばって猛をにらんだまま、動かない。
あいだに、真島が入ってきた。
「まあまあ。猛かて、悔しいに決まっとるやろ」
いったん、手をおろしたものの、柴崎の語調は、きつい。
「そいつは、どうかな。猛。おまえ、おれらのこと、使いすての兵隊やと思っとるんちゃうやろな? だから、この村に呼んだんか?」
柴崎に見つめられて、猛は答えられなかった。そんな気持ちが、まったくなかったと言えばウソになる。
だまりこむ猛を見て、柴崎はカッとなった。
梶原は母子家庭だった。幼いころから苦労してきた。その母も二十代で亡くした。
この村の女の子と結婚し、先月、子どもが生まれたばかりだ。
家族ができたことを、とても喜んでいた。自分の子どもには、自分のような、さみしい思いはさせたくないと言っていた。
そういうことを、昔からの友人は、みんな知っている。
だからこそ、柴崎は憤るのだ。
それは、猛も承知している。
「猛。答えろや。返答によっちゃ、ゆるさんからな」
「……いやなら、出てけよ」
猛の言葉に、柴崎は、さらにカッとなる。顔面が真っ赤に紅潮してくる。
出ていきたくても、柴崎にはできないのだ。
柴崎が村へ避難してきたとき、いっしょに、つれてきた彼女。今では結婚して夫婦になっている。
その愛妻のレミは、御子の血を受けつけない体質だった。
レミは今、研究所の地下の無菌室のなかで暮らしている。一歩でも、そこから出れば、そくざにヘルウィルスに感染し、死亡する。
それを知ったうえで言ったのは、われながら残酷だった。
ただ、猛は思いだしてもらいたかった。
大切な人の生きていける唯一の場所、不二村。この村を守ることが、いかに重要であるか。
(おれのことは、どんなに悪く思われてもいい。目的を成就させるためなら)
蘭を守り、蘭の国を建てるという目的のためなら。
怒りに、ふるえる柴崎と、猛は無言で向きあった。
すると、地下からエレベーターが上がってきた。ひらくドアから、とびだしてきたのは、蘭だ。
色あせたジーンズと飾りけのない白いシャツ。それだけで、あたりいちめんに、とつぜん光がさしたように美しい。
この人だけは守りたいと、猛でなくても思うのが、あたりまえではないだろうか?
「蘭。ダメだよ。おまえは地下に隠れてなくちゃ」
まだ、この時点で、蘭が『御子』であることを知ってる者は少なかった。
猛と水魚、龍吾。安藤、池野。
それに、菊子や森田といった、研究員のなかでも中心的人物。村の長老の数人。
柴崎や真島たちは、この事実を知らない。村人のなかの誰かが御子だと思っている。
もちろん、外敵につかまって拷問されたときの用心だ。
だから、猛が蘭を過保護にするのは、単にストーカーに狙われやすい非力な友人を案じているせいとしか、柴崎たちは思ってないはず。
あるいは一部の研究員のあいだでウワサになってるように、猛と蘭を友人以上の妖しい関係だと思ってるか。
エレベーターから、とびだしてきた蘭は、まっすぐに、猛に、しがみついてきた。猛の胸に顔をうずめてくる。
これだから、関係を疑われるのだろう。
「梶原さんが死んだって……」
「ああ」
「僕だって、あの人の友達ですよ。こんなときに、自分だけ安穏としてられない」
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