九章 御子さま殺人事件(推理)2—1
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《未来 顔なし3》
静寂が、ただよう。
誰もが、猛の言葉を、すぐには理解できなかったようだ。何度も自分の内で、その意味をかみしめるような顔で、沈思している。
しばらくして、ようやく、水魚が口をひらいた。
「……それは、どういう意味ですか?」
猛の答えはよどみがない。
「言葉どおりの意味だよ。蘭のなかに、御子はいなかった」
水魚はよろめき、たたみの上にくずれおちる。
「……いなかった」
どうにも理解不能な状況だ。
蘭は御子だ。
その蘭のなかに、御子が存在しないなんて、そんなバカなことが起こるわけがない。
猛は全員をじゅんぐりに見ながら、続ける。
「それと、みんな勘違いしてるみたいだから言っとくけど。蘭を殺したのは、おれじゃない。おれが追いついたときには、もう蘭は頭から血を流して倒れてた。おれは、それを見て、このまま、ほっとくと蘭は復活する。それなら、ここで自由にしてやろうと思っただけだ。おれがやったのは、腹の傷だけ」
ええッと、タクミや龍吾たちは声をそろえる。
「なんですか、それ! 今さら、そんなのアリ? じゃあ、猛さんが犯人じゃないの?」
「違うよ。おれが蘭を殺せるわけないだろ。そりゃ、もしも、あいつに泣いて懇願されれば、勇気ふるいおこして、やるんだろうけどな。うしろから、なぐりかかるなんて、そんなマネできないよ」
「じゃあ、なに、殺人犯の匂いプンプン出してんですか! 勘違いしちゃったじゃないですか」
「殺人犯って……まあ、おれは、たくさん、人殺してきた。罪深い人間だよ。死んだら地獄堕ちだよ」
「鬼気迫るもんがあったよな?」
「ねえ」
龍吾とタクミがうなずきあう。
「なんだあ。それじゃ、けっきょく、ふりだしかあ。ていうか、よけい、ややこしくなりましたよね。御子は、いずこ? なんで、蘭さんのなかにいなかったの? それに、蘭さんを殺したのは誰?」
そのとき、池野が遠慮がちに口をひらく。
「昼子が、なんか知っちょうみたいです」
「え? 昼子が?」
「なんでもいい。教えてくれ。昼子」
みんなにつめよられて、昼子は緊張した。
「……泣いていた。あの人のなかで、泣いていた。わたしと同じ、切り刻まれた人」
昼子は幼少時から生体実験された記憶の持ちぬしだ。なので、記憶複写のさい、水魚と同じ処置をとられている。
すなわち、痛みの記憶は省略されている。
水魚は大人になってからの一部の記憶だから、性格形成に大きな影響はない。
だが、昼子は生まれてから十年という、人格形成上、もっとも重要な時期の記憶が、まるごと、はぶかれている。
だから、クローンになった今でも、精神に障害が残っている。これでも、オリジナルのひところよりは、自発的に行動するようになったほうだ。
「泣いてる? 御子のことだね? 蘭のなかで泣いてたの?」
水魚がたずねると、昼子はうなずいた。
「でも、この前から、泣かなくなった。いなくなったから」
「いなくなった? いつ?」
「……水魚が死んだとき」
詳細に聞きだすと、どうも、こういうことらしい。
今回、昼子のクローンが再生されたときには、まだ蘭のなかに御子はいた。
ところが、そのあと、今の水魚の一体前のクローンが死んだときには、もういなかった。
その間のいつかの時点で、蘭のなかから、御子は消えていた——ということだ。
ちなみにクローンの死亡時期は、オリジナルの死んだ時期に合わせて調整されている。
「水魚が死んだときって、月からボートくすねる算段した、ちょっと後だよな? 胡蝶が死んで、春蘭が自殺ばっかりしてるから、蘭がブルーになってたころだ」
泣き疲れたように、ぐったりしていた春蘭が顔をあげる。
「ブルーに……蘭が?」
「ああ。気にしてたよ、蘭は。なんやかや言っても、自分のクローンだからな——てことは、かれこれ八十年も前か。あのころから、蘭のなかには御子がいなかった」
猛に言われ、水魚はぼうぜんとなった。
水魚にとっては、ことによると、蘭よりも蛭子自身のほうが大切だ。
その蛭子が、八十年も前から行方不明だったのだ。ショックをかくしきれない。
「そんなバカなこと……ありえない。蘭は御子が選んだ『最後の完全な人』だ。その蘭から御子が出ていくなんてことは……」
なあ、と、猛が問いただす。
「前から気になってた。蘭も知らなかったみたいだが。御子って、どうやって人へ移るんだ?」
水魚、龍吾、池野——かつて御子だったことのある者たちは、微妙な顔つきで、たがいを見かわす。
「それ、言わなきゃいけないのか?」と、龍吾。
「だって、無意識に蘭が誰かに渡してしまったってことも考えられるだろ?」
三人で顔を見あわせたのち、水魚が白状した。
「私が言います。つまり、口移しです」
「口……要するにキスってことか?」
「ただの接吻ではありません。選ぶのは、御子です」
「わかんないなあ」
「見つめているとね。この人と一つになりたいという思いが、ふつふつとわきあがってくるんです。同時に熱いかたまりが、下からせりあがってくる。その感覚がピークに達したとき、くちづけると、激しい酩酊感をともなう一体感に包まれます。何かが、のどをあがって出ていくのを感じますよ。お別れのときは少し名残惜しいが、ちょっと、あの感覚は言葉では表せない」
「なんか、いかがわしいな……」
ふふふと、水魚は色っぽく笑った。
池野なんか真っ赤になってる。
「わの相手は蘭さんだったけん、照れくさかったけど……幸せでした」
「そりゃなあ。蘭とやったも同然だよな」
「わあッ、言わんでごしなはい!」
猛はからかうのをやめる。
「でも、それだと気づくよな? もしも誰かとキスしたとき、そうなったら、なんか普通じゃなかったって。蘭が無意識に誰かに渡したなんてこと、あるんだろうか?」
首をかしげながら、水魚。
「まあ、ないでしょうね」
「じゃあ、自覚があるうえで、誰かに渡した。それをおれたちにはナイショにしてたってことか?」
「でも、蘭は御子だから不老不死だが、御子でなくなれば、ふつうの人間だ。元御子だから、多少、寿命は伸びるとはいえ。いつまでも隠しとおせるものではない」
「八十年なら、まだ問題ないだろ。蘭は二十代なかばで御子になった。そのあとの時間は実質、止まってるのと同じだ。あいだの二万年はさ。御子がいなくなったあとの八十年しか、寿命を使ってない。元御子は百五十年くらい寿命がのびる。そうだろ?」
水魚がうなずく。
「元御子も巫子と同じだ。死ぬ直前まで老化はしない。蘭が我々に御子がいなくなったことを隠そうと思えば、できた」
みんながクローンになってからは、元御子の龍吾や池野も、蘭の骨髄を移植する方法で寿命をのばしている。
じっさいには、元御子は、もはや存在しない。蘭だけが、ひそかに元御子だったということになる。
「八十年前か。なんか、ひっかかるんだよな」
猛は記憶をふりしぼるような表情で、こぶしを口元にあてる。
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