八章 御子さま殺人事件(発生)3—1

3


《未来 猛2》



睡眠退行機のなかで眠る蘭の表情が、やわらいでくる。


蘭の脳波を落ちつけるため、いったん、もっとも幸福だったと蘭が感じるころの夢を見させている。


このあと、睡眠暗示で、どの時代の記憶で目ざめさせるか、微調整をかける。


これまで、何度も、くりかえしてきたことだ。


蘭の寝顔を見守っていると、水魚や鈴蘭が、かけつけてきた。


「不具合があったそうですね」


「最悪だよ。おれたちが全員『死んだ』ことを、思いだしちまった」


「しかたないですね。睡眠退行では、一時的に記憶を封じるだけですから。消し去るわけじゃない。いつ、なんの刺激で、よみがえるか、わからない」


猛と水魚の会話に、鈴蘭が割りこむ。


「それで、次は、どこで目ざめさせたらいいですか?」


「またパンデミック直後まで戻したほうが、よいのでは?」と、水魚が言った。


「今回は、どうも、これまでになかったようなエラーが多い。カトレアが、あんなふうになるなんて、今まで一度もなかった。いやなことが起こりそうで、心配だ」と。


だが、猛は首をふる。


「いや。ゆがみが生じてるときに、むりにリセットするのは、マズイ気がする。


蘭の最初の記憶と、今のリプレイでの記憶が、かけ離れすぎると、蘭が混乱する。蘭がオリジナルたちとすごした、最初の記憶とさ。


今のゆがみを正してから、やり直すほうがいい。じゃないと、次のときにも同じ歪みが出るかもしれないだろ?」


「あなたが、そう言うなら、そうしよう」


「さっきの赤城さんに、おはぎを届ける直前まで戻せば、じゅうぶんだろ。今度は、赤城さんに、おとなしく車椅子に、すわっといてもらう。それで問題なしだ」


「まだ、あなたの死までは、数十年の時がありますからね。では、それまでは今回のリプレイを続けよう」


猛は、ため息をつく。


「つらいよ。おれは、おれのオリジナルのつもりなんだが、蘭が認めてくれないんじゃな」


「記憶複写できるのは九割だ。どうしても、少しずつ失われていく。しかも、我々は、それを何十回となく、くりかえしてきた。


何かが違うと、蘭が感じてしまうのも、しかたない」


「たしかに、だいぶ、うろおぼえになったとこ、あるよ。リプレイのあいだの記憶は、ほとんどないしな。せいぜい、三度めくらいまで?」


「それは私もです。まあ、同じことをくりかえしてるだけだから、必要ないですしね」


水魚は、ガラスの柩のなかで眠る蘭を見て、ほほえんだ。


「それでもいい。君のそばにいられるなら」


水魚は痛みの記憶を失ったが、蘭に対する思いだけは、今も変わらないらしい。


「まあ、よかったよ。今回は幼化まで達しなくて。前に、子どもになっちまったときは、ビックリした」


オリジナルの猛が死んだあと、四百年くらいは、蘭も普通だった。


いや、きっと、内心は平静をよそおっていたのかもしれないが。


それでも、周囲の人々がクローンだと理解したうえで暮らしていた。


だが、世界は、ますます繁栄していくのに、そのころから、蘭の体に変化があらわれた。


じょじょに若返り、幼児化していったのだ。それは蘭の内にいる本当の御子、蛭子が消える前と、同じ現象だった。


「忘れてしまいたいからなんでしょう。みんな、死んでしまった、一人、とり残されたという思いを」


それからだ。


蘭の記憶を睡眠退行で逆行させるようになったのは。


パンデミック直後から、猛が死ぬまでのあいだくらいを、何度も何度も、くりかえしている。


猛や水魚や、村のみんなが……世界中が、蘭のためだけに、お芝居をしている。


蘭のそのときの記憶にあわせて。


すぎてしまった過去の自分を演じている。


お芝居にあわせて、クローンの年齢を調整し、景観や戦闘などはホログラフィーを本物のように錯覚させ……。


すべてが、過去の幻影。


しかし、そのおかげで、すぐに蘭は二十代の青年に戻った。


それ以降、幼化は起こっていない。


「幼化が完全に進むと、蘭は、どうなるんだ?」


猛が問うと、水魚は首をかしげた。


「それは私も想像するしかない。が、蛭子は幼化のはてに胎児まで逆行した。蘭も、その道をたどるだろう。


だが、蘭は御子自身ではないから、あるていど以上、逆行が進むと、やがては御子に吸収され、消えていくのではないかと思う」


「つまり、蘭は死ぬんだな」


「それが、蘭の望みかもしれない。老いて死ぬことができないなら、そうするしかないじゃないか?


御子の力で細胞を初期化することは可能なのだから。蘭が強く望めば……」


「蘭が死ねば、おれたちも、もう生き続ける必要はないな。おれたちは、蘭のためだけに生きている」


すると、水魚は言った。


「私は違う。私は蘭を愛しているが、蘭のためだけに生きているわけじゃない。御子をお守りするのが、私の使命だ。

蘭という器を失えば、御子は、また時の流れをさすらわなければならない。おそらくは、これまで以上に深く悲嘆にくれながら」


「だろうな。『最後の完全な人』まで去っていったとなれば。あとはもう狂うしかないよな」


水魚は悲痛な面持ちで、唇をかんだ。


かわいそうに。誰よりも深く、御子に縛られているのは、水魚だ。


もしかしたら、水魚は蘭を思う以上に、蛭子を愛しているのかもしれない。


「あんたが『最後の人』だったら、よかったのにな。うまくいかないもんだ」


「それは言っても、しかたないことだ。御子の選んだのは、蘭。御子のためにも、蘭には、ずっと生き続けてもらわなければ」


「やっぱ鬼だよ。あんた」


「そう。私は鬼神になると誓った」


猛には、とても、そんなふうに割りきれない。蘭が消滅を望むのなら、もう自由にしてやってもいいのではないかと思う。


蘭は御子のために、二万年も、がんばった。もう充分だ。


なぜ、本人の意思に反して、生かし続けなければならないのか。


(おれが大切なのは、蘭だ。御子じゃない)


猛には、蘭の孤独が、よくわかる。


わけのわからない呪いをかけられて、家族が次々に死んでいくという、変な家に生まれてしまった。


両親が死んだのは、小学四年。十さいのときだ。叔父や叔母、いとこ。みんな、若くして死んだ。今度は自分が死ぬかもしれないという恐怖。


しかし、それ以上に、猛が恐れたのは、生き残るのは自分ではないかという仮定だった。長生きした祖父に似ていたのは、薫ではなく、猛だったから。


一族のなかで、ただ一人だけ長く生きる男子ーー


それは、東堂家に呪いをかけた女が、本心では、猛たちの先祖を愛していたからのようだ。


呪いをかけたものの、その先祖に似た男子だけは、どうしても殺すことができなかった。そのためらいが、呪いに一つの間隙をあたえてしまった。


猛は、その先祖に似たのだ。


子どものころから、いつも不安だった。


高齢の祖父が亡くなったあと、もし薫までいなくなってしまったら、自分は一人になってしまう。


いや、もしかしたら、大人になるまで、薫は生きないかもしれない。いとこの敦は八つで死んだ。薫だって、そうならない保証はない。


学校帰りに、通学路で車にひかれるかもしれない。


ちょっとインフルエンザをこじらせて、そのまま昇天するかもしれない。


プールで溺れたら?


電車が脱線したら?

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