八章 御子さま殺人事件(発生)

八章 御子さま殺人事件(発生) 1—1

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《夢 近未来17》



月の巫子は降臨した。


ユーベルのエンパシーは現在のみならず、過去の記憶を読むサイコメトリーにも及ぶものだった。


つまり、すでに死んだ人間の記憶も、よみがえらせることができる。


サイコメトリーでの複写は、生前の思いが、どのていど残ってるかにもよる。生きてる人間ほど多くは、よみがえらないらしい。


とはいえ、これを待ち望んでいる者がいた。


水魚だ。

水魚のたっての願いで、彼はオリジナルの記憶を戻してもらうことになった。


水魚は研究所で生体実験に使われてる期間が長かった。そのあいだの記憶をどうするかで、意見が割れた。


蘭、猛、水魚、タクミ、ユーベルで話しあった。

結果、そのあいだの記憶はダイジェスト版にしようということになった。

感覚や感情をともなわず、いつ、どんなことが行われたのか、事実関係だけを残すことにしようと。


「でも、水魚が、あれほど蘭を愛したのは、悲惨な過去があったからだろ? そこをはぶくのは、なんか違わないか?」


と、猛だけは反対したのだが、言い負かしたのは、なんと、タクミだ。


「そうかもしれないけど。エンパシストが他人の記憶を読むときは、その人の感覚も共有するんです。聞けば、水魚さんって、麻酔なしで解剖とかされてたって言うじゃないですか。そんな恐ろしい苦痛を、ユーベルも味わうことになるんですよ。そんなの絶対、僕は承認できません」


タクミは一見、薫に似てる。が、なかみは、だいぶ異なる点もあった。

さすがに遺伝子操作されてるだけあって、いろいろと優秀だ。


言い負かされて、猛は落ちこんだ。


「蘭。かーくんが独り立ちしてしまった……」

「そうですね。タクミさんは、意外と、しっかりしてる」

「こいつ、武芸も、みっちり、やりこんでるんだ。五回に一回は、おれを負かすんだぞ。兄ちゃんは、さみしいよ」


「なんか、すいません。武道は、うちの家訓なんで。兄弟全員、小さいころから、やらされました」と、タクミ。

「じいちゃんの教えなんですよね。男は強くないとダメだ——って。言いながら、じいちゃんは超弱かったけど。そういえば、兄弟のほかの誰より、僕が上達したとき、めっちゃテンション上がってたっけ。

でも、僕ら兄弟のなかで、群を抜いて強かったのは、泉です。なにしろね、超エリートしかなれない月の特殊警察の隊員なんですよ。ダブルオーセブンも、まっさお。猛さんなら、イズミとも、けっこう、いい線で、やりあえるんじゃないかな。五試合なら、三対二で、イズミが勝つと思うけど」


「くっそォ……オリジナルの上いくのか。遺伝子操作のせいだな? なんとなく、かーくんの悪意を感じる。昔、おれによく泣かされたせいかなあ……」


確実にそうだと、蘭は思った。


「いつも、オカズ、うばってましたもんね」

「うーん……次にクローン再生してもらうときは、おれも遺伝子操作してもらおうかな」


猛の口調は、わりに真剣だ。


「やですよ、僕。そのままの猛さんが好き。それに、これ以上、強くならなくたっていいんでしょ? これからは」

「そうか。殺人技は必要なくなるんだ」


猛が機嫌をなおしたので、全員一致で、水魚の苦しい期間の記憶は、省略することに決まった。


水魚に戻った記憶は、オリジナルの五割ほどだ。

記憶をとりもどしたとたん、蘭の顔を見て赤くなったのは、やはり、あの『記憶』のせいだろうか。

水魚は紅潮したおもてを着物のたもとで隠し、部屋をとびだしていった。


猛が首をかしげる。


「なんだ? あいつ」

「うん。今夜はひさしぶりに、水魚に背中ながしてもらえるかな」

「なに言ってんだ。毎晩、させてるだろ?」

「ヒミツです」


そんなこともあったが……。


ユーベルの記憶複写を国民全員に、ほどこすことは、実質的に不可能だ。


記憶複写には疲労がともなう。日に一人ないし二人が限度だ。週休二日でユーベルを働かせても、年に、わずか三百人ほど。


そこで、蘭の友人をのぞく、一般市民への記憶複写は、知的財産や特殊技能など、失われると国家に損失の大きい者が優先された。


その選考に洩れても、再選抜されると、ダブルAランク者の複写を受けられる。


事故や病気で若くして死んだ人や、社会に善行をした人などが、これを受けた。


いずれはエスパーの能力に頼るだけでなく、機械を導入しようと開発も進んでいる。


こうして、高い知性と技能が次世代へ引き継がれた。文化水準は飛躍的に向上した。


人々の目的意識も高まった。


よりよい世界を造ろうと、国民一人一人が日夜、努力する世界。


心の疲れや人間関係のまさつは、サイコセラピストが魔法のように、いやしてくれた。


エスパーたちが地球人のあいだに、すっかり、とけこんだころ。

月との交信が再開した。


ある夜。

月から持ちこまれたホロラインを通じて、蘭のもとへ、オシリスがやってきた。

オシリスは肌の色こそ白いが、まるで古代エジプト人のような、独特の神秘性を持つ青年だ。

蘭よりは、かなり男性的だが、ある人種の美の頂点であることは、たしかだ。


オシリスもまたトリプルAのエンパシストだ。クローンに記憶複写する方法で、永遠を手に入れた人物の一人だ。


「やあ。不二の巫子。ようやく、あなたと言葉をかわすことができた。とても嬉しい。私はオシリス。人類を調停し、平和へと導くために造られた人工生命。遺伝子操作の粋さ。これまでは影から人々を見守っていた。しかし、あなたがたと歩むために、表舞台へ出てきた。

争いのない世界を造るという、あなたの理念。私も賛同します。私は月から、あなたは地球から、たがいに手をとり、よりよい未来を目ざそう。二度とヘル・パンデミックのような過ちを犯さないように」


蘭たちにとっては、理想的な協力者だった。


オシリスは人類最高の英知と、最高の能力を持ちながら、私欲のまったくない人物だ。聖人君子すぎて、つまらないと、しばしば蘭が思うほど。公明正大かつ冷静な失政者だ。


オシリスは自分が神であることを知っている。そのうえで、人類を救済することこそ、みずからの使命だと、本気で信じてる、おごらない神なのだ。


「以前の大統領のときには失敗したが。あなたは信用できそうだ。オシリス。末長く、おつきあいしましょう」

「もちろんです。いずれ、お会いしたいですね。時間はたっぷりある」

「そう。永遠にね」


このように、蘭たちは月との交流を再開した。


まずは地球衛星軌道上のスペースコロニーのひとつが、宇宙の出島となった。

まだ、ちょくせつ相互に行き来できる環境ではなかったので。


何もかもが順調で、怖いほど。

そんなときは、決まって悪いことが起こる。


このころだ。

人々のあいだで、妙な夢のウワサが広まりだしたのは。

それは、とても不吉な夢……。

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