七章 記憶の亡霊 3—3
タクミが答える。
「いえ。ほんとは僕の上に、もう一人、兄がいるんです。イズミは月に残るって言ったんですよ。その兄が、どういうわけか、大伯父さんに激似なんですよね。そういえば別れるとき、イズミ、言ってたなあ。『向こうについたら、おれの分身にヨロシク』って」
タクミは兄たちをうかがった。
「もしかして、イズミって、あの人の……?」
静と恵は同時に吐息をついた。
「ああ。クローンだよ」
「やっぱり……っていうか、兄ちゃんたち、知ってたんなら、なんで教えてくれないんだよォ」
ふたたび、二人はため息。
「それでな、タクミ。おまえは、じいちゃんのクローンだ」
三つ数えるくらいの間があった。
一、二、三。
「——ええェッ?」
「じっさい、幸せなやつだよなあ、おまえ。イズミは気づいて、悩んだこともあったみたいだぞ」
「ええェ……」
「まあ、そこが、おまえのいいとこなんだが」
「へえ……」
おかしくなって、蘭は笑った。
兄弟のやりとりが、まったく、あのころの猛と薫のまんまだ。
「タクミさんは、ほんと、可愛いなあ。小動物っぽいところが、かーくん、そっくり」
「うーん。今にして思えば、じいちゃんと僕って趣味が似てたんだよね。ミツバチはっち見て、いっしょに泣いてくれるの、じいちゃんだけだったし」
「そういえば、かーくん。幼児番組、好きだった」
蘭は笑った。
きっと薫なら、ある朝、とつぜん、自分が分裂して四人になっても、悩みもせずに受け入れただろう。
最初は「どうしよう、猛! 僕が四人になっちゃったよ」などとさわぐかもしれないが、意外にあっさり、なれてしまって。
「ええと、今日から『僕1』『僕2』『僕3』だね」
「あれ? じゃあ、そういう『僕』は?」
「僕4じゃない?」
「ええッ、僕、オリジナルなのに『僕4』?」
「僕4だ。僕4」
「せめて『僕0』にしてぇ!」といったぐあいに。
それはそれで、楽しそう。
エンパシスト三兄弟は、蘭の妄想を読みとった。大爆笑だ。
「ありうる! じいちゃんなら」
「タクミだって同じだぞ。だって『僕1』だからな」
「いいけどね。僕4よりはさ!」
場がなごんだところで、蘭はたずねた。
「ところで、ずっと、タクミさんにひっついてる、その女の子は?」
「あ、僕の担当してた元患者さんで、今は……その、フィアンセです(と、照れる)。ユーベル・ラ=デュランヴィリエ」
すっかり、おとなしくなって、ユーベルは借りてきた猫状態だ。
ナイーブな面と、怒ったときの手に負えない側面の起伏の差がいちじるしい。
ユーベルをつれてきたのが、タクミだというのが、とても運命的だ。
このとき、ようやく、アンドレアが口をひらいた。そういえば、さっきから、いやに考えこんでいた。
「……信じられない。我々のなかに、トリプルAがいる」
蘭は水魚たちと、目を見かわした。
「トリプルA……ですか?」
青い髪のクールな女船長がひたいに汗を浮かべている。
「我々の能力の強さは、ESP協会の定めたランクにわけられています。上から順にAからE。Aランクは社会で、じっさいに役立つレベルです。完ぺきなコントロールと適度な強度を持っている。だが、ときおり、ケタはずれに強い能力を持つ者も存在する。それがダブルA、トリプルAだ」
「あなたはダブルAでしたね」
「ええ。ダブルAは四億人のエスパーのなかで、二十人ほど。トリプルAにいたっては、これまで一人しか存在しませんでした。公式にはね」
そう言って、アンドレアは自分たちエスパーの顔を順々に見る。
「なのに、このなかに私以上の能力者がいる」
あきらかに緊張している二人がいた。
タクミとユーベルだ。
もう充分だ。まちがいない。
蘭は告げた。
「月の巫子ですね」
「月の巫子?」と、アンドレア。
「予言で約束された未来のひとつ。月の巫子は人類に、さらなる飛躍をもたらしてくれます。それはもう進化と言っていい」
「進化、ですか?」
「今の状態では、僕は不老不死です。が、人類全体はそうではない。僕の血をひく巫子でも、寿命は数百年。テロメア修復薬を使用した一般人なら、長くて百五十年。
けれど、もし、オリジナルからクローンへ記憶を複写することができれば? もちろん、複写は百パーセント完ぺきではないだろうけど。五割でも……いや、三割でもいい。オリジナルの死とともに失われるはずだった記憶が残るなら、それもまた不老不死へのひとつのアプローチだ」
「トリプルAランクなら、それができるというわけか。たしかに試みたことはないが、ダブルAの私でも、二割ぐらいなら記憶複写は可能だと思う。トリプルAなら、あるいは六割……」
「我々の持つ予言の書には、月から、それをしてくれる巫子がやってくることになっている。月の巫子自身が、自分の記憶を複写しながら、何千年も何万年も生き続ける。つまり、僕が人々に与えるのは肉体的な不滅。月の巫子がもたらすのは、魂の不滅だ」
蘭は、その人の顔をまっすぐに見て、その人にだけ語りかけた。
「これまで僕はたくさんの死や、つらい経験を克服してきた。でも、それができたのは、僕を支えてくれた親しい人たちがいたからだ。もし、完全に見知らぬ人たちだけのなかにとり残されれば、僕には同じことをできる自信はない。僕はイヤだ。そんな孤独。どうか、僕を救ってほしい。月の巫子の存在を、もっとも必要としてるのは、ほかならぬ僕なんだ」
タクミはユーベルを、ユーベルはタクミを見た。二人のあいだに暗黙の了解がかわされるのが伝わった。
「……タクミ。いいよね。もう」
「うん。ここの人たちは、君の力を悪用したり、君を恐れて傷つけたりする人たちじゃない。もう隠す必要はなくなった」
ユーベルは微笑した。
「ぼくは一度、死んだ。でも、オリジナルの記憶を持ってる。このクローンの体に、自分で記憶を写したから。ぼくなら、九割は写せるよ」
月の巫子は降臨した。
これによって、蘭の王国はゆるぎない繁栄へとつき進む。
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