七章 記憶の亡霊 2—2


ゾクゾクしてる蘭を、オーガスは、いぶかしそうに見ている。そばで聞いていた猛が、ふきだした。


「蘭。オーガスをこまらすなよ。おまえと違って健全なんだから」

「僕が不健全だとでも?」

「健全だとでも?まったく、こまった御子さまだ」


オーガスは猛とともに、村の道場へ通い、剣道のけいこに打ちこんだ。そこで多くの青年と出会い、まもなく、村にとけこんだ。


しだいに感情も、とりもどした。よく話し、よく笑った。


そんなオーガスを見ると、蘭は安心した。


そのころ、春蘭が自殺をくりかえしていた時期だったので、オーガスの笑顔は、それだけで嬉しかった。オーガスのなかの胡蝶が笑ってるような気がして。


「僕は自分のクローンに冷たかったのかな。三体が三体とも不幸になるなんて。でも、ほかに、どうしたらよかったんだろう? ある朝、急に自分が四人になりましたって言われて、ほかの人は仲よくなれるもんなの?

僕にはできない。だって、怖いじゃないですか。自分のイヤなとこを見せつけられてるみたいで。それにカガミに映したような顔を見ると、なんとなく、彼らには僕の心の内が見透かされてしまいそうな気がする」


それもまた秋。

田んぼのあぜ道を歩きながら、蘭はオーガスと話していた。

猛はボートを使って世界中を飛びまわることが多く、留守がちだった。


「蘭は自分のことが嫌いなんじゃないですか?」


「そうかな。容姿は好き。亡くなった母にそっくりなんだ。だから好き」と言ったあと、少し考える。


「でも……そうだな。ちょっと嫌いでもあるのかもね。この容姿のせいで、たくさんの人を死なせちゃったし。母も、沙姫も、瑛次も、みんな好きだったのに。僕のせいで自殺した。僕が殺したようなものだ」


「悔いている?」

「悔いても、どうにもならないけどね」


蘭は、あぜ道のわきに生えるヒガンバナを一本、たおった。それをふりまわして、赤トンボを追う。日が暮れかけていた。


「でも、一番の原因は、猛さんや水魚をとられそうな気がして、イヤなだけ。僕は欲張りなんだ。好きな人には、ずっと僕のことだけ見ててほしい」


オーガスは笑った。


「たしかに、あなたは欲張りだ。だが、あなたに独占したいと思われる人は幸せだ」

「あなたのことも好きですよ。僕たち、もう友達じゃないですか」


オーガスのおもてがくもる。


「あなたのことは好きです。友達になれて嬉しい。だが、なぜだろう。近ごろ、変な夢を見る。はっきりした夢ではないが。その夢を見ると、むしょうに、あなたを……」


オーガスは口元をおさえて、口をつぐんだ。


「いや……忘れてください」


蘭はオーガスの青く澄んだ瞳を見つめた。その内に秘めた感情の機微を読みとるために。


「僕が憎くなる?」

「憎い? いや……違う。劣等感? あこがれ? それだけでもない。何かこう、土星の重力のように重い気分です」

「それはきっと、胡蝶の心だ。胡蝶は僕を憎んでたから」


二人は無言になって、しばらく歩いた。


いつもの習慣で、蘭は用水路をのぞきこむ。

だが、そこにはもう金魚がいるはずはない。三十年前でも怪しかったのに、今になって生きてたら、それはもう奇跡だ。


「帰りましょう。あんまり遅くなると、水魚が心配する。そろそろ、猛さんが帰ってくるかもしれないし」

「そうですね。本当は、この時間の景色が好きなんですが」

「僕もだよ。ぐうぜんだね」


二人のあいだに微笑がもどる。

屋敷に向かって歩きだす。

その直後だ。

二人が背をむけた雑木林から、人がかけてきた。


蘭は気づかなかった。が、オーガスの動きが変わったので、ふりかえった。


そのときには、すでにオーガスは銃をぬいていた。同様に、見なれない型の銃をかまえる女が、オーガスと対峙している。

黒髪、黒い瞳だが、村人ではない。その女は白人だ。顔立ち、骨格、肌の色——アングロサクソン系だろう。


女を前にして、あきらかにオーガスは動揺した。オーガスは、つぶやく。


「アグネス……」


それは、オーガスの死んだはずの恋人の名前だ。


「生きて……いたなのか」

「もちろんです。ロボトミーは安全な手術よ。失敗など、あるわけない」


オーガスのおもてが悲痛にゆがむ。


「ロボトミーは残忍な手術だ、君も、あれほど抵抗したろう? 忘れたのか?」

「あのころは無知で愚かでした。そんなことより、オーガス、生きてたのなら、なぜ使命をはたさないの? そこにいるのは、御子でしょう? 出雲の王をつれ帰ることが、あなたの使命だったはず」

「私はもう大統領の命令にはしたがわない」

「まあ!」


アグネスのその「まあ!」には、サイボーグにできる最大級の感慨が、こもっていた。おどろき、ぶべつ、苛立ち、怒り。そういった感情の形骸が。


「やっぱり、あなた、故障してるのね。いいわ。わたしがやる。わたしは、そのために来た」


オーガスたちの作戦が失敗したから、月の大統領が、蘭をさらうために送りこんできたのだ。

向こうは、こっちの居場所を知ってる。狙おうと思えば、いつでも狙える。

こっちだって、そのためにレーダーを備えたのだが、旧式なので、ステルス機能搭載機種には対応できない。その弱点をつかれた。


「やめろ。アグネス。君はまちがってる」

「まちがってるのは、あなたよ」


いつものオーガスなら、アグネスが撃つ前に対処できたはずだ。でも、オーガスは恋人を前に迷いがある。ロボットのアグネスには迷いがない。


一瞬速く、アグネスが引き金をひいた。

音はしなかった。が、オーガスは倒れた。

ショックガンだ。

最大レベルで撃てば、脳が沸とうするという、例のやつ。


「オーガス!」


蘭は倒れたオーガスに、かけよった。オーガスがにぎったままのオートマチック拳銃をもぎとる。すでに安全装置は外されていた。


蘭は横転しながら、狙いをさだめた。引き金をひく。銃声。


女は悲鳴をあげた。


相討ちで蘭も撃たれた。電磁波にやられて、ちょっとのあいだ、気を失った。でも、脳は沸とうしなかった。メモリが低かったのだ。


(なんだ……おれも、オーガスも、殺されたかと思った)


体は、まだ動かない。目だけを動かし、状況を確認する。


アグネスは肩から血を流し、うんうん、うなってる。しかし、あれなら命に別状はない。


オーガスは蘭よりさきに動けるようになって、半身を起こしていた。


(よかった。訓練、受けとくもんだな。初めて役に立った)


ほっと息をつき、蘭は大地によこたわっていた。


立ちあがったオーガスは、アグネスの落としたショックガンをひろいあげた。


まず武器をとりあげたあと、アグネスを拘束するんだろうと、蘭は思った。

だが、蘭の見ている前で、オーガスは変なことを始めた。カチャカチャと、ショックガンのメモリをあげている。


「……オーガス? なに、して……?」


ろれつのあやふやな口調でたずねる。


すると、オーガスは蘭をふりかえった。


その目を見て、蘭は恐怖をおぼえた。

冷たい目。機械のような?

いや、あの目は、違う。冷たいけれど、その内に激しさを秘めた、青い鬼火のような目だ。


蘭は知っていた。

その目の持ちぬしを。


(胡蝶——)

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