七章 記憶の亡霊 1—3
《夢 近未来14》
「えッ? 僕の娘が見つかった?」
その報告は、蘭にとって寝耳に水だった。
似てない子だなと思いながら、蕗子を自分の子として認知し、骨髄移植もしたというのに。
三十年以上もたってから、じつは、それが間違い、ほんとの娘は別にいましたと言われたのだ。誰だって、おどろく。
「森田をおぼえていますか? 九州のクローンプラントに移動になった」
いつものように、猛たちとの朝食。今日はパン。
水魚のクローン(けっきょく、水魚と呼んでる)に言われて、蘭は、うなずいた。
「もちろん、おぼえてますよ。森田には危険な活動もしてもらったし、研究所の所長でもあった……ええと、まさか、彼が?」
「森田が御子さまの子どもをつれ去り、自分の娘として育ててました。
ちょうど同じころに出産した村人の娘を、御子さまの子どもと、すりかえたのです。
夫婦には、子どもは死産だったと告げて。
完全に所長の職権乱用ですね」
蘭は森田に最後に会ったときのことを思いだす。蘭の手をにぎりしめ、妙に申しわけなさそうに、深々と頭をさげた森田の態度を。
「あれは、そういう意味だったのか。でも、なんで森田は、そんなーー」
言いかけてから、蘭は口をつぐんだ。
心当たりは、あった。
薬屋の潜入から帰ったあと、蘭のパジャマの胸で、涙ぐんで感動していた森田……。
「やっぱり、つまり……そういうこと? 僕に特別な感情を抱いてたとか……」
「やりすぎだと思ってたんだよな」
猛は、するどいところをついてくる。
でも、その手はベーコン、トマト、レタスをトーストにのせ、クラブサンドを作り続けている。ベーコンの量が、スゴイ。
「そうですけど……すぎたことじゃないですか。そんな何十年も前のことを責められても」
それにしても、さっきから、春蘭のようすが、おかしい。そわそわして、落ちつきがない気がする。
「ハル。なんか、僕に隠しごとしてない?」
春蘭は、うつむいて、ポリポリ、セロリをかじっている。
蘭が、だまって見つめ続けていると、あきらめたように、ため息をついた。
「……ごめんなさい。あの夜は胡蝶が死んで、ほんとに、さみしかったんです。一人じゃいられなくて……」
あやうく、蘭は二百年前のガンコ親父みたいに、ちゃぶ台をひっくりかえすところだ。
ほんとにしてやろうかと、両手をかけるところまで、やってみた。
が、食い物の鬼の猛が、テーブルを押さえてガードに入ったので、やめた。力では猛に、かなわない。
「春蘭? まさかと思うけど、森田と深い仲になったりしてないよね?」
「……ごめんなさい」
「うわあッ、信じらんない! わかってんのか? おまえの体は、おれの体なんだよ。ありえない。
何度、犯されそうになっても、ずっと守ってきたのに! 男の誇りってもんがないの? おまえには」
「森田とは一度だけだよ……」
「森田とは……?」
蘭は見知らぬ複数の男の手が、自分の体をはいまわってるような感覚に、背筋をふるわせた。
「あ……ごめんなさい。言っちゃいけないことでした。でも、もう、あんなことはやめたから。この屋敷に来てからは、一度もないよ」
「あたりまえだ!」
蘭は本気で怒ってるのに、春蘭は嬉しそうに微笑した。
「お兄さんって、怒るとカトレアに、そっくりになるんですね」
カトレアは幼稚でガサツーーと、蘭自身は思っていた。そのカトレアに似てると言われ、ぐっと言葉に、つまる。
「……わかった。その件は、もういい。そのかわり、二つ約束しろ。
一つ、今後いっさい、おまえの男性遍歴を語るな。二つ、このさき、おまえが死ぬまで、絶対に男とは寝るな。以上」
自分は水魚と、あんなことになってたが、そこは棚上げだ。相手が水魚ならいいのだ。それに、自分は挿入までは許してない。
あれは、あくまで健全な成人男子として処理しなければならない生理現象ーーと、蘭は思っている。
「約束するんなら、ゆるす」
「はい……お兄さん」
ともかく、今は娘の所在だ。
「それで、僕の娘ってのは、どうなるの?」
水魚が答える。
「こちらで引きとることにしました。森田は泣いてましたけど」
「引きとるって、こっちには蕗子がいるだろ。どうすんの? まさか二人いっしょに菊子が育てるわけにはいかないだろうし。
それとも、蕗子は、ほんとの両親に返すの?」
「蕗子のことは、蕗子と両親が相談して決めたらいいんじゃないか?」と、猛。
「正論ですね。じゃあ、あとは、ほんとの娘か。猛さんは、どうしたらいいと思う?」
「どうせなら、この屋敷で、いっしょに暮らせば? 大人になってから急に帰ってこられても、菊子も困惑するだろうし」
水魚が、また答える。
「菊子は自分が引きとるつもりのようですよ」
どうでもいいが、白無垢の着物で、トーストをかじる姿は、なんともミスマッチ。
帝国ホテルの厨房にあらわれて、こっそり洋食を盗み食いする、新しもの好きの明治時代の亡霊みたい。
しかも、水魚のトーストは、バターとイチゴジャムの、てんこ盛り。顔に似合わず、超甘党なのだ。好物は善哉と、きなこ餅。
これでスリムな体型を維持できてるのは、巫子体質のおかげだろうか。
「まあ、菊子が、その気なら、任せてもいいし。とりあえず、会ってからだね。僕は子どもなんて興味ないですから」
なんて言ってたのに、目の前につれてこられた娘を見て、蘭は、あぜんとした。
いや、あってはならないことだが、胸の奥がよじれるような高鳴りさえ感じた。
「……母に、そっくりだ」
蘭が中二のとき、事故死した母。
蘭のストーカー事件で悩み、睡眠薬を多用しすぎたのだ。事故なのか自殺なのかも、よくわからない。
はっきりしてるのは、母が病むほどに、蘭を愛していたこと。
その母に、娘は瓜二つだ。
蘭が幼いころの、うんと若い母に。
両親(菊子、カトレア)が巫子だから、やはり本人も巫子だった。三十はすぎてるはずなのに、十八、九にしか見えない。
「鈴蘭です」
「鈴蘭か。かわいい名前だね。森田はネーミングのセンスはあるみたい」
鈴蘭は、だまって三つ指ついてる。
きっと森田は、蘭の娘を自分の理想の女に育てようとしたんだろう。
鈴蘭は容姿が美しいだけでなく、しつけも行き届いていた。大正生まれの雪絵に匹敵する、やまとなでしこだ。
蘭はひさしぶりに異性を見てドキドキした。遺伝的には、まぎれもなく実の娘だ。ゆるされないことだというのは、わかってるのだが。
なにしろ、外見上、蘭は二十六、鈴蘭は十八。容姿もムチャクチャ蘭好みだ。蘭はナルシストのマザコンだ。
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