七章 記憶の亡霊 1—2

《近未来 菊子1》



菊子には、ふしぎでならなかった。

娘の蕗子のことだ。

これが、あのカトレアの子どもだとは、どうしても思えない。


人の容姿の美醜は、かならずしも遺伝子で、すべてが決まるわけではない。親から遺伝でもらうパーツの配置には、ぐうぜんが作用する。


しかし、そもそも蕗子は、そのパーツが、どの一つとして、カトレアに似てない。といって、菊子に似てるとも思えない。


いつも、ふてくされて見える、しゃくれた口元。白目がちの陰気な細い目。


鼻の丸っこいのは子どものころは可愛かったが、大人になると、心配していたとおりに難点になった。


性格も、陽気で、あけっぴろげで、子どもっぽいカトレアとは正反対だ。


もしかして自分に似たのだろうかと思い、性格のことは、あきらめた。


御子さまがおっしゃったように、隔世遺伝なのかもしれない……。


なんにせよ、この子はカトレアの子どもなんだからーーつまりは、御子さまの子どもであることは、まちがいない。


そう自分に言い聞かせ、菊子は蕗子を愛そうと、つとめた。


蕗子が幼いうちは、いくらか、それが成功していた。だが、反抗期にかかったころから、もうガマンできないと思うことが、しばしばあった。


ほんとに、これが、自分の子?


あの美しく聡明な御子さまの子?


どんどん、みにくくなってくし、勉強だって、ちっとも伸びない。


もうイヤ。こんな子。


この子が、わたしと御子さまの距離をちぢめてくれると思って生んだのに。むしろ、距離は広がっていく。


御子さまに、うとましく思われてるに違いない。それは、しかたない。母親のわたしだって、イヤになるような子なんだもの。


焼くなり煮るなり好きにしてと、御子さまは、おっしゃった。ほんとに焼いてしまおうかしら。煮てしまおうかしら。


いいえ。いけない。


そんなこと考えるなんて、わたしは母親失格だ。


ずっと、お慕いしてきた御子さま。


初めて見たとき、心臓が止まるかと思った。


女性かと見まごうほど麗しいのに、態度は俊敏な男性で、しかも気品に満ちている。


そして、その凛とした力強さは、内に秘めた激しさから来るのだと知った。


研究所の床に血みどろになって倒れた、瀕死の水魚に、彼が見せた愛着。


物静かに見えるけれど、この人は、とても激しい。この人にこれほど深く愛される人は、なんて幸せなんだろう。


けれど、それが自分に与えられないことも、菊子は知っていた。御子は過去の経験から、女性には、とくにガードが硬い。


それなら、せめて、あの人の子がほしい。その子が、たとえ、どんな子でも、御子さまと思い、大切にしよう。


そう考えて、カトレアをだまして手に入れた子だ。


菊子は研究者だから、体外受精のやりかたには精通している。


精子の死なない細工をした避妊具をカトレアに渡し、そこから取った精子と自分の卵子を授精させた。


そうまでして手に入れた子どもなのに、なぜ自分は蕗子を愛せないのだろう。


そんなときだ。


あの夫婦を見たのは。


医療外来から嬉しげに帰っていく夫婦だった。


その顔を見た瞬間、がくぜんとした。


似ている。いや、そっくりだ。


夫婦の顔のパーツは、まぎれもなく蕗子と同じ遺伝子からなるものだ。


「ちょっと待ってください。たしか、井本さんご夫妻ですよね? 二十年前に……お子さんを出産された」


菊子が声をかけると、夫婦の笑顔が、ほんのり、くもった。


「あのときは、死産で……でも、家内が、また妊娠したんです。今度こそ丈夫な子が生まれて来うよう、これから神社にお参りします」


菊子は、ぼうぜんとした。


(二十年前、死産……まさか)


当時のカルテを調べるまでもない。


これまで、ずっと、結果が恐ろしくて、なんとなく、それだけは避けていた方法。


DNA鑑定をすればすむだけ。


蕗子の遺伝情報を、菊子と御子さまの遺伝情報と比較する。


(やっぱり……)


心のどこかで、予測していたとおりの結果だった。


蕗子は、菊子の娘じゃない。愛しい御子さまの子でもない。


すりかえられたのだ。


でも、いったい、誰に? どうやって?


そして今、わたしたちの大切な娘は、いったい、どこに?


菊子は必死に探した。


そして、ようやく見つけた。


思いがけない人物のもとだった。


菊子の娘は、森田の一人娘として育っていた。

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