四章 変容の月 2—3


《近未来 昼子1》



 ある意味、昼子は多くの人に望まれて誕生した、祝福された子だ。

 同時に、彼女自身の尊厳はいっさい認められない子でもあった。

 生まれる前から、苛酷な生体実験の被験体になることが決定されていたからだ。


 それは藤村の生き神『御子』を守るためのイケニエだった。


 城之内を代表とする研究者が藤村を占領し、巫子たちを残酷な実験にさらしたとき。

 水魚はあるウソをついた。

 御子は今、自分の内にあると。

 そして、次の御子は、自分と契った女の腹に宿ると。


 本当は、当時、御子は別人に憑いていた。

 村の青年、池野星夜だ。

 水魚は御子を守るため、偽りの御子として、昼子を作った。水魚の子と研究員には言ってあったが、昼子は池野の子だ。

 つまり、昼子も巫子として生まれた。御子を宿す人の子どもは、生まれつき不老長寿の巫子になる。


 昼子は大人たちの思惑で、研究所のイケニエに捧げられた。

 そのあいだに真の御子は、よその土地へ逃がされた。


 蘭だ。

 昼子は蘭のためのイケニエだった。

 物心ついたときには、研究所のなかで血をとられたり、肉をとられたり。痛い注射をされたり。泡をふいて倒れる薬剤のまざった食事を食べさせられた。

 およそ考えられるかぎりの実験をされた。

 よく解剖もされた。麻酔をされることもあったが、されないことも多かった。そのときの昼子の体のデータをとるために。


 母の愛も父の愛も知らない。

 巫子は、みんな、成人までの成長は速い。昼子も五さいのときには、ふつうの人の十五くらいに成長していた。

 そのとき、すでに母は死んでいた。研究所との争いから殺されたらしい。

 父と言われる水魚からは、愛情はいっさい感じられなかった。

 水魚にとっては、蘭を無事に逃がしたとき、昼子の存在する意義は終わっていたのだと、のちになって知った。

 ただ、水魚も黙って研究員たちの実験に蹂躙じゅうりんされていたから、自分たちはそういう生き物なんだと、昼子は理解した。


 とつぜん、解放されたのは、昼子が十さいのとき。外見は五さいのころのまま。いったん大きくなると、そのあとの成長は遅い。

 水魚が研究員たちに対し、決死の報復をとげたのだと菊子が言った。ラボから昼子を出しながら。


 菊子のことは嫌いだ。

 いつも昼子に同情的な目を向けながら、痛いことをたくさんしたから。


「昼子。今日まで、ごめんなさい。でも、もういいのよ。あなたは自由になったわ。わたしたちは、ふるさとをとりもどした」


 感激して抱きしめてくる菊子を、昼子はうかがった。今度は昼子の精神の動きを観察する実験でも始めたのかもしれないと思って。

 きっと、そうだ。ここは喜んだふりしておかないと、異常とみなされるかもしれない。


「ほんと? ほんとにもういいの?」

「そうよ。怖い研究員はいなくなったの。今日からこの研究所は、わたしたちのものよ」


 ウソばっかり。研究員はここにいる。ここに、菊子が。


 けれど、黙って手をひかれていく。

 すると、そこに、水魚とあの人たちがいた。

 手術台の上で、ぐったりしてる背の高い男。その男の手をにぎりしめてる、もう一人の男。男……だろう。おそらくは。

 これまで、昼子の見たどんな男とも違っていたが。くちびるなんて、口紅をつけた菊子の口より、つやつやして赤い。


 今まで昼子の生活には審美眼なんて必要なかった。でも、ひとめ見た瞬間に、強い衝撃を受けた。

 紫外線への抵抗と再生力をしらべるために、こうこうと照らすライトに、二十四時間さらされたときの感じ。


 怖いけど、目が離せない。


「あの人たちはなんの実験をしてるの?」


 たずねると、菊子は苦笑した。


「あれは実験ではないの。御子さまの骨髄をあの人に移植したのよ。常人にいきなり骨髄移植は、さすがに負担が大きかったみたいね。でも、東堂はすごい体力と精神力の持ちぬしだわ」

「御子さま?」


 御子は、わたしよ。だって、わたしは御子だから、実験に協力する義務があるんだって、水魚が言ってた。人類のさらなる進化と発展のために協力するんだって。


 菊子は目をふせた。

「……あのかたが、ほんとの御子さまなの。あなたは彼を守るために、献身的な犠牲をはらってくれたわ」


 犠牲? 献身的? 菊子は何を言ってるの? 御子はわたしよ。みんな、そう言ってたじゃない。


「水魚。昼子をつれてきたわ」

「ああ。池野を呼んでくるといい。彼の娘だ」


 手術台を離れて、水魚が近づいてきた。

 昼子は水魚にたずねた。


「水魚。菊子が……わたしを御子じゃないって言うの」


 あっけなく、水魚は肯定する。


「ああ。そうだよ。もう偽る必要はなくなった。君は御子じゃない。私たちと同じシャーマン。御子さまをお守りするための存在だ」

「でも、今まで、わたしが御子だからって……」

「御子さまを研究員の目から隠す必要があったからね。君には犠牲になってもらった。恨むなら私を恨みなさい。すべて、私が計画し、実行したこと。私は御子さまと村を守るためなら、なんでもする」


 このとき、昼子の世界は終わったんだと思う。

 あの苦痛に耐えるための自己存在理由は、『御子だから』。

 その唯一にして絶対のよりどころが失われてしまった。


 そのあと、いっさいの記憶がない。

 昼子は父のもとへ引きとられた。父や祖父母と暮らしたが、何も感じることなく、何も見えてなかった。


「かわいそうに。よっぽど、えらいめに(ひどいめに)あっただね」


 ふびんに思ったのか、父や祖父母は優しかった。いや、優しかったんだと思う。

 昼子は、ただ、されるがままに食事をし、風呂に入り、着替えたり、歩いたり、トイレへ行ったりした。

 人形のように暮らしていた。でも、ときおり、声が聞こえることはあった。


「この子か。僕のかわりに犠牲になってくれたのって」

「実験の後遺症で、自分のことが、なんもわかっちょらんみたいです」


 父と、あの人が話してる。あの痛いほど、まぶしい光をはなつ人。

 本物の……御子。

 御子がそばにいるときだけ、まわりが見える。まるで暗闇に光がさしてきたように。


「やっぱり、池野さんに似てますね」

「そげですか? わより、美咲さんに似ちょうでしょ?」

「僕はその人のこと、あんまり覚えてないんだよね。おとなしそうな人だと思っただけで。かーくんは仲よかったみたいだけど」

「はあ、かーくん。なつかしいわ。元気にしちょらいだらか(元気にしてるかな)。あのころは幸せだったねえ」

「僕は今でも幸せですよ。みんながいてくれるから」

「蘭さん……」


 父は照れくさそうに赤くなる。


 御子が笑うと、みんなが笑う。

 御子が悲しむと、みんなが悲しむ。

 彼は本物の御子だから。


 御子は昼子の顔をのぞきこんで言った。


「ごめんね。僕だけ、みんなに守られてるばっかりで。君が早くよくなることを願うよ」


 よくなる? よくなるって、どういうこと?

 わたしは、どこも悪くない。

 わたしは御子でないと生きてる価値はないから。みんなの言うとおりにしてるだけ。


 どうか実験してください。

 わたしのこと、切り刻みたいんでしょ?

 体のパーツをどこまで刻めば、再生不能になるか、見てみたいんでしょ?

 わたしの心臓が止まってから、何分後に動きだすか、知りたいんでしょ?

 放射線に侵されても奇形化しないレベルは、常人の数千倍。

 だって、異常染色体はそくざにアポトーシスが始まって、次々にES細胞がおぎなうから……。


「じゃあね。昼子。また来るよ」


 御子が昼子の頭に手をのせた。

 その瞬間、昼子は感じた。

 いる。この人のなかに、『アレ』がいる。

 昼子と同じ、切り刻まれた人が。


「御子……」

「今、御子って言った? もしかして、僕のこと、わかってるんじゃない?」

「この子が口きいたの、うちに来て初めてですが」


 父たちの喜ぶ声がしだいに遠くなる。

 昼子は、また一人、闇のなか。


 御子は泣いていた。

 泣きながら眠っていた。


 子守唄を歌ってあげないと。

 かわいそうなあの人が、もう泣かなくていいように……。

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