二章 海と星、金魚 1—2
馬淵とは連絡じたい、つかなかった。
数年前に妻子をつれて、海外へ移住していた。馬淵の彫刻は、そっちのほうが評価が高かったから。
きっと、異国の地で果てたのだろう。愛する人を胸に抱きながら。それもまた、馬淵らしい。
つかのま、昔の友人を思いだし、蘭の気持ちはふさいだ。
しかし、ドアがあいて、猛や安藤たちが車両に入ってきた。蘭は我に返り、息をひそめる。誰も気づかないようだ。
ワンボックスカーは、すべるように発車した。
出口は研究所がわのトンネルだ。鉄扉が開門する。三両の車は山道を走りだした。
アスファルトは村人が定期的に点検している。まだ健在だ。
問題は乗り心地である。武器や機材の上に身をふせているので、かたくて痛くて涙が出る。
それでも、一時間は耐えた。深い中国山地をこの態勢で耐えられる限界まで耐えた。
ここまで来れば、猛だって、引き返して、蘭を追いはらおうとはしないだろう。
「もうダメ! 限界。僕も、そっちに乗せてください」
蘭はとびおきた。
それをバックミラーで見た安藤が、急ブレーキをふむ。
助手席の猛は、あわてて立ちあがろうとして、頭を天井にぶつける。
後部座席の池野と田村は絶句している。
「な——蘭! なんで、こんなとこに!」
「そんなの今さら、どうだっていいじゃないですか。今から引き返しますか? 往復二時間のロスになりますよ? 夕方までに村に帰れなくなる。ね? そっちに行っていいでしょ?」
猛は頭をさすりながら、うなる。
「さては計画的だな。蘭、おまえってやつは、ちっとも変わらない。たまに暴走して、おれを困らせる」
「土足で失礼——あ、池野さん。田村さん。わきによけてください。そこに行くから」
車内のメンバーは全員、パンデミック前からの友人だ。えんりょなく、シートを乗りこえて、後部座席に移った。
運転席の安藤が、隊長の猛をあおぐ。
「どげしますか? 猛さん」
猛は蘭をにらむ。が、不承不承、承知した。
「しかたない。このまま行こう。でも、いいな? 蘭。おまえは車内から一歩も外に出るな」
「二十年ぶりの海なのに? 泳げる季節じゃないけど。潮風くらいは、あびたいですよ」
「窓から、ながめるだけでガマンしてろ」
いつも泰然とかまえた猛がピリピリしてる。
もしかして、外の世界は、蘭が思ってるより、はるかに危険なんだろうか。
「……ごめんなさい。でも、このごろ、なんとなく不安なんです。どうしてなのか、自分でも、わからないけど」
猛は苦い顔をした。
「もういいよ。でも、おまえの身の安全のためだからな。絶対、外に出るなよ?」
「わかりました。これ以上、ワガママ言いません」
ワンボックスカーは、ふたたび動きだした。
乗り物に乗るのも二十年ぶりだ。
これまでの二十年間、乗り物といえば、村祭のとき、蘭を乗せて村じゅうを歩く神輿くらいだった。
あるいは、猛のこぐ自転車の荷台に乗せてもらうとき。あぜ道はガタガタして、けっこうスリリング。
(あれ? でも……あれは、いつだったっけ?)
ふと、蘭の脳裏をふしぎな映像がよぎった。
いつだったかは忘れたが、猛と二人、馬に乗って草原を走ったような気がする。馬なんて、蘭は乗れないし、それに、あの風景は不二村のなかじゃなかった。もっと広い一面の草原だ。
(葦原のなかつ国。古事記にでも出てきそうな景色だったな。人工物なんて、まるでなくて)
蘭は窓の外をながれる景色を見ながら思索にふけった。
山間部から斐伊川ぞいに平地に出る。
かつて、出雲の穀倉地帯だった斐川平野だ。
以前、蘭が見たときは美しい水田だった。今はススキやアザミや、セイタカアワダチソウが、見渡すかぎり、地面をおおいつくしていた。
「稲は水びたしじゃないと育たないから、自生しにくいんですね。このへんは湿地ってわけじゃないし」
人家も、あちこち半壊だ。人の住んでるようすはない。枯れ木だと思ったのは、電柱のなれのはてだ。家畜や人間の死骸らしきものも、ポツポツ見える。
むなしくなるほどの荒廃。
ここにも、かつては文明が通っていたのだ。
これを見ると、不二村が最後のユートピアと言われるのも実感できた。
わざわざ、村を出てきて、見るほどのものは何もない。今現在、日本中で、もっとも美しいものは、すべて不二村のなかに存在する。
トラックを従えたワンボックスカーは、北へ向かう。アスファルトはヒビ割れているが、かろうじて車の走行をゆるしている。
製塩が目的だから、海に出なければならない。平原をつっきり、ふたたび山をこえたさきに、日本海が広がっている。
海の色は、パンデミック前と同じだった。
秋晴れの空のもと、涼しげにきらめいてる。
とても美しい。
これまで、蘭が見たなかで、一番と言えるほど。
「日本海って、荒れた冬のイメージしかなかったけど、おだやかなのもいいですね」
「じゃあ、おとなしく、ここで、ながめてろよ。池野。おまえは蘭についててくれ。昼飯には呼ぶから」
海岸ぞいの道に、車が止まる。
トラックのほうは、柵のこわれたところから、砂浜まで入っていった。
「猛さんと、いたいのに」
「誰のために漁に行くんだっけ? それとも、海の幸はあきらめるか?」
「そうでした」
猛は、その場で、革ジャンからウェットスーツに着替えた。背中の羽と一体化したように全身黒くなる。ますますSFファンタジー。
猛は出ていく前に、蘭の手にスミスアンドウェッソンを手渡してきた。
いちおう、蘭も護身のために射撃訓練は受けている。まだ実戦の経験はないが。訓練中の成績だけなら、猛にも負けてない。
「身の危険を感じたら、迷わず使えよ。いいな? 蘭」
でも、こうして見たところ危険はなさそうだ。往路だって、人影なんて、まったく見えなかった。
この世に生き残ってる人間なんて、もう蘭たち以外には、いないんじゃないのか?
三又のモリを手に、猛は海岸へ歩いていった。塩作りにとりかかる青年団のメンバーに指図しながら、海中へ入っていく。
「うーん。猛さん。モリが似合いすぎるなあ。RPGの悪魔みたい」
蘭はご機嫌なのだが、となりで池野は不安げな声をだす。
「蘭さん。猛さんが言ったやに、ムチャさんでよ?」
「わかってますよ。信用ないなあ」
「蘭さんは見かけによらず、イノシシだけん」
「イノシシは心外。僕はもうちょっと狡猾なつもり。攻撃的って意味なら、ネコ科の獣がいいな。豹とか、ピューマとか」
「イメージどおりだね」
笑っていた池野が、急に消沈した。
「ごめんだよ。わ(私)が、蘭さんに御子を宿したばっかりに。長いこと苦労かけえね」
蘭の前に御子だったのは池野だ。
だから、池野は今でも出会ったころのまま、少年めいて見える。子どものころに御子を宿したので、二十歳くらいで成長が止まってる。
池野を見てると、少し、かーくんを思いだす。
「御子が人から人へ移るものだっていうのは聞いたけど。僕、あのときの記憶がないんですよね。どうやって、僕に御子を移したんですか?」
たずねると、なぜだろう。
池野は真っ赤になった。
「そこは……聞かんほうがいいと思う」
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