二章 海と星、金魚

二章 海と星、金魚 1—1

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《夢 近未来3》



 蘭は朝から落ちつかない。

 猛が塩の調達に行くという。


 たしかに、猛はパンデミック前から武道の達人だ。世界が、こうなってからは、もと自衛隊員や警察官に教えを請い、銃の扱いにも慣れた。

 そのうえ、巫子の再生能力と、疫神の強靭さをあわせ持っている。めったなことで、猛の身が危うくなることはない。


 ただ心配なのは、猛の責任感の強さだ。

 猛は守るべき者があるとき、少なからずムチャをする。

 二十年、いっしょに村を守ってきた仲間に対して、猛が一定以上の愛着と責任を感じてるだろうことは、想像に、かたくない。


(ムチャしなければいいんだけど)


 日本間に膳をならべ、蘭、猛、水魚の三人で食事をしていた。


 朝食の席で考えごとをしてる蘭に対し、とうの猛の魔の手が伸びる。

 蘭がアユの塩焼きを食べようとしたときには、それはこつぜんと姿を消していた。もちろん、猛の口のなかへ。


「あッ、なにしてるんですか。猛さん。メインディッシュをとるなんて」

「ぼんやりしてるからだぞ。蘭。戦場で気をぬくと、こういうめにあうんだ」


 いつか、どこかで聞いたようなセリフ。


 蘭は笑った。


「それ、今の時代じゃシャレになんない!」


 水魚が嬉しそうに笑ってる。

 蘭が笑うと、いつも水魚は、とても喜ぶ。


「アユなら、私のぶんをあげよう。蘭」

「いいんだよ。蘭は川魚は、そんなに好きじゃない」と、猛が勝手に答える。

「それでも、一口くらいは食べたいです」


 猛は蘭の頭に手をのせる。父親がわが子にするみたいに。


「製塩してるあいだに、魚、とってくるよ。今夜は新鮮な海の幸をごちそうしてやる」

「ほんと? 僕、甘鯛が食べたい」

「高級魚、ねらってくるなあ」

「むりなら、メバルとか、スズキとか、トビウオでもいいです」


「あんまり期待するなよ? おれは漁師じゃないんだからな」と言って、猛は立ちあがった。八畳間を出ていく。


 しばらく、蘭はおとなしく食事を続けた。


 村の大豆で作った、揚げ出し豆腐(これは好物)。裏山で栽培されたシイタケ、シメジ、サトイモの煮物。みそ汁はナスビと油揚げ。

 猛にアユをとられたので、完全にベジタリアン食だ。


 料理を作るのは、水魚か雪絵だ。

 八頭家の広い別棟に、この四人だけが住んでいる。

 家事は水魚たちのイトコの愛莉が手伝いに通っている。ちなみに愛莉は安藤の妻だ。

 この別棟には、許しのない者は入れない。

 以前の研究所のほうが設備はととのっていた。が、蘭はこっちのほうが好きだ。実家や、東堂家の町屋を思いだす。


(実家は、もう朽ちただろうな。父や兄たちは骨となり、家財道具も盗まれ。もしかしたら、焼き討ちにあったかもしれない)


 昔のことを思いだしたせいか、やはり不安がつのる。


 蘭はハシをおいて立ちあがった。


「ごちそうさま。水魚。今日は執筆するから、部屋をのぞかないで」

「待って。蘭」


 水魚も立ちあがり、呼びとめてくる。

 蘭は自分の魂胆が、バレたのかと、あせった。が、そうではない。水魚は着物のたもとから、ツゲのくしをとりだす。


「身だしなみは、ちゃんとしてないとね。君は御子さまなんだから」と、蘭の髪をととのえる。

「家のなかにいるだけだよ」

「それでもだよ。ほら、きれいになった。今日も、とても魅力的だ」


 蘭の出来栄えを確認していた水魚は、急にガマンできなくなったらしい。蘭を抱きしめてくる。


「どうかしたの? 水魚」


 たずねても、蘭を抱きしめる腕に力が、こもるばかりだ。巫子は常人より腕力が強い。きゃしゃに見える水魚も例外じゃない。


「苦しいよ。水魚」

「ああ、ごめん。愛情の発露を止められなかった」

「水魚だから許すけど、他の人ならストーカーだよ」

「君に嫌われないようにしなくちゃ。行っていいよ。でも、その前に歯磨きはして」


 水魚に言われたので、書斎に入る前に歯磨きはした。でも、書斎に入ったあと、おとなしくしてるつもりはない。


 こんなこともあろうかと、じつは準備してあるのだ。

 別棟の窓は、すべて、はめころしの格子で、ふさがれてる。が、格子の枠にそって、ノコギリで切りとってある。

 蘭が枠に手をかけると、すっぽり格子が外れた。人間一人が抜けだせるスキマができる。

 クツもデスクの引き出しに隠してある。それを持って、窓から庭に出る。格子は外から直した。


 玉砂利のしかれた日本庭園を、ドロボーみたいに走っていく。


 門前をのぞくと、数台の車両がならんでいた。製塩用の機材と兵士を乗せたトラック二台。

 それに、蘭たちが京都から逃げだすときに使ったワンボックスカー。


 水魚は、いずれガソリンがなくなることを考慮していた。車両は、すべて電気で走るタイプだ。あるいはバイオ燃料とのハイブリッド。


 蘭たちのワンボックスカーも電力だけで走れる。かっこは悪いが天井にソーラー発電機を備えている。こういう時代には重宝した。


 おそらく、今でも走る自動車を有してるコミューンは、薬屋と疫神教団をのぞけば、不二村だけだ。


 猛が部下たちに指図している。

 そのあいだに、こっそり背後から忍びよる。蘭はワンボックスカーのトランクスペースにもぐりこんだ。


 以前は、ここに数日ぶんの保存食や日用品、またアルバムなどの思い出の品をつんでいた。いつでも京都を出て、出雲へ迎えるように。

 今は弾薬やロープ、ワイヤー、工具、予備のバッテリーなどが、乱雑に置かれている。


(僕らの車に弾薬か。以前は、この車で九州や東北や、いろんなところに旅行に行った。キャンプにも行った。キャンプには三村くんや、赤城さん、馬淵さんも呼んで……楽しかったな)


 赤城は蘭たちが村についた翌日、電話で呼びよせた。今でも生きて村にいる。

 もとより、赤城は蘭に心酔していたから、誘うのは簡単だった。家族も仕事も何もかも捨てて、僕のところへ来てくださいと言うだけでよかった。


「わかった。君が、そんなふうに言うのには、よほどのわけがあると思う。今すぐ、そこに行くよ」


 そう言ってかけつけてきた。


 赤城は年商数億十億のファッションブランドのオーナーだった。仕事を捨ててくるのは、そうとうの決意がいったはずだ。

 けれど、来てくれた。


「貯金通帳、持ってきたんだ」

「悪かった?」

「これ、もうすぐ紙クズになるんですよ。まだ四、五日は猶予があるから、僕らに使わせてもらっていいですか?

 あなたに必要なものも急いで買いそろえます。水魚なら有効に使ってくれる。納入が、まにあえばいいけど」


 このとき、村に品物を届けにきて、幸運にも村の一員になった運送業者もいる。


 赤城は今、蘭の専属デザイナーとして、第二の人生を楽しんでいる。


 だが、三村は家族と残る道をえらんだ。

 三村は猛の念写能力を知っていた。

 蘭たちの言葉の裏には重大な意味があると理解したうえで、家族と死ぬ覚悟をしたのだ。


「さそってくれて、ありがとな。けど、おれ、オトンやオカン、ほっとかれへんわ。おまえらとおれて、ごっつ楽しかったで。もし、また会うことができたら、遊びに行こな」

「そうですね。いつかまた、きっと……」


 たがいに守られることはないと知っている約束をして、電話を切った。

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