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豆腐

3つの扉

 毛羽立ったカーペットが、赤い炎でチリチリと音を立てながら少しずつ燃えていくのをただ見ていたような気がする。

 どうして父の顔を思い出せないのだろうか……いつも燃えるカーペットの上で座り込む自分は覚えているのに、燃やした本人の顔が思い出せない。


 5歳だった自分は、母と公園に行く約束をしてその時間まで、父と玩具で遊んでいた。父は、煙草を手に持ったまま寝てしまい、煙草はカーペットへ落ちる。カーペットは、少しずつ少しずつ燃えていく。なんだかそれが面白くて、しばらく何もせず見ていた。気分は科学館のショーをみているような、ワクワク半分と茫然半分。

 

 しばらくして、父は起きて驚き、荷物を少しだけ持って出かける。私を置いて。


 私は炎に見とれていて、父が置き去りにしたことを悪だと認識していなかった。


 カーペットから、ソファに火が移る。私は座り込んでいたせいか、呼吸は苦しくなかった。遠くから消防車の音が聞こえてくる。それと同時に私を呼ぶ母の声が聞こえる。買い物から帰ってきたのかと玄関にいくと、強く抱きしめられ病院に連れて行かれた。


 その日から父は帰ってきていない。家の消火と同時に、父は消失した。


 母は、お金だけはあった。元々お爺ちゃんがお金持ちだったとかで、働かなくても私を育てられたが、将来の為といいながら教師の仕事を辞めることはなかった。何か悩むことがあると「お金だけはあるからね」と言い聞かせるように言った。母の口癖は、なかなかにユニークなものが多い。


 高校3年の春、進路に悩み母に相談した時もそうだった。

「やりたいことがないなら、とりあえず選んでみればいいのよ。お金だけはあるのだから」

 やりたいことがないとは一言も言ってないのに、決めつけられた上にまたもやお金だった。そんな母との2人暮らしも慣れたものだった。


 しかし進路は、悩んで決めたい。特に理由はない。そうする方がいいと知っているから。先生達がそういうから。それから、後悔しないように。でもそれだけ。


 進路希望用紙に、名前と出席番号だけ記入して見つめる。今週は毎日にらめっこしている。友達は、みんな提出したらしい。どうして1から3までの欄に、将来の選択肢をサラサラと書けるのか……まったく理解できない。


「舞―! 先生が呼んでたよ? 放送聞こえてなかったの?」

 学級委員が私を呼ぶ。そう、彼女もこの用紙の欄を埋めている1人だ。もう宇宙人と同じだ。この欄を埋められる人には、理解できないだろう。


「なに? そんな仰々しい目で見ても。進路用紙は埋まらないよ?」

 馬鹿にしているのだろうか……名前と出席番号だけ書いた紙を覗きこんでくる。プライバシーの侵害だ。


「分かってるけど、行きたくないんだもん。絶対、担任に怒られるし」

 やれやれといった表情で、委員長は部活に向かう。


 放課後に教室で紙と睨めっこしているのは私くらいなものだろう。何でもいいと言われても、悩む。成績も、まあまあといったところだからこそ選択肢もそれなりにある。そして母の「金はある」発言のせいで、私立公立国立……どこでも選べる。


 だからこそ困る。母は夕食の希望を聞いておいて、私が何でもいいと言えば怒るくせに、進路は何でもいいらしい。私だって、なんでも良いと言いたい。誰かに任せてしまいたいような、任せたくないようなそんな気持ちだった。


 そんな時、教室の扉が開く。

「やっぱり教室だったか。お前、いつまでそんな紙と睨めっこしてる気だ? さっさと書けよ」


 担任の山本先生は、いつも雑な口調で話すことで有名で生徒から人気の先生である。水色のポロシャツに黒のチノパン……朝の広告でモデルが着ていた服そのまんまである。某有名ブランドのセールで買ったに違いない。


「書くことがあれば、もう書いてますよ。先生だって自分で選べなくて、広告のモデルそのまんまの服着ているじゃないですが。私だって他人に選んで貰いたいくらいですよ」

 

 先生は図星のようで、素知らぬ顔をする。

「お前はすぐ屁理屈を言う。分かったよ……一緒に考えるけど、何に悩んでるんだ?」

 先生は渋々といった顔をしているが、目からは真剣さが感じ取れる。こういうところが人気の理由だろう。


「大学は行きますけど。将来の夢が3つあって、それ次第で大学が変わるのでどうしようかと思ってるんです。入ってから変わるってこともあるとは思うんですが、それでも今どうすればいいものか……」

「なるほどな。それで何になりたいんだ?」

 先生は私の前の席に座り、体だけ私の方を向く。


「1つは教師です。数学の高校教諭になりたいですね。2つ目は警察官、かっこいいですし。3つ目は看護師。全部大学が変わってしまうんですよ」

 先生は、うーんと唸ってから答える。


「なんだか小学生のなりたいものリストみたいだな。どれが1番とか無いのか?」

「あれば悩んでないんですけど」

 私は先生の中に答えがあるとは思っていなかった。


「なるほどな。確かに資格が取れればなれるものばかりだが、大学内に専門の学科があるところでないとだめだな。学科を絞るために悩んでいるのか……良い案があるぞ!」

 先生が思い出したように言う。あまり期待はしないでおこうと思いながら尋ねる。


「なんですか?」

「全然期待していないだろ。まあ騙されたと思って、ここに行ってみなさい」

 そう言って先生が机の上に置いたものは、古びた鍵だった。鍵についているプレートには「旧体育館」と書いている。


「旧体育館の鍵ですか? 入っていいんですか、これ……5年前に立ち入り禁止になったんですよね?」

 先生は不思議そうな顔で答える。

「入っていいわけはないだろ。まあ、ばれなければいいって話だよ。老朽化はそんなにしてないから気にするな。とにかく、2階のギャラリー部分を通って奥の部屋に入ってみれば分かるから。全部解決するだろうからな」


「えー、めちゃくちゃ怖いじゃないですか。でも、面白そうなんで行ってみます」


 先生に軽くお礼を言ってから、教室を飛び出す。旧体育館は、正門から1番遠いテニスコートとプールの更に奥。山沿いの道を20mほど歩いたところにある。耐震の問題と雨漏りから使用禁止になっているが、気味が悪いタイプの老朽化はしていない。まだ使えるようにも見える。


 正面に鍵穴は無く、手で開けるタイプの重い扉はチェーンでつながれていた。渋々、裏に回ると、少し小さい扉がある。ドアノブの鍵穴に、鍵を差し込んでみるとすんなりと回り、扉を開く。


 フワッと埃が舞い出てくる。とっさに口を押えながら、中へゆっくり入る。私は、ふと足元に目を向ける。すこし埃がかった床にスリッパで歩いた足跡のような物がある。私は気になって、足跡を追うことにした。すると足跡は、左手奥の階段に続いていた。


 確か先生も2階のギャラリー部分を奥の部屋に行くように言っていたことを思い出しながら、2階へ上がる。

 とても狭い階段だ。足跡は2階へと続き、上りきるとギャラリーに出ていた。ギャラリーの床はなぜか赤く、まだその奥へと足跡は続いている。


 私は足跡の上を踏むようにして、1歩ずつ歩く。ついに奥の部屋の前まで来た。ドアは横に開けるタイプのようで、取っ手の部分に手を伸ばす。その時、取っ手のよこに、青いペンの落書きを見つけた。


 そこには平仮名で「ここにはかみさまがいます。とびらのなかへいきましょう」と書かれていた。私は、あほらしいなと鼻で笑いつつも何かいるのかと期待しつつ扉を開ける。上手く開かず、ガタッガタッといわせながら少しずつ開ける。


「は…? え、ここどこ……」

 明らかに外から見た部屋の広さではない。場所からしても2畳くらいの部屋だと思って入った場所だが、実際は10畳以上の広さだった。

 造りからあり得るわけがない。もう一度、外から見てみようと後ろを振り返ると入ってきたはずの扉がそこにはなく、ただの壁があるだけだった。


「え……どうして。閉じ込められたんですけど。あ、でも神様いるんだっけ?」

 誰も部屋には居ないはずだが、1人で呟いてしまう。

「あのー、ここはどこなんですか? 神様どうやったら出られるんですか?」


 その時、紙が目の前にふってきた。上には何もないはずだが。その紙を読む。

「すべてのとびらをひらけば、かえれる! じかんはとめているから、だいじょうぶ!」


 だいぶ軽い神様だな。漢字を書こうよ、漢字を。

 確かに目の前には3つの扉がある。鉄の重そうな扉、ロッジにありそうな木の扉、モダンな洋装の扉。これを1つずつ開けないと帰れないらしいのなら、仕方ない。開けるしかない。扉の前に立つ。


 まずは、鉄の重そうな扉。暗い印象ではなく、所々光っているようにも見える。案外、怖くなかった。足跡はここに続いていたから、誰かは同じように味わったはずだから。


 ただ、帰りの足跡がないことだけが妙に気になってしまう。


 扉を開くと、私は透けてしまっていた。透けているんですけど……と言おうと思ったが声が出ない。自由に歩き回ることはできるらしい。ぐるっと部屋を見渡す。どう見ても、実家だ。


 外は真っ暗で時計は3時を指している。その時、ギィーという音を立てて玄関が開く。そこには私が立っていた。大人っぽい…老けてる?

 スーツ姿の私は、小声でただいまというと靴を脱ぎ、リビングに向かう。母が起きてくる。


「今日も遅かったのね……何か事件?」

「そうなの……高速道路で、カーレースゲームするお馬鹿がいたせいで、睡眠時間が削られたわ」

 私は、どうやら警察官になったらしい。机においた警察手帳と、疲れ切った私の顔を何度も見る。苦労するんだなあ……。


 場面が切り替わり、私と先輩はパトカーでどこかへ向かっている。指名手配中の連続殺人犯を見かけたと通報が入ったようだ。

「先輩。犯人は、人質を取る可能性もありますよね」

 先輩らしき男性は、真剣な面持ちで頷く。

「ああ。ショッピングモールの中心だからな……慎重にいくぞ」

「はい!!」


 また、場面が切り替わり、会議室になる。入口には「啓子ちゃん誘拐事件」と書かれた紙が貼られていた。ドラマみたいだなと思いながら、私を探す。私は先輩の横に座り、捜査報告をしていた。


「……よって、啓子ちゃんは祖父の家から自分の家へ帰る途中で誘拐されたと考えられます。現在、監視カメラを分析しております。以上です」

「なるほど、進展があれば報告しなさい」


 いちいち堂々とした自分に感心しながらも、目の下のクマなど疲れが顔に出ていることが不安になった。警察官って毎日大変って理解していても、実際に苦悩している自分をみると、どうしようもない気持ちになるなあ……


 会議が終わる頃、視界の中心から白い靄が広がって埋め尽くしていき、真っ白になる。気が付くと、元の部屋に戻ってきている。もう透けてはいなかった。鉄の扉は消え、残り2つの扉が隣に並んでいるだけになっていた。どうやら、部屋に入ると扉は消えてしまうらしい。


 恐る恐る木の扉に近づく。何となく数年前に訪れた足柄のロッジの扉に似ているような気がする。私が扉に入る事を躊躇していると、また頭上から紙が降ってくる。もちろん頭上には何もない。


 床に落ちてしまった紙を拾い上げる。

「つぎ、いってみよー!」

 またもや軽い。ここの神様は何を祭っているのか知らないが、小学生のテンションである。


 時間は止めていると言っていたものの、逸る気持ちがあるのは違いない。木で出来た扉を、開く。


 同じように体が透ける。見覚えのある教室の真ん中と教壇に私は居た。もちろん透けている方は真ん中。少し大人びた私は教壇。


「はい! みんな明日から夏休みだからって浮かれすぎ! じゃあ、この問題解けたら後は自習でも良いから、解いてみて」

 未来の私は、スラスラと長い問題文を書く。もうチョークは無くなっているのか、ホワイトボードにペンで書きなぐる。相変わらず綺麗とは言えない字に、改めて私だということを再認識させられる。


「先生、これ難しくないですか?」

「ちょっとテストの最後に出すような問題じゃないですか……このパターンで出される時、いつも解けないんですけど~」

 不満そうに何人かの男子が口に出す。私も解いてみようかと頭を捻るが、さっぱり分からない。どうやら未来の私は、教室が五月蠅いと、意地悪な問題を出して黙らせるお決まりのパターンがあるらしい。

 とても楽しそうに授業が進められていて、少し安心する。


 場面が切り替わり、職員室。私はどうやら授業で使うプリントの作成をしているらしい。忙しい中でも工夫することは忘れておらず、分かりやすく説き方がまとめられている。しっかり仕事をこなしているようで、嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちになる。


 しかし、他の先生とのコミュニケーションが明らかに少ない。それよりも……避けられているような。今でも仲良い友達が少ないせいか、大人になっても上手く付き合えていないのかもしれない。大学では、少し特訓しておいた方がいいかも。


 そして場面が切り替わり、知らない部屋になる。私は、玄関からスーパーの袋を持ちながら入ってくる。ただいまと声をかけるものの、部屋は静まり返ったままだ。1LDKの知らない部屋は、茶色で統一されたインテリアが並び、机にサボテンだけがポツンと置かれている。


 意外と片づけられている部屋で、どうやら一人暮らししているようだった。私はキッチンで手早く野菜を切り、煮込んでいく。慣れた手つきから毎日料理していることが分かる。ちなみに高校生の私は、野菜すら切れないのできっと何度も作っているうちに上手くなったのだろう。


 1人寂しく食事をする自分を見つめる。大人になって成長した自分をみることは、もう1つの扉を開けても容易だろう。でも、どこでも少し寂しさを感じる。それが大人になることなのかもしれないが、私にはまだ分からなかった。


 食事を終える私を見ていると、再び白い点が広がり視界を埋め尽くす。まばたきした次の瞬間には、洋装の扉の前にいた。いかにも、早く開けろと言わんばかりに。言われなくてもそうする。


 洋装のモダンな扉は、ガチャリと音を立てて開く。クリーム色の廊下に立っている。もう3回目とあって慣れてくる。私はどこだろう。廊下の窓から見える光景はうす暗く、まだ夜明け前だということが分かる。


 少し先の部屋から声がする。入院病棟の個室のようで、501と書かれた札を横目に中に入る。居た。私は、寝たきりのお爺ちゃんの世話をしている。


「前田さん……毎朝5時にナースコールを押すのはやめてくださいね」

 私は看護師の格好で、床におちたナースコールボタンを元の位置に戻す。前田さんと呼ばれたお爺さんは、何故か笑うばかりで私が言っていることを理解していないようだった。   私はお爺さんの布団を整えて、ナースステーションへ戻っていく。


 看護師の仕事をしていれば、話の分からない人の相手も多くするのだろう。私の顔は今までになく疲れているように見えた。

 しかし、ナースステーションでは他の看護師さんと上手く話している。看護師同士の関係性も難しそうと予想していたが、和気藹々といった感じである。どうやら良い人間関係に恵まれたらしい。


 時間が進んだように、場面が切り替わり朝の採血の為にバタバタと準備をしている。看護師という仕事も、予想どおり忙しそうだがやりがいを感じているようだった。


 いつもと違うことは朝以外あまり人と話している様子がなかったこと位だった。採血を長い時間していたり、検体を運んだり……とにかくずっと動いている印象で、あまり人と話すことは少ないようだった。


 場面が切り替わり、疲れ切った体で家に帰る。木の扉と同じ、独り暮らしの部屋に帰ってくる。準夜勤明けのようで、日付は跨いでしまっている。コンビニで買ったサラダとスープを机で食べて、化粧を落として布団に入る。


 充実してはいるものの屍のように寝る私をみて、不安を覚えないといえば嘘になる。家に着いてからがプライベートだというのに、毎日が作業のような生活に見え、無機質に感じる。


 仕事の場面しか見られないため分からないが、休みの日は何か楽しいことをしているのだろうか……いくら仕事にやりがいがあっても、こんな私はいつか倒れてしまいそうで。つい、長く直視できず、目を逸らす。


 その時、白い点が視界の中心から絵の具が滲むように広がっていき、それは埋め尽くされる。最初の部屋に戻ってきたものの、もう扉はない。もちろん入ってきたはずの扉も。


 どうしたものかと、10畳ほどの部屋を歩き回ってみるが出られそうなところはない。声を出してみようかと上を見上げると、また紙がひらひらと舞いながら落ちてくる。床に落ちる前に、手に取る。


「あとは、じぶんできめてね!」

 あと……将来のことだろうか。それよりも、今はどうすればいいか聞いてみようとしたその時、強い眠気に襲われる。白い部屋で、床に膝をつく瞬間までは意識があった。


「加藤! そろそろ起きろよ! 下校時刻になるぞ!」

 山本先生の声でよだれを拭き取り、目を覚ます。右腕が痺れている……自分の席で腕を枕にして、いつのまにか眠っていたらしい。それは、そうだろう。白い部屋で謎の未来を見るなんて、夢に決まっている。


「すいません、先生。すぐに帰ります」

 私は急いで、机の中身をリュックに詰め込む。早く帰らないと母さんに怒られる。トントンと先生が机を叩く。


「なんですか?」

 机の上を見ると進路用紙が白紙のまま置かれている。

「これ書いて帰れよ」

 まだ決めていないと言おうとして、先生の人差し指でクルクルと回されている鍵に釘付けになる。あれは確かに私が開けた旧体育館の鍵……。


「先生……私」

 まだ決まっていないと言おうとしたものの、喉元で引っかかって出てこない。

「いや、あの場所に行って決まっていないというはずはない。本当は決まっているはずだ……そうだろ?」

 先生は、まっすぐにこちらを見たまま指で鍵を回す。あの部屋には、出た形跡がなかった。埃の上を踏んだ跡は、入った時の物だけ……確かに私はあそこに行って、選択した未来を見てきたのだという実感が湧いてくる。


 3つの夢を見てきた。どの夢も良い面と悪い面があって……現実が同じようになるとは分からないけれど、1つだけ決めなければならない。

 私はシャーペンを振って芯を出して、紙に書き込む。先生は興味津々に覗き込んでくる。後でいくらでも見られるくせに……。


「おっ! やっぱり決まっていたのか。何だ? 法学部か。ということは警察官の道を選んだのか」


 住んでいる県の国立大学法学部を書きこんで、先生に押し付ける。

「先生も、あの部屋に?」

 先生は紙を受け取りながら、少し照れくさそうにする。

「まあな……まだ体育館は使われたころに少しだけな。他の生徒には秘密だからな」


 先生は念を押すようにいう。非現実的なことは、秘密にしておく方が美味しい。

「もちろんですよ! 誰にも言いません」


 そう言い残して、教室を後にする。

「加藤、何で警察官にしたんだ? 他の2つがそんなに悪い未来だったのか?」

 教室のドアを締め、鍵を掛けながら先生は聞いてくる。

「悪い未来では無かったですけど……詳しい事は秘密です!」


 先生に挨拶をして下駄箱に向かう。もう夕食まで時間がない……仕方ないから走って帰ろうかな。


 あの夢のなかで、看護師と教師をしている時だけ見てしまった。1LDKの部屋で、小さな小さな1人暮らし用の仏壇。警察官をしている時は実家暮らしだったのに、なぜか他の2つでは、1人暮らししていた。


 仏壇の前においてあった写真のなかは見えなかった。ただ、今食事の準備をしてくれている人かもしれないという不安があった。何か選択する時、少しずつ変わっていくのかもしれない。


 前に見た映画を思い出す。小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側で台風を起こすこともある。台風は誰かの死かもしれないし、生なのかも。

 こんな理由を先生に知られたら怒られるだろうか……でも、なりたい気持ちが同じなら、最後に決定する理由は「他人から見ればくだらないもの」でも十分かもしれない。

 

 本当はただ、今日のように家から漂う美味しそうな匂いで、晩御飯を当てたいだけなのだ。今日は、多分筑前煮。レンコンや人参がゴロゴロと、鍋の中で踊っていることを想像しながら家の扉を開く。


 きっと扉を開く時、たまに今日の事を思い出すだろう。そういえば、家の扉は鉄製だった。閉める扉の隙間から差し込む夕日の光を、今日は一段とあたたかく感じながら、帰ってきたことを母に知らせた。

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