第二章 何も知らないままの僕①
僕のスペックは、平凡だ。
顔面も身長も『
勉強においてもそうだ。テストで赤点を取ることはなかったけど、どの教科でも、僕はいつも六十点~七十点の間を行き来していた。――でもこれは、生き返る前までの話である。
五月、高校に入って初めてのテスト結果を手に、僕は震えていた。
どの教科も八割以上。順位に至っては十番台と、今までの僕じゃ考えられないほどの好成績だった。当たり前だけど二度目のテストは見覚えのある問題ばかりで、生き返った恩恵をこんなところで受けられるとは、としみじみ思った。
休み時間、僕は感動してしばらく成績表を広げていた。帰ったら真っ先に母さんに自慢してやろう、と、そんな事を考えてニヤついていた。
「うわっ、まじかよ、わたるっちめっちゃ頭いいじゃん! しかも、十九位!? えっぐ」
「健ちゃんプライバシー!」
勝手に後ろから覗きこんだ健ちゃんを睨みつける。でも、当の健ちゃんはそんなのお構いなしだ。
「ちぇー! わたるっちはオレとおんなじ『中の中』人間だと思ってたのに……この裏切者っ!」
と、健ちゃんは無駄にハンカチを噛みながら、教室から出て行った。――健ちゃんすまない。僕も普通に生活していたら、中の中人間なんだ。
「えー航くん、数学九十点!? 頭どうなってるの!? 大丈夫!?」
「大垣もプライバシー」
「ごめん~」
謝る大垣がかなり青白い顔をしていたから、相当成績が悪かったんだろう。
「大垣はどうだったの?」
「おおかた『中の
「赤点です」と、大垣がわかりやすく落ち込んだ。さらっと言ったけど、おおかた『中の下』ということは、生き返る前の僕よりもひどいものだ。
「うらやましいなー、記憶力の航くんー、どうしたらそんなに物覚えが良くなるのー」
リズムよく話す大垣に、僕は適当に笑って誤魔化す。――涙目の彼女に、まずは一回死んでー、とは口が裂けても言えなかった。
そういえば、入学して一か月、大垣は僕のことを下の名前で呼ぶようになっていた。
きっかけは、健ちゃんだ。
入学して数日経ったある日、いつものように健ちゃんが僕にウザがらみをしてきたとき、前の席の大垣が振り向いて言った。
「二人って仲良しだよね」
「そうだな」
と健ちゃんがなぜか誇らしげに言うから、「そんなことないよ」と僕は言った。それを見た大垣が、「そういうところだよ」と言いながら微笑む。
「呼び方も親しげでいいよね。健ちゃんとわたるっちって」
「いいなぁ」と言う大垣を見て、健ちゃんがなにやらニヤリと口角を上げる。嫌な予感がした。
「じゃあ大垣ちゃんもオレらのことあだ名で呼んでよ。オレもはるちゃんって呼ぶから」
「ほら、健ちゃんって。ほら、わたるっちって」と、急にチャラ男と化した健ちゃんに、僕は若干引いたけど、大垣はそれがツボに入ったようでお腹を抱えて笑う。
「いや~健ちゃんはいいけど、わたるっちは遠慮するよ」
そう言って大垣が僕の方を見る。
「さすがにわたるっちはハードル高いから、航くんって呼んでもいいかな?」
「別にいいけど」
「やったー」
大垣は子どもみたいに手をあげて喜んだ。
かくして大垣は僕のことを『航くん』と呼ぶようになったのだ。
――僕? 僕は健ちゃんみたいに世渡り上手じゃないから。
流れに乗って、大垣のことを『はる』なんて名前で呼ぶことはできなかった。
「ついに季節外れの雪、降っちゃう?」
仕事から帰ってきた母さんの第一声がこれだった。
若干失礼な言い方だなと思ったけど、この独特な感じが母さんらしいとも思った。
成績表をダイニングテーブルのど真ん中に置いておいたから、母さんもすぐに気づいてくれた。
「えー、でもちょっと、ほんとにすごいじゃない!」
そう言って母さんは、パシャッと携帯のカメラで成績表を撮影し、「帰ってくるまで待ちきれないから」と父さんにそれを送った。
エコバッグから買ってきたものを出しながら、母さんが「そういえば」と何かを思い出したように言う。
「おじいちゃんの誕生日くるから今度の土曜に実家行くけど、あんたも来なさいよ。その成績見たら、おじいちゃんも喜ぶわよ~。孫、覚醒ってね」
「待って、おじいちゃんて、もう死ん――」
じゃったよね、と言いかけて思い出す。記憶の中だと、おじいちゃんが亡くなるのは来月だった。
「もうってあんた……勝手におじいちゃん殺さないの!」
母さんは冗談だと思って笑っていた。だから、「ごめん」と言った僕は、すごく複雑だった。
病気知らずのおじいちゃんは、本当に突然倒れて亡くなった。理想の死に方といわれる、ぴんぴんころり、というやつだ。おじいちゃんは、誰にも心配や迷惑をかけることなく、あっけなく死んでいった。あまりにも突然のことだったから、母さんはすごく悲しんだ。
そしてその一か月後――今度は僕が事故で死んだ。僕が死んだとき、母さんはどんな気持ちだったのだろう。
そういえば一度目のときも、この時期、母さんに実家に行こうと誘われたけど、僕は断った。その日、僕は特に予定があるわけじゃなく、ただゲームをしていた。
病院で冷たくなったおじいちゃんを見たとき、僕は後悔した。亡くなってしまうとわかっていたら、あのとき会いに行っておけばよかったと思ったんだ。
「僕もおじいちゃん家行くよ」
せっかく過去に戻っているのだから、自分が抱える後悔を少しでも減らしたい。そんな思いからの言葉だった。
つと、自分以外の誰かが死ぬ未来は変えることができないんだろうかと考えた。――たぶん無理だと思うけど、センドさんに聞きたくなった。
でもきっと、センドさんは現れない。
センドさんが僕の前に現れたのは、生き返った初日だけだった。
『また来ますから』
あの日、センドさんは消える前にそんなことを言った。――今は彼をとんだうそつきだと思う。
だから、僕はいまだに『貴方の周りにいる人を幸せにしてください』という二つ目の条件の意味がよくわかっていない。
わからないまま、手探りで一か月間を過ごした。もしその意味をはき違えていたら、僕は無駄に一か月を消費したことになるのだ。
このままよくわからずに条件をクリアできなかったら――僕はまた、死ぬんだ。
スーッと身体が冷たくなるような気がした。まるで、死んだ時みたいに、身体に血が通っていないような感覚になった。
たまに学校で毎日楽しく過ごしていると、自分が死ぬことや一度死んだことを忘れてしまうことがある。大垣や健ちゃんと関わるのが楽しくて、なんとなくこのまま毎日が続く気がしてしまう。自分もみんなの輪に入ったままの未来があるような気がしてしまう。
でもそれは、本来はあるはずのない未来だ。
僕は一度死んでいるから、当たり前に明日があると思っちゃいけない。むしろ僕は、あの日に死ぬという未来もあることを頭に入れて生活しなきゃいけないんだ。
――自分が死ぬまで、あと二ヶ月。
死にたくないな、と素直に思った。
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