第97話 ちょっとだけ真面目に児童文学論①
毒づいても数日後には、しれっと登場します。こんちゃんです。
何人かのかたには、学生時代に児童文学を専攻していたことを話した気がします。
それなので、今回から2~3回に分けて、学生のときに受講した児童文学論をお話したいと思ったのですが。
お馬鹿なこんちゃん、資料を紛失しました。
それなので、当時のノートからわずかな情報と微々たる記憶を引っ張り出しました。
あらかじめおことわりしておきます。
公募の児童文学賞で求められている内容だとは限りません。あくまで児童文学論です。うん年前の研究なので、今現在は変わっているところもあるかもしれません。
質問は一切受けつけません。先生に聞いて下さい(それも無理)。
ではでは。
◇ ◆ ◇
児童文学の発想
「子ども」が「大人」とは違う存在だと思われないと「児童文学」は成立しない。
①子どもの方にウェイトを置いて考えるのか、文学を重視するのか。
ex)小川未明「金の輪」(大正8年・1919年)
②子どもが登場するからといって「児童文学」(子ども向け)とは限らない。
ex)赤川二郎『充ち足りた悪漢たち』「我が子はアイス・キャンデー」(1982年)
ゴールディング『蝿の王』(1954年)
↓
ex)名探偵ホームズ
大人しか出なくても子どもに読まれる古典
③子どもの論理
児童文学とは子どもの論理に立つ文学であるという主張
ただし、この考え方は欠点もある
※「論理」という言葉が適切か?
※「子どもらしさ」は時代と共に変化する
顧客の二重性
第一に大人が買って読み、次に子どもが読むという点で「児童文学」は一般の文学と商品としての仕組みが違う
◇ ◆ ◇
……ほぼノートの書き写しでした。文章化は無理でした。
当時のノートには、我ながらわけのわからないメモ書きが多数あり、今も意味がわかっておりません。
隣の城の紅の豚は耳をすませば宅急便
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