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小さな滝の小さな泉で全身の潮気を洗い流した。
べたつきはなくなったが、濡れネズミだという事は変わらず、それはこの場にいる五人全員にいえる事だ。
男性はまだいい。起こした火の側にいるうちにいくらか乾いてきたようで、すぐにそう見苦しくない様になってきた。
しかし、女性用の服は複雑な構造をしているので、乾きが悪い。特に立体的なふくらみを持たせている部分がへたってしまっていて、スカートが足に絡みつき不快だった。
基本男性用の衣類はセパレートになっているので、海賊王子がやっているように干して乾かすことも可能だが、女性はそういうわけにもいかないのだ。
「これから……どうするの?」
メイラは腰の高さほどの岩に座り、短い髪をルシエラに整えてもらいながら尋ねた。
濡れた身体を拭く布も、乱れた髪を整える櫛もない。メイラなど貧相この上ない有様だが、条件が同じはずのルシエラはかえってその美しさが際立って見える。
「現在この島にあるのは、老人ばかりが住む港の小さな村だけらしいです。スカーたちが生まれ育った集落はすでに廃村になっていて、住人はいないとか」
容姿については今更なのだが、濡れ髪が顔に張り付いていても見苦しくないなどズルイと思う。
メイラは水たまりを作っている足元を見降ろし、ため息をついた。
「もう少し服を乾かしてから移動しましょう。港に着けば着替えも用意できます」
慰めるように言わないで欲しい。同じように濡れていても、片や色気が際立ち、片や貧相さが増す。万人がそう思うであろう差は、指摘されずとも当の本人が一番よくわかっている。
「ここからどれぐらいかかるの?」
「この島には危険な獣も多いらしいので、夜間の移動は危険です。明るいうちに行ける所まで行きましょう。幸い彼らの郷里ですから、土地勘はあるようです」
つまり、一日で到着できる距離ではないという事か。
夢で見た湖は巨大で、森も深かった。これだけ水資源が豊かで、木々も生い茂っている豊かな島に、ほとんど住人がいないというのは妙な気がする。
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
それが冷えのせいなのか、よくない予感のせいなのかわからず、両手で身体を擦った。
「火を強くしましょうか?」
「……大丈夫」
「やはり脱いで乾かした方がいいのでは」
「これだけ日差しも照っているし、そのうち乾くと思うわ」
スカートの襞の内側まで乾くには相当掛かりそうだが、こんなところで素っ裸になるなどできない。
メイラは離れた場所にいる男性陣に目を向けた。
もろ肌脱いで陽だまりでくつろいでいるのは黒墨色の肌の海賊。
スカーとその同郷の男はせっせと焚火に枝をくべ、串刺しにした魚をあぶっている。
「……今のうちに聞いておくけれど、あなたいったい何をしたの」
「何をとは」
「わたくしたちが商船でハーデス公爵領を出た後のことよ」
「……ああ」
ちらりと見上げたルシエラは唇の端だけ引き上げて笑った。
「ダンたちの報告により、向かっている方向はわかっていましたので、最も早い手段を選びました」
別の意味で寒気が襲い掛かってきた。
「あの黒い神職を引き連れてきたのはわざと?」
「まさか!」
うふふふ、と喉から漏れ聞こえる笑い声が怖い。
「むしろ邪魔をしてやりましたよ。神殿に協力しそうな勢力が船を出せないよう手をまわしました」
推測の域を出ない質問だったが、ルシエラはあっさり追手の存在を認めた。やはりあの神職はメイラを追いかけてきているらしい。
「……無関係の人たちに手荒な真似はしていないでしょうね」
「ええ。乗員が娼館で寝過ごしたり、密輸をしているとの密告があって調査が入ったりはしたようですが」
呆れた目で見てやると、むしろ晴れ晴れとした表情で微笑み返された。
何、その褒めてとでも言いたげな顔は。
「連中が最終的に海賊を選ぶのはわかっていました」
「……だから提督を引き連れてきたわけね」
「タイミングが悪くて、海賊ごと海の藻屑にすることができなかったのは残念です」
海軍と海賊とは犬猿の仲である。たとえ領海外であろうとも、発見し次第攻撃してくるのは明白。それをいえば、ルシエラが選んだ海賊船も危険だったはずだ。
「……あなたも危ないことはなかった?」
「マローを護衛に悠々自適の海の旅でございました」
彼女にとっては何ら問題なかったらしい。
メイラはまじまじとルシエラの美貌を見上げ、このぶんだと荒くれ者の海賊相手にいつもの調子でいたのだろうと察した。つい守ってあげたくなる美貌の姫君相手に、無駄な気を使ったのだろうと気の毒にすら感じる。
「何もなかったのならいいのよ」
メイラはもうひとつの焚火を囲む男たちに視線を向けて、こぼれそうになる溜息を飲み込んだ。
ルシエラが非常に優秀で、頼りになるというのは否定しようもないが、つきまとうこの残念感は何なのだろう。
「……わたくしのほうから話しておきたい事があるの」
この島に一緒に来てしまった彼女を、今更置いていくことはできなかった。できないというよりも、出来る気がしないというべきか。メイラがどんなに望んでも、今更ルシエラが目を離してくれるとは思えない。
「この島に漂着したのは偶然ではないわ」
目を閉じると、巨大竜が上空を旋回している帝都の様がありありと蘇ってくる。
「わたくしには、しなければならない事があります」
あの情景が幻でなく現実のものであるならば、もはや時間はほとんどないといってもいい。
頼りになる彼女の協力が得られれば、目的地に行くことは難しくないだろう。
逆に、協力を得られなければ、すべてが無駄になる可能性が高い。
メイラは覚悟を決めた。
ただひとつ、命すら賭ける気でいることだけは告げず、そのほかのすべてを話してしまおうと。
それは、ダンにすら話していなかった黒衣の神職との会話のことだけではなく、サメに食い殺されようとした寸前に見た、あの幻影のことも。
あの湖にあった廃城のような場所にいかなければならない。
かつてスカーが生贄として下げられそうになっていたあの場所へ。
御神が探せとおっしゃっていた何かを見つければ、この声を届けることができるに違いなかった。
そして帝都を守るのだ。陛下をお助けするのだ。
それがメイラの使命であり、今ここに居る理由だった。
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