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「……まあ、威勢がいいのは結構なことだ。箱入りのお嬢さんは大抵、大声で泣き叫ぶか絶望に涙するかだがな」

「どちらにせよ罪もない女性を泣かせるのではありませんか。統計が取れるほど御令嬢がたに無体を働いているのなら、海賊ではなく人さらいと名乗るべきですね」

 メイラは毅然と顔を上げ、びっくりした表情の男たちを見ながら言い放った。

 正直怖い。

 味方が誰一人としてそばに居ない現状で、力で叶わない相手に真正面から対抗するのは悪手だとわかっている。

 それでも、メイラは引かなかった。

 頭を下げて嵐が去るのを待つのが弱者の処世術なのかもしれない。しかし、のんびりそれを待っている時間はないのだ。

「金があるところから頂戴するのはそんなに悪い事か? 恵まれたお嬢さんにはわからないだろうが、世の中は不平等で非情なもんだ」

「鮮やかに染められたトルタ正絹の服を着て、大きな宝石のピアスを嵌め、贅沢に靴までザカー皮の高級品。あなたこそ恵まれない子供たちに寄付でもなさればよろしいのです」

「強ければ何をやっても許されるのが世の中だろ」

「……その考え方でしたら、弱ければ文句は言えない、ということですね?」

 メイラはしっかりと男の目を見つめ、ひとことひとこと噛み締めるように言った。

「今ここでエゼルバード帝国海軍があなた方の海賊団を壊滅に陥れても、黙ってそれを受け入れると?」

「そのための人質だなぁ」

「今彼らをかわせても、草の根をわけても追いかけられますよ」

「はっは! お前にそれだけの価値があるのか? どこのお嬢さんだよ」

「名乗りはしません。その必要があるとも思いません」

 メイラはつんと顔を背け、同時に男の膝から降りた。

 狭い小舟に身体の接触を避けるほどの隙間はないが、小柄なメイラがひとり座る程度はできる。

 再び伸びてきた手をパシリと叩き落として、気位の高い貴族の娘を装い背筋を伸ばした。

「ああ、リヒター提督の旗艦ですね」

 入り江の出入り口を塞ぐように、見覚えのある巨大な軍艦が横付けされている。

 満潮からかなり潮が引いた状態。水深の浅い入り江に閉じ込められて、風下からあの軍艦と戦うのは相当に難しいのではないか。

「付随艦も二隻いますし、沖には足の速いブリケード艦も数隻見えます。あなたの海賊団がどの程度の規模かは存じ上げませんが、今現在湾内にいる手勢ではとても対抗できるとは思えません」

 湾内の深い場所に停泊しているのは、どこかの軍属にしか見えない大きな軍艦だった。海賊を名乗るには武骨で、装飾よりも武装が目立ち、派手なこの男の印象にそぐわない実用的な武装艦だ。

 しかし、たった一隻なのだ。軍艦についての知識がなくとも、戦力の差は明白だった。

 外洋から見えないように入り江に深く入り込んだのだろうが、入り口を塞がれてしまえば身動きが取れない。しかも海底が見えるほどに潮が引いている現状、素人目にも状況が悪いとわかる。

 図星を刺されたせいか、男はたちまち不機嫌そうな表情になった。

「お前に自分で言う様に価値があるなら、それこそ人質として役に立つ。俺の船で鎖につないで飼ってやろうか」

 毅然とした態度を取ったつもりでいたが、ぐいと大きな手で喉をつかまれて、虚勢を張るのが難しくなった。太い指だ。華奢なメイラの首の骨など、簡単に折ってしまえるだろう。

 ドクドクドクと、忙しない鼓動が耳の後ろから伝わってくる。

 男の指にも伝わってしまっているだろう。メイラの恐怖も、動揺も。

「手を、離しなさい」

 それでも、呼吸はまだ遮られていない。大きく息を吸って鼓動の乱れをなんとか抑えようとする。

 ギリリと、黒いその手の甲に爪を立て、若干緩んだすきにつきとばした。

 非力な女の精一杯だったが屈強な男を退けるまでに至らず、逆にメイラのほうが跳ね返されてよろめいた。

「……あっ」

 小さな船だ。よろめいた瞬間にメイラの身体は大きくその縁からはみ出した。

 彼女が危機を頭で理解するより先に、黒墨の男もスカーの同郷者も、慌てた様子で手を伸ばしてきた。しかし、おそらくは助けようとしてくれたその手を、メイラは本能的によけてしまった。

 あとは成すすべもなく、どぼんと塩辛い海に落下した。一瞬にして音が途絶え、気づけば海中から水面を見上げていた。

 きらきらと太陽の光が波間を照らす。その色は、故郷とは違い鮮やかに青い。

 海の側で育ったからと言って、泳ぎが達者なわけではなく、しっかり着こんだ服のおかげで沈んでいく身体を浮かせることすら出来なかった。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 もう幾度目かもわからないそんな思いはあれども、もがけばもがくほど身体は海中に沈んでいく。

 見上げた海面から、ふたつの人影が海に飛び込んできた。

 早くも朦朧とし始めた意識で、逃げなければ、と思った瞬間、身体の両脇を何かものすごく大きなものが通り過ぎた。

 メイラの目には、それは巨大な影にしか見えなかった。

 凄まじいスピードで脇を通り過ぎ、眩い海面の近くで交差する。

 太陽の光を遮るしなやかな巨躯。それがサメだと認識しすると同時に、ごぼりと息が泡となって零れた。

 二匹のサメは、一旦行き過ぎてからメイラめがけて急降下してきた。

 海中を泳ぐその姿は優美で、しかし真正面からメイラを捕える顔つきは獰猛だ。

 その姿が至近距離まで迫ってきたとき、最後に感じたのは恐怖ではなく諦観だった。

 結局は何事も成し遂げられない人生だった。使命も果たせず、すべてにおいて中途半端で、ただ周囲に迷惑を掛けるだけだった。

 どうか無事にと、遠い地で奮闘しているであろう夫に祈る。

 目を閉じる。

 せめて最期は陛下の姿を思い浮かべようと、胸の前で聖印を刻む。

 その時。

―――なに

 がっと鼓膜が不快な雑音を鳴らした。

 閉じた目に映るのは、紫色の空。

 巨大な竜たちが今にも街を蹂躙する寸前の情景。

―――これは、なに?

 街へ降下しようとしている何体もの巨大竜に立ち向かうのは、その巨躯に比べるとあまりにも小さな翼竜たちだ。

 まっさきに目についたのは異母兄だった。華やかな軍装を着て、巨大竜に比べると小鳥のようなサイズの翼竜を巧みに操っている。

―――まさか……帝都?

 メイラは見た事のない視点で街を見下ろしていた。

 幾重にも城壁に取り囲まれた緻密な街並みが放射線状に広がり、中央にそびえるのは巨大な帝城。

 グオオオオオオン! と雷鳴に似た雄叫びが脳髄を痺れさせた。その声ひとつで意識が吹き飛びそうになる。

 かすむ目が最後に映したのは、小さな点にしか見えない鮮やかな朱金色。

 薄れそうになった意識を手繰り寄せ、目を凝らすと、異母兄よりも低い高度に翼竜にまたがった陛下の姿が見えた。

 最期に与えられた神の御慈悲だろうか。

 震えながらその雄姿に目を凝らしていると、周囲に飛び交っていた炎の渦が陛下の乗る翼竜の翼をかすめた。

―――危ない!

 とっさに、手が出ていた。幻に向かって突き出した手が、ひどく重い何かを掴んだ。

―――えっ?!

 メイラは、自身が何を握っているのか理解していなかった。

 ただ、彼女には到底認識しきれないモノが、手の内にあった。

 受け止めきれずに手を前に出す。そこから零れ落ちたのは、人間という種族では到底持ちきれない質量のものだった。

 いつのまにか至近距離に、鋭い牙をむき出しにしたサメの口があった。

 ゴウッ!!

 海中にいるにもかかわらず、ひどく焦げ臭い、何かが焼けるような匂いがした。

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