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 スカー……ではなかった。同じような黒髪、黒い目。肌は若干浅黒く、顔立ちも似た雰囲気だ。

 おそらくは同族。

 斜めに傾けた頭の角度も同じで、こんな状況なのに助けが来たのかと思ってしまった。

「御方さま!!」

 マローの狼狽する声に我に返ったときには、荷物のように小脇に抱えられていた。

 その男が、先ほどスカーを組み伏せていた三人のうちのひとりだと気づいたのは、顔を上下に分けるような特徴的な傷があったからだ。

 小脇に抱えられるとはっきりわかる。スカーよりも長身で、体格がよく、まったくの別人だった。

 離して! と言おうとして、男が立っている場所に気づいて血の気が引いた。

 どうやっているのかわからないが、小枝の先。非力な子供でも手折れそうな細さの先端に、片足で立っているのだ。

「御方さま!!」

 再び響いたマローの声に、青ざめた顔で彼女の方を見ると、爪の剥がれた片腕をこちらに伸ばし、必死の形相をしていた。

 ここから放り投げられたら確実に死ぬ。……その恐怖は、マローの表情を見てなお一層増した。

 恐ろしさのあまり声を上げることもできず、メイラもまたマローに助けを求めて手を伸ばす。

 もちろんその手は届きはせず、ひょいっと擬音語が付きそうな仕草で、男は小枝の先を蹴った。

 落ちる、という体感的恐怖はもちろんあったが、あまりにも素早く移動したので、状況の理解が追いつかなかった。

 気づいた時には岩浜の上にいて、はるか高みにぶら下がっているマローを口を開けて見上げていた。

「ま、待って。待ってください!」

 何の感慨もなくそのまま行こうとした男の脇腹に、メイラは必死でしがみついた。

「お願いです。彼女を助けて! 腕が悪いの。ポーションで回復させたばかりだったの。このままだと落ちてしまう!!」

 スカーがしばらく傍に居たことにより、男から受ける印象が一般的なものではなかったのかもしれない。

 見上げるほどに巨躯で、顔には大きな傷があり、服装こそごく一般的なものだが、纏う雰囲気からして堅気の人間ではない。

 メイラはそんな男の胴体に躊躇なくしがみ付き、しなやかに張った筋肉を感じ取ると同時に、相手の当惑にも気づいていた。

 立ち去ろうとしていた足が止まる。

 あまりにもまじまじと見下ろされて、怯みそうになるのを必死で堪えた。

「……お願いします」

 小脇に抱えられたまま、もう一度ぎゅうとその腹に腕を回した。

 温度のない黒い瞳でじっと見下ろしてくる異民族の男。何を考えているのかわからないその無表情は、スカーのものとひどく似通っている。

「……対価は」

 果たして声なのか? 頭蓋に直接響くような独特な声色で、男は淡々と言った。

 助けてくれるのだろうかと、すがるように手に力を込めると、男は更に当惑したように言葉を続けた。

「お前を連れてこいと言うのが雇い主の命令だ。あの女については何も言われていない」

「対価……今は持ち合わせがありません」

 後払いで済むなら、いくらでも工面するつもりだが、口約束では信用も何もない女からの頼みなど受けてくれないだろう。

 唯一、身に着けているものがある。陛下から頂いた、紫色の玉飾りだ。

 皇室の紋章が刻まれており、しかも元は陛下のお母さまの持ち物だった。おいそれと他者に渡せるものではないし、失くせば責められるだろう。

 それでも、今のメイラが差し出せる唯一の貴重品がそれだった。

「夫からの贈り物です。いくらかはお金になると思います」

 躊躇なく差し出した小さな袋を見て、男の無表情だった顔が顰められる。

「お願いです。わたくしを追うために、無理をして飛び降りかねません。どうかマローを助けて」

「……承知」

 男の大きな手が、蝉のようにしがみ付いていたメイラをやすやすと剥がした。

 乱暴そうでいて、実際はひどく丁寧に岩場の影に座らされ、そこで待っているようにと指示される。

「逃げようと思うな」

「……はい」

 マローを救ってくれるなら、言われたとおりにするつもりだった。

 従順に頷いたメイラに、何故かまた難しい顔をして。

 男は更に何か言いかけたが、途中でやめて、その巨躯に見合わない身軽さでぴょんぴょんと岩を蹴って崖を昇り始めた。

 メイラが苦労してしがみ付いた木にたどり着くまで、数秒だった。

 頭上で何か言い争う声がして、ぱらり、と石が落ちてくる。

 下から見ていても、揉めているらしい状況以外、何が行われているのか分からなかった。

「助けは必要なかったんじゃないか?」

 あまりにも頭上に気を取られていて、しばらく前から真横に男がいることに気づいていなかった。

「一人なら軽々自力で崖を上がれそうだ」

 あまりにも近くから聞こえたその声に、聞き覚えがあるなどと考える余裕はなかった。

 メイラが腰を抜かしたように座り込む真隣に、同じように尻を落として座る大柄な男。

 差し込む朝日も圧し負けるほど鮮やかに赤い服を着ているのに、纏う気配はその肌の色と同様に深い夜の色を帯びた男だった。

「怪我はないかい、お嬢さん」

 港町近くで育ったので、多様な人種と接する機会はあった。それでも、ここまで見事に黒い肌の人は知らない。しかもよく見れば、南方人特有の目鼻立ちはしておらず、顔の造作自体は東方人のようにも見える。

「俺は人一倍お宝の匂いに敏感なんだが……」

 ぬっと距離を詰めてくる仕草は、やはり大きなネコ科の動物のようだった。

「ぷんぷん匂うな」

 首筋にさらりとした黒髪が触れ、悪寒が走った。

 後頭部の高い位置で結わえた髪は、メイラの髪よりもずっと硬そうで、アイロンが当たっているかのように直毛だった。

 南方人は癖のある髪質の者が多いので、その点もやはり既知とは違う。

 目を丸くしてただただ男を見上げていると、至近距離に寄ってきた顔がにいっと笑みに歪んだ。

「なかなか美味そうだ」

 その声は、耳元から聞こえた。

 近すぎて距離感がつかめない。

 何が何だかわからにうちに、ふうと生温かい息が耳の穴に吹き込まれ、軽い悪寒が全身の鳥肌へとランクアップした。

「味見してもいいか?」

 味見?!

 ここまで来てようやく危機感が戻ってきた。

 首筋に見知らぬ男性の顔があり、その呼気が耳たぶに掛かっている。軽く触れた唇が、ゆっくりと耳から首筋へ移動して、人間の急所とも言うべき頸動脈のところに、また生温かい息を感じた。

「……えっ、え? え?」

 抵抗して突っぱねた手を掴まれた。男の大きな手は、メイラの細腕を二本まとめて掴んでも余裕だった。

 鋭角に吊り上がった唇から、白い歯が見える。そのやんわりと開いた口が顔に近づいてきて……

「わ、わたくしは骨が多いので美味ではありません!!」

 恐慌状態でてそう叫んだ瞬間に、違うだろうと自分で突っ込みを入れた。

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