3

 朝。メイラはふかふかのベッドと夫の温もりに包まれて目を覚ました。

 窓から差し込む日差しの高さはすでにもう高く、寝過ごした! という猛烈な焦りと同時に飛び起きようとして、重量のある腕に阻まれて動けなかった。

「ハロルドさま! 朝です!! 朝ですよ!!」

 すうすうと穏やかな寝息をたてていた陛下が、ぴくりと反応した。

「起きてください」

 密着している筋肉質の身体を、ゆっさゆっさと揺さぶる。

 確か今日は午前中に父と会う約束をしていた。もうそれほど時間はないはずだ。

「ハロルドさま!!」

「……おはよう、我がひばり」

 寝起きの少し掠れた声に色気がある。

 ただでさえ密着していた身体が、更にぐるりと抱き込まれて柔らかなシーツと筋肉に埋もれた。

「毎朝そなたに起こされたいものだ」

 吐息交じりの低い声に頬が上気するのを感じつつ、いやいや、誤魔化されないぞ! と夫の分厚い胸板を押した。

「父が来てしまいます!」

「待たせておけばよい」

「そういうわけにはまいりません!!」

「わかったわかった。そう怒るな」

「あっ……いけません。だ、駄目」

「支度をしよう」

「んっ、あ。あ……」

「だがその前に、愛いそなたを堪能させてくれ」

 こうなってしまえば、メイラに抵抗するすべはない。

 昨夜散々乱したはずなのに、いつのまにか清められていたベッドを、まっさらな日差しの下にまたぐしゃぐしゃにしてしまった。

 事が終わり、疲れ切った身体で湯につかる。位置は安定の陛下の膝の上。湯舟の中での不埒なまねはさせまいと頑張ってみる。

 攻防の結果勝利をおさめたが、その必死の表情が面白かったらしく、陛下に大声で笑われてしまった。

「まあよい、上がろうか。……どうした?」

「いえ」

 仮にも夫婦だというのに、陛下が声を上げて笑うのを初めて見た。

 それだけ遠い方なのだと思い知る気持ちが半分、少しだけ近づけたと思う気持ちが半分。

「不安そうな顔をしている」

 するり、と頬を撫でられて、メイラは精一杯の笑顔を浮かべた。

「いいえ。嬉しいのです」

「嬉しい?」

「約束の時間に遅れずにすみそうです」

 なおも何かを言いたそうにした陛下を振り切って、先に浴槽の中で立ち上がった。

「あがりましょう。準備をしなければ」

 両手を差し出すと、間を置かず陛下の両手が握り返してくれる。

 この穏やかな距離感を大事にしたい。メイラの側ではこうやっていつでも笑ってくださるように。いつでも心安らかでいてくださるように。

 一緒にいることができる短い時間を、精一杯幸せなものにしよう。

 握り返された手をぎゅっと強めに引くと、陛下も立ち上がった。

 濡れた身体のまま即座に抱き上げられ、浴槽から上がる。

 人払いのされた浴室から出ると、そこにはメイラのメイドたちが待っている。

 陛下の腕から降ろされて、水気を取るために大きめの布でくるまれる。

 このときいつも、親の世話をうける幼子になった気がして恥ずかしくなるのだが、陛下はまったく動じることもなく、フランに身体を拭かれていた。

「公は来ているか?」

「いいえ。ですが、約束のお時間が近いので、そろそろいらっしゃるかと思います」

 びっくりした。

 普段はこういうときには視界にはいってこないルシエラの声が、思いのほか近くから聞こえたのだ。

 彼女は壁際の暖炉の脇に立っていて、何故か火かき棒を片手に持っていた。

「今日は冷えます。はやくお着替えを」

 今日もまたいつにもまして研ぎ澄まされた美貌のルシエラが、火のしの効いた皺ひとつないきっちりとした女官服を身にまとい、鉄の長い棒を握っている。

 特に何という事もない状況のはずなのだが……非常に倒錯したイケナイものを見た気がするのは何故だろう。

 朝からイケナイことをしていたのはメイラのほうなのだが、それとは別種のいかがわしさだ。

 手早く肌着を着せてもらいながら、さりげなく彼女から視線を逸らせた。

 その火かき棒でどなたかのお尻を叩いたりしませんよね? 真っ赤に熱して押し付けたりしませんよね?

 びくびくとそんなことを考えてしまうのは、何もメイラだけの責任ではない。

 色白の彼女の頬が、おそらくは暖炉の側にいたからだろうが上気しており、非常に煽情的なのだ。

 何もしていないのにそう見えてしまうルシエラを気の毒に思うべきか、もっと自重してと懇願するべきか。

 そんなことを考えているうちに、あっというまに身支度が整えられた。

 メイド三人がかりだと、もはや神速である。

 今日の装いは、外出する予定はないが来客があるので、部屋着ではあるが装飾多めのドレスだ。

「お化粧はお部屋に戻ってからにしましょう」

 にこにこと、こちらが思わず微笑み返してしまう朗らかな笑顔で、シェリーメイ。

「今日の髪飾りはどうされますか?」

 陛下を拭き終えガウンを肩に着せてからは、メイラの着替えの手伝いをしてくれているフラン。

「少しおすそが長いようですが、おつめしますか?」

 オーダーメイドだが若干胴回りがあまっていることに不服そうなユリが、部屋着なのでそこは我慢できても、裾の長さはそうはいかないと顔を顰めている。

 メイラの中で危険物認定されているルシエラのことを、誰も気にしていないのが納得いかない。

「髪飾りはいつものでいいわ。裾はかかとがある靴をはけばなんとかなるでしょう」

 気心知れた彼女たちに指示を出しながら、どうしても視線がルシエラのほうに向きそうになってしまう。

「御方さまにお茶会へのご招待が多数届いておりますが、すべてお断りする方向でよろしいでしょうか」

 長らく辛抱していたのだが、直接声を掛けられれば、そちらを見ないわけにはいかない。

 メイラはちらりと彼女のほうに目を向けて、即座に後悔した。

「……ちょっと聞いてもいいかしら」

「はい、何なりと」

「その、足元で丸くなっているのは何?」

「野良犬です」

 いや、人間でしょう。

 浴室から出た時に気づかなかったのは、位置的な問題だ。

 暖炉の横にある花台の影に隠れるようにして、あきらかに男性と思われる塊がうずくまっている。

 ここは脱衣所だ。先ほどまで素っ裸だった。陛下以外の男性が居ていい場所ではない。

 悲鳴をあげるべきなのか? 怒るべきなのか?

「御方さまがご入浴と聞きいて、覗きに来たのでしょう。去勢して処分しておきます」

 絶対違う。

「拷問士に引き渡しておけ」

「はい、陛下」

 ただ単にメイラの裸を覗き見に来ただけであれば、拷問士に引き渡すなどやり過ぎだと思うだろう。しかし、この厳重警戒のさなかにそんなことを考える者がいるわけがない。

 男は刺客なのかもしれない。

 メイラに? それとも陛下に?

 ぞわり、と背筋に悪寒が走った。万が一にも、陛下に何かがあってはならない。ここまでたどり着くということは、相当な手練れなのだろう。

 顔から血の気を失せさせて立ち尽くしていたメイラは、これまで身動き一つしなかった男の背中がピクリ、と動くのを見た。

「動くな犬」

 即座に反応したのはルシエラ。手にしていた火かき棒を男の顔の真横にドンと突く。

 床を向いていたその男の目だけが、こちらを向いた。

 色白の、まだ若い男だった。

「……夜の乙女」

 聞き取れないほどの声の大きさだったにも関わらず、何故かその言葉の意味だけがはっきりと理解できた。

「スカー?」

 どうしてどうしてと、頭の中が混乱し、よろめいたところをローブ姿の陛下に支えられる。

 ルシエラの警告を無視して、男がその場で身体の向きを変えた。

 起坐。そして両手を床について、ガツンと音が聞こえるほどの勢いで床に額を打ち付ける。

「……知り合いか?」

 背後の陛下の気配が、洒落にならない事になっている。

「まさか。御方さまに野良犬の知人がいるはずございません」

 ルシエラ、額づいている人の頭を火かき棒でグリグリ押してはいけません。

 メイラは依然混乱していた。忘れるはずもない。今朝方見た夢の中にいたのだから。

 しかし、あのときまだほんの小さな幼子だった彼が、あきらかにメイラとほぼ同年代になっている。

 他人の空似というには、その特徴的な配置をしている目じりの黒子は見間違えようがなく、このあたりではあまり見かけない漆黒の髪と目が決定打だった。


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<お知らせ>

 今回の新型コロナウイルスの件で、子供たちが常時自宅にいるという非常事態^^:になりまして、それほど小説を書く時間を確保できなくなりました。

 もともと夜間の執筆はしておらず、仕事の合間に小説を書く、というスタンスを取っていたのですが、我が家には(無駄にハイスペックな)PCが一台しかなく、昼に起きてきた長男が深夜までゲームで占領、という洒落にならない状況に。

 現状、午前中は仕事をして、長男が起きてくるまでに小説を書いています。

 ずっと家にいられたら、こまるんですけど。

 本人は期末テストがなくなってウキウキなのが余計に腹立つ><

 下の子もずっと家で動画を見続けていて、ウイルスよりそっちのほうが心配です。

 少々更新が不定期、遅れ気味になるかと思いますが、ご勘弁くださいませ。

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