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それではどうするかの結論は、慰霊祭が終わるまでに決めると父は言う。
一番危険なのがその慰霊祭ではないかと思うのだが、ほかならぬ父が最もそれを理解しているだろう。
なにしろ、祭事中は護衛も、侍従やメイドなどの傍付きなども、近くに置けないからだ。
もちろん向こうの条件も同じなのだが、黒幕が直接手を下すはずもなく、攻める側のほうが有利なのは言うまでもない。
メイラは軽くこめかみに手を当てながらため息をついた。
「祭事に出席しないというのは? 体調不良であれば非難も受けないでしょう」
「いや、伯爵家の息子たちはかなりの手練れぞろいだ。義妹を守るだけの腕はある」
広い部屋の隅の方で、ソファーに腰を下ろしたティーナ嬢が大きく身体を震わせた。
「ティーナ!」
リオネルが慌ててその背中をさすり、顔を覗き込もうとするが、顔を覆った両手からぼだぼだと大量の涙が滴り落ち、ひゅうひゅうと喉が鳴る音が聞こえた。
メイラは立ち上がった。
大股に近づくと、リオネルはあからさまに警戒の表情になったが、かまわず反対側の空いている席に座りそっとティーナの頭を胸元に抱きしめる。
ひと際大きく喉が笛のような音を発し、呼吸ができないのだとわかる仕草で喉に爪を立てようとした。
「過呼吸ね。ゆっくり息を吐くのよ」
メイラはそっとその手を握りしめ、いち、に、と声に出して数をかぞえた。
過呼吸などのパニック症状は、虐待を受けたことのある子供によく出る症状で、専門家ではないがその対処方法はわかっていた。
ゆっくり息を吐くことで呼吸のコントロールを取り戻すのだ。
「……そうよ。上手ね」
ぎこちないながらもメイラのカウントどおりに呼吸できはじめると、真っ青だった唇に薄く血の気が戻ってくる。
「も、もうしわけ……」
「大丈夫よ。少なくとも今この部屋の中では、誰もあなたを害さないわ」
ささっと有能なユリが差し出したハンカチで、濡れた頬を拭ってあげる。
メイラはしばらくそのつらそうな顔を見つめて、疑問に思ったことを真正面から聞いてみることにした。
「もしかして、あなたの今夜のパートナーは義理のお兄さまだったの?」
「……っ」
「お義兄さまが、怖いのね」
違和感はあったのだ。
こんな目にあっても、パートナーや家族を頼ろうとはしなかった。義理の家族への遠慮のようにも見えたが、それにしては反応がおかしかった。
「具体的に何かあったの?」
「いっ、いえ!」
「あったのね」
「ティーナ? どういうことだ?!」
「あなたは少し黙っていて」
メイラがぴしゃりと言うと、リオネル卿が驚愕の表情を浮かべた。
大貴族のお坊ちゃんだから、こんなふうに窘められたことなどなかったのかもしれない。
「心配しないで。貴女が嫌だと思うなら、そのお義兄さんには二度と会わないように命じるわ」
……父がだけれど。
「違います。違うんです」
震える唇から、ようやく零れたのは否定の言葉だった。
「……あ、義兄の婚約者の方が」
「婚約者? 夜会であなたのパートナーを務めたのよね?」
婚約者がいれば、その役目は別の人間に託されたはずだ。
「パートナーは、次兄です。二番目の義兄は、わ、わたくしが長兄を誘惑したと」
「もしかして、化粧室のお嬢さん方の中にいたのかしら。その、婚約者の方」
「は、はい。栗色の髪の……」
ティーナに敵愾心をむき出しにしていた、あのほっそりとした美女のことか。
「それで二番目のお義兄さんは、オオカミの群れの中に可愛いウサギを放置したというわけね? その男、ちょっと呼んできてもらってもいいかしら」
それでは、誰かの命令だとかは虚言で、婚約者を取られると思った女が、その義理の妹を辱めようとしたということか?
一族が関わり合っていないのならば結構なことだが、ティーナにとっては、そこは大きな問題ではない。寧ろ根本が身近にある分、所領のほうで隠棲しても狙い続けられる可能性が出てきたわけだ。
「……あのね」
メイラはほろほろと零れ続ける涙をそっとハンカチで拭った。
「わたくしなら逃げ道を用意してあげられるわ。貴族という身分を捨てても良いというのなら、確実に」
真っ赤に充血してしまった灰色の目が、若干瞳孔を広くしながらぼうっとメイラを見た。
「わたくしはそうして逃れてきたし、戦うすべを持たないのならそれも立派な戦略だと思うの」
顔立ちは地味で、標準よりふくよかな体形だが、さきほどメイラがウサギと称したのが違和感ないほどに、小動物めいた可愛さがある。
「でも、あなたが逃げたくないというのなら」
メイラはそんなティーナの茶色い髪をそっと撫で、編み込みからはみ出てしまった房を整えた。
「ただ我慢しているのではなく、なりふり構わず、周りに助けを求めるべきよ」
メイラはふと、孤立無援だった頃を思い出す。
今はこうやって、忠義を尽くしてくれる傍付きたちがいてくれるが、ティーナよりもずっと幼い少女だったメイラを、一族の誰も守ろうとはしてくれなかった。それどころか、総出で迫害し、家族の温もりなど一片たりとも感じさせてはくれなかった。
「少なくとも貴女の目の前には、本当に気にかけてくれるお兄さんがひとりいるでしょう?」
お世辞にも美男子とは言えないが、男らしく決意に満ちた表情で頷くリオネル卿を見上げて、ティーナが「ああ……」と溜息に似た震える息を吐く。
「そこの、お兄さんによく似た悪人面も、上手に使うといいのよ」
「誰が悪人面だ」
「まさか自覚していらっしゃらないのですか?」
かつてを思えば、いまだに込み上げてくる怒りがある。
同時に、あのとき自分は、誰かに助けて欲しかったのだと自覚させられてもいた。
鼻を鳴らした父の、幼い記憶の中にいた頃よりも老け込んだ顔をジロリとみやる。
過ぎてしまった時間は戻らない。温もりひとつ感じさせてくれなかった父を、恨み続けるのは当然の権利だと、強く思った。
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