修道女、星に祈る

1

 夜会は終わったが、招待客たちの姿はまだ沢山ある。

 下級貴族たちは今から最寄りの街の宿へ向かわなければならないので去って行ったが、城に宿泊する場所を提供された高位貴族はまだ社交を続ける気でいるらしく、アルコール片手にそこかしこで歓談している。

 そのほとんどが男性で、女性はすでに下がる時刻ではあるらしい。

 残る視線を反射的な笑顔でかわしながら、メイラもまた役目を終えて部屋に戻ろうとしていた。

 ものすごく疲れていた。

 油断するとその場で棒立ちになりそうになる足を、なんとか一歩ずつ前に進める。

 零れそうになる溜息を堪え、あの階段を上るまでは、廊下の角を曲がるまではと少しずつ距離を伸ばしながら、気を抜くことの許される場所にたどり着くまで懸命に歩き続けた。

 疲労感は人を無口にするものだ。特に、戻った先にもまだ厄介事が待っていると分かっていれば尚更。

 マローに「お運びしましょうか」と問われたが、もちろん貴婦人たるもの人前でそんな無様なことはできない。

 なんとかかんとか歩き続け、与えられた部屋にたどり着く頃には、月は両方ともに中天を過ぎ、真夜中と言っても差しつかえない時刻になろうとしていた。

 もっと早くに、ひっそりと退散する予定だったのに。

 何もかも、父が悪い。

 目を離せば揉め事が起こるとばかりに傍から離れず、父はホストなのでひっきりなしの挨拶に付き合わされたのだ。

 もはや覚えていられないほどの挨拶を受け、お世辞や嫌味やらをさっくりと聞き流し、疲れたからと言って座ることも許されず……パートナーであった猊下にもご迷惑をおかけしてしまった。

 メイラは見覚えのある回廊まで戻ってこれたことに気づき、安堵のため息を漏らすことを自身に許した。

 あと少し、と疲れた身を鼓舞しようとして、再びその先に待つ厄介事を思い出す。

 こんな時刻だから、眠っていてくれていいのだけれど。全部明日にということにはならいだろうか。

 今更だが、部屋を提供してしまった事を後悔していた。

「遅かったな」

 ようやくたどり着いた先で、どうしてまた父の悪人面を見なくてはならないのだろう。

 すでに正装から着替え、ひと風呂浴びたかのように整髪料も落とし、普段着の上にローブを纏った服装でくつろいでいる。

「……先ほどぶりです。お父様。どうしてこちらへ?」

「お前からの言い訳を聞いていない」

「言い訳? こちらが聞きたいものですが」

 メイラのツンケンした言い草に、父が盛大に鼻を鳴らす。

「油断したそこの娘が悪いのだ」

「襲った方が悪いに決まっているではありませんか」

 とうとうボケたのかと胡乱な目を向けると、父はほんの少し気まずそうな表情をした。

「警備に不備があったのでは? あんな輩を雇っているなどお父様の手腕もたかが知れていますね」

「ここは儂の城ではない」

 継嗣である異母兄の差配する城だと言いたいのだろう。しかし、教皇猊下の御巡幸とメイラの帰郷という重大事に、総括的な警備体制を敷いているのは軍部の指揮権を握る父のはずだ。

 ふてぶてしく唇をゆがめながら、グラスに注いだブランデーらしきものを啜った父が、濃かったのか少し顔を顰めた。

 執事がもうひとつ氷をグラスに入れてかき回し、腕にかけた白いトーションでついていた水滴を拭い、丁寧な仕草で父に返す。一向に酔っている様子はないが、酒に弱いメイラには飲みすぎのように映る。

「夜会でも随分嗜まれていたようですし、お控えなさっては?」

 父は再び鼻を鳴らしたが、その一杯を飲み干した後次を注がせようとはしなかった。

 メイラは温かい紅茶を淹れるようにと指示を出し、少し考えて「四人分ね」と付け加える。

 ソファーに尊大に腰かけ、部屋の主のような顔をして寛いでいる父とは違い、招いた覚えのある若いふたりは置物のように壁際で立ち尽くしていた。娘さんの方の顔色が落ちかけた化粧ではカバーしきれないほどに真っ青だったので、座らせるようにユリに目で指示を出す。

 父の顔が怖いのは、仕様なので気にしてはいけない。

 あれは怒っているのではない。彼女が倒れそうだったことに初めて気づいたのだと思う。

 やり手の悪人面ではあるが、こと情緒面に関しては足りないところが多いひとなのだ。

 メイラが励ますように微笑みかけると、こわばっていたティーナ嬢の表情がほんの少し綻んだ。

 その肩には、リオネル卿の手がしっかりと回され、まるで恋人同士か夫婦のように寄り添っている。いや、寄り添っているというより互いに縋り付いているというべきか。ティーナのほうは明らかに父を怖れているし、リオネルもそんな彼女を守ろうと必死なのだろう、表情が硬い。

 父とうり二つの面相だが、はるかに感情が読み取りやすい年上の甥は、瞬きすらせずメイラの方を見ていた。いや見ているというより睨んでいると言った方がいいかもしれない。メイラがティーナに害を及ぼしたという誤解は解けたようだが、まるで油断できない珍種の動物でも見る目をしている。

「ティーナ・ハインズから話を聞いた」

 やがて父が口を開き、びくりと身体をすくめた女性を一瞥した。

「あれはリオネルの乳母の娘だ」

「思いあっている恋人同士に見えますが?」

「異母妹でもある」

 つまりは長兄がリオネルの乳母に手を出してできた子供という事か?

 要するに父にとっての孫ではないかと、他人事のような表情をしている顔を睨む。

「かつてのわたくしと同じような目に遭っているということでしょうか」

「お前は、男に襲われたことがあるのか?」

「危ういところは何度か。ですが年頃になればそういう事もあろうかと早い段階から危惧しておりましたので、公爵家には近づかないよう気を付けておりました」

 今はメイラではなく、あの可哀そうなティーナの事だ。

 服装やリオネルの態度からみても、メイラほどの扱いは受けていないようだが、彼女は貴族の御令嬢なので、ハーデス公爵家と完全に関わり合いを断つのは難しいのだろう。

 今回のようなことが度々あるのであれば、早急に手を打つ必要がある。

「他家に養女に出したのですか?」

「乳飲み子の頃に、男子しかいない伯爵家にな」

 彼女が家族にこのことを知られまいとしていたのは、養女だという遠慮からかもしれない。

 下手に騒ぎ立て、あの『ご友人方』の家と揉めるわけにはいかなかったのだろう。

「おイタが過ぎますわね」

「あの娘たちを二度と表に出すなと親に伝えておいた」

「伝えておいた? それだけですか?」

 メイラは、己を襲おうとした男たちを衛兵に突き出し、罪に問われるのを最後まで見届けた。黒幕がどのあたりにいるかなどわかりきっていたのでそれ以上の追及はしなかったが、黙って泣き寝入りすることはないと示したことで過度な仕掛けがかなり減ったように思う。

「甘い仕置きだとまた起こりますよ」

「甘いか? あの娘たちはこれで婚期が遅れるだろうし、良い嫁ぎ先にも恵まれないだろう」

 メイラはじろりと父を見下ろし、首を振った。

「甘いですよ。彼女たちのご両親はおそらく、早急にそれなりの家格のところに嫁がせます。今は社交界に出れずとも、老い先短いお父様が亡きあとはうやむやにできそうですしね」

「おい」

「やり方が大胆ですし、悪辣すぎます。余罪があるのでは?」

「……」

「もっときちんと調査をし、沙汰はそれからにした方が良いです。……ああそうそう、どなたかに命じられた、というようなことを口にしていましたね。それがもし、公爵家の内々の誰かであるなら、むしろティーナさんのほうを養い先の所領にでも隠した方が安全です。あるいは、ハーデス公爵家とは物理的に離れたご領地の他家に、お父さまの孫として嫁がせるとか」

「……お前は」

 珍しく、父がはっきりそうとわかるほどに口ごもった。

「お前は、どう思っているのだ?」

「わたくしではなく、ティーナさんの意見を聞くべきでは?」

 ずっと立ち続け疲れてきたメイラは、父の前だろうがもう耐えられないとばかりにその向かいのソファーに腰を下ろした。

 すかさず裾直し部隊が足元に傅いたので、苛立ちのあまり地団駄を踏みそうになって居たのをギリギリで堪える。

 どう思っている? もちろん怒っている。

 女性を性的に辱めるのは、その心を殺すことだ。同性としてそんなことも理解しようとしない加害者たちに対して、甘すぎる沙汰をしようとしている父にも腹を立てている。

「お父さまのやり方だと、ティーナさんを守ることは難しいと思います」

 部屋の隅で、とうとう彼女が声を殺して泣き始めた。

 リオネル卿の手が、異母妹を守るようにその背中を撫でている。

 うらやましかった。

 メイラには、そんな親身になってくれる身内はいなかった。もしひとりでもああやって家族としての情をみせてくれていたなら……

 年の離れた異母兄たちの顔を思い浮かべ、即座にその考えを払いのける。

 今更だった。

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