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 きらびやかなシャンデリアの明かり。

 色とりどりのドレス。

 ひらひらと舞い踊る紳士淑女たち。

 世のお嬢さん方が夢に見るような、豪華絢爛な舞踏会は、メイラの目にはひどく現実感に乏しく、まるで遠くで繰り広げられている劇のように思えた。

 聖職者である猊下のエスコートは本来不要で、こういう場では大抵お一人らしい。

 では今回もそれでよかったじゃないか、と恨みに思うのは、ものすごい数の視線に現在進行形でさらされているからだ。

 好意的なものはほとんど感じられず、厳しい目だけを浴びせられて、扇子の下で引きつった半笑いを保つのが精一杯。

 出来るだけ早く退散しようと心に決めつつ、猊下の腕をぎゅっと握る。

 ホールから一階層高い位置から入場し、独特の抑揚で高々と名前を呼ばれて。舞台女優のように注視されながら階段を降り、誰にも頭を下げない猊下の隣で、深々と淑女の礼を取る。

 猊下が最後の入場であり、そのあとすぐにオーケストラによる楽器演奏が始まる。ファーストダンスは一番上の異母兄とその第一正妻が務め、メイラがしていた事といえば、猊下の腕につかまって空気になっていただけ。一応は序列二位の主賓格なのだろうが、ひたすら気配を殺してその場をやり過ごそうと努めた。

 しかし、特に悪意のある者たちはメイラの存在を忘れていてはくれなかった。何が恐ろしいかと言うと、一見極めてまっとうに、誇り高き貴族としての態度を崩さないところだ。

「初めてお目にかかります、妾妃メルシェイラさま。以前からお会いしたいと思っておりましたのよ。わたくし、リリアーナ・ハーデスと申します」

 その女性を一目見た時、あまりにも父の第二正妻によく似ていたので呼吸が詰まった。

 幼いころにかの奥方に受けた仕打ちはひと際ひどく、最も心身に後遺症を残すものだった。髪を掴まれ、階段の上から突き飛ばされた時には、花を活けていた大きな壺と一緒に落ち大けがを負った。

 まだ古い傷跡は消えていないし、あの落下するときの恐怖は忘れられない。

 噂によると病を得、長く療養していると聞くが、できるならば二度と見たくはない顔だった。

 当の本人ではないと頭で理解していても、悪意の欠片も感じさせず淑女然と微笑みかけられても、あの方に瓜二つの容姿だというだけで相いれないと感じてしまう。

 リリアーナといえば、公爵家一の美姫として有名だ。

 市井にも聞こえてくるほどに才色兼備で、彼女が未婚なのはおいそれと口にはできない方との婚姻が内々に決まっているからだろうと囁かれていた。

 二番目の異母兄が後宮に押しかけてきたときに、陛下のお側に上がらせたいと言っていたのは彼女の事だ。

 先ほど父に引っ張って行かれたシェーラジェーンなどは、あきらかに自制のきかない典型的な我儘娘だが、今目の前にいる胸も尻もゴージャスで華やかな美女は違う。

 貴族女性としての微笑みを顔に張り付け、むしろそれが作り物だとは誰も思わないであろう完璧さでメイラに礼を取っている。

「先ほどは妹が恥ずかしい態度をとってしまい、申し訳ございません」

 丁寧な仕草で頭を下げ、控えめに微笑む。

 ため息が出るほどに卒のない、美しい容姿に美しい所作。

 妾腹のメイラに対して頭を下げることを厭わず、むしろ下手にでる謙虚さは、もし容姿があの方に瓜二つでさえなければ、仲良くできると錯覚できたかもしれない。

 にわか妾妃のメイラと比べると何もかもが勝る、生まれながらの高貴な令嬢だった。

「噂は聞いているよ、リリアーナ嬢。毎年寄付をありがとう」

 生粋の公爵家の姫君に圧倒されて、何と返答するのが正解かと迷っているうちに、救いの手を差し伸べてくれたのが猊下だった。

「あなたの姪はね、いつも中央神殿に心付けをくれてね」

「……まあ」

「敬虔な神の子たらんとするのは素晴らしい事だ」

「さようでございますか。中央神殿に寄付を」

 いや、悪いとは言わないのだけれども。

 中央神殿の総本山はこの国にはない。

 淑女のたしなみである慈善活動は、主に自領でするもので、寄付と言えば地元の修道院であったり、孤児院であったり、せいぜい命名式や葬儀などで付き合いのある教会ぐらいまでだ。

 領主でも後継でもなく、言ってはなんだがたかが次男の娘がそこまでするなど聞いたことがない。

 それを極めて敬虔だと捉えるべきか、何か別の思惑があると取るべきか、

 メイラがちらりと視線を向けると、リリアーナはその美しい面に満面の笑みを浮かべ、キラキラ光る目で猊下を見上げていた。

 若い娘らしい、贔屓の舞台俳優でも見ているかのような表情だ。

 普段は完璧に作り上げられている淑女の可愛らしいその隙を、世の男性であれば微笑ましく思うのかもしれない。

 不意に、彼女の美しい琥珀色の目がメイラの方を見た。

 にっこりと、邪気ない美しい笑みを向けられて……わかってしまった。

 その隙ですら計算し尽くした、美しい外見にそぐわぬ油断ならない相手だと。

「妾妃メルシェイラさまは長く慈善活動に携われ、孤児の保護に心を尽くされてきたとか。わたくしの寄付など些末なものです。いろいろとご教授下さいませ」

 勘弁してください。

 メイラは、精一杯の虚勢を張って微笑み返した。

「……わたくしでよろしければ」

 でもきっと忙しいので無理です。体調も悪くなる予定だし。

「リリアーナ」

 心の中で撤退の準備をしながら、更に追撃が来るだろうと身構えていると、低いどこかで聞いたような声がリリアーナの名前を呼んだ。

「猊下にご迷惑をおかけしているんじゃないだろうね?」

 それはとても甘く、やさし気な口調だった。

 聞き覚えがあると感じたのは気のせいか、確実に初対面の男だ。

「初めて御意を得ます、リオネル・ハーデスと申します」

 父の継嗣である一番上の異母兄の、今最も後継者の椅子に近いところにいると言われている長男だ。リリアーナとは従妹同士だが、確か婚約していたのではなかったか?

 いや、後宮に入るつもりでいるなら、婚約というのはただの噂なのだろう。

「妾妃メルシェイラさまにおかれましては」

 ありきたりな挨拶を受けながら、いとこ同士並ぶ二人の、あまりの違いを思う。華があり誰の目にも英邁とわかるリリアーナに対して、男性にしては線が細く、小柄で、平凡な顔立ちのリオネルはひどく凡庸に映る。

 まっすぐにメイラを見るその目は、柔らかな口調に反して冷ややかだ。意図せず、その濃い茶色の目の奥を覗き込んでしまい、不意に理解した。

 父に似ているのだ。とても。

 メイラが何を思ったのか正確に察したのだろう、父と全く同じ角度で唇を歪め、無作法と言われないギリギリの仕草でリリアーナの手を握った。

「一度だけダンスを踊るよう言われていただろう?」

「挨拶の途中ですわ、リオネルさま」

「お祖父様の御命令だよ」

 ふくり、と白皙の美貌が片頬を膨らませた。ちらちらと彼女の美貌に見惚れていた男たちが顔を赤らめる。

「一度だけよ」

「ああ」

 リリアーナは丁寧にメイラたちに礼を取ってからダンスフロアーに下がっていった。

 男性としては小柄なリオネルと、抜群のプロポーションを誇るリリアーナが踊る様子は、多勢の視線を集めていた。

 その視線に混じる一定数の侮蔑は、リリアーナよりも背が低いリオネルに向けられたものだ。

 当の本人たちは慣れているのか、まったく気にする素振りもないが、将来公爵になるかもしれない相手に、よくそんな態度が取れるものだ。


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