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眩暈がしそうだ。
にこやかな貴婦人がたのさえずりは、はっきりいって聞くに堪えない。
いや、表立って責められているとか嫌味を言われているわけではないのだ。
表面上はありふれた、益体もない会話。耳を素通りする噂話。ファッションや流行りの小物について、芸術について、見知らぬ誰かの醜聞……。
はっきりいって、ほとんど意味など理解できなくて耳を素通りしてしまう。
「ねぇ、そう思われるでしょう?」
花が綻ぶような微笑みをメイラに向け、朗らかに笑い声をあげる年齢不詳の美女。彼女が60歳を越えていて、子供どころか孫までいる父の第二正夫人だと知ってはいても、頭が理解したがらない。
場所はいまだに大扉の前。メイラを取り囲むのは、父の妻たちと、公爵家の派閥の有力貴族のご婦人方。
ものすごく華やかでいい雰囲気だと思うだろう?
何も知らない第三者の目にはそう見えていても、実情はひどくドロドロしていて、洒落にならない憎悪が根底にあるのだ。
メイラは覚えている。この美しいご婦人方が、夫の愛人の子どもに向けた虐待ともいえる態度を。
本人が忘れているとは思わない。時に暴力的ともいえるあの扱いは、世間的には正妻の悋気だと大目に見られたとしても、当事者にとってはなかったことにはできないものだ。
先ほど父に連行され退場してしまった年上の姪、シーラジェーン(正式にはシーラではなかった)の母親が、やさし気な面に楽しそうな微笑みを浮かべて会話に加わっている。
娘を陥れられた(メイラにしてみれば心外だが)内心の憤懣などおくびにも出さず、むしろ好意的に見えるほどの、礼儀正しくも親し気な態度。
……怖いんですけれども。
笑みの形に綻んだ目の奥が、殺意に染まって見えるのは気のせいか?
表面上ものすごく淑やかで、虫一匹視界にいれるだけで失神してしまいそうな貴婦人がただけに、その内心の実情を想像しただけで背筋に悪寒が走る。
あれほど億劫だった猊下のエスコートが待ち遠しくなってきた。
ちらり、とゴージャスなドレス姿の淑女たちの壁の後ろに視線を向けると、ようやく教皇猊下が階段を上ってくるところだった。
途中複数の高位貴族につかまっていたせいで、ここまで来るのに随分と時間がかかってしまったようだ。
「ほら、猊下かいらっしゃいましたわ! 本当にお美しい方ですわね。あの眩いばかりの白金の髪!
お顔立ちもエキゾチックで見惚れてしまいます」
「わたくし、30年前に一度お会いしたことがあるのです。そのころとまるでお変わりないわ。本当に神の祝福を受けられた愛し子様なのですね」
いい年をした淑女たちの口から、少女のようにはじける笑みとキャアと笑う声が上がる。
華やかで結構なことだが、双方の年齢を考えて顔が引きつってしまうのはメイラだけだろうか。
やがて、体格の良い白い鎧の騎士を四人背後に従えた猊下がゆったりとした足取りで近づいてきた。足取りが極めて遅く、ためらっていると思わせないギリギリの速度だ。
お気持ちはよくわかる。この恐ろしい集団の傍に寄りたくないのだろう。
「やあ、メルシェイラ妃。今日も格別に美しい。エスコートの栄誉をくれてありがとう」
到着を待ちかまえていた淑女たちをまるっと無視して、猊下が甘い微笑みを向けたのはメイラにだけだった。
「……とんでもないことでございます」
「見事なドレスだね? エゼルバード帝の見立てかい?」
正確にはエルネスト侍従長の見立てだと言っていいと思うが、こんな注目を浴びたなかで口にするべきことではない。
曖昧に微笑むと、実に華やかな表情で微笑みかえされる。
「君に紫色を下賜したというのは本当なんだね」
傍らで、聞いていた父の奥方のひとりが息を飲んだ。
「知っているかい? 君の母親の目の色は私の亡き妻と同じすみれ色だった。ちょうどほら、今着ている君のドレスのような」
ペキリと扇子が折れる音がした。
まさか誰かが扇子の軸を折った? 握りつぶした? 淑女らしく整えられた、あのほっそりとした優美な手で?
メイラは恐ろしくなって、大急ぎで猊下の方に一歩踏み出し、如才なく差し出された手の上に指先を乗せた。
「教皇猊下」
わざとなのだろうが、今言う必要もない事をベラベラと喋っている陛下の口を塞ぐべく、淑やかに膝を折って礼を取る。
「本日は、不相応ながらお相手を務めさせていただきます。慣れない夜会ですので、ご迷惑をおかけするかと思いますが……」
「君のすることに迷惑などなにもないよ」
お願いします、目上のパートナーに向ける定型の挨拶なんだから、最後まで言わせてください。
「……よろしくご指導くださいませ」
「こちらこそ、パートナーがこんなおじいちゃんでごめんね」
まさか、こんなところでもおじいちゃん呼びを強要してくるのではないだろうな?
用心しながら猊下の顔を仰ぎ見ると、物理的に眩しく感じるキラキラ光る目で見つめられた。
いや! 呼びませんからね!?
猊下に促され、美しい貴婦人たちの群れから無事救出された。
挨拶の礼もとらず、まるで彼女たちを無視した形になってしまったと気づいたのは、入場の準備のために大扉に向き直った後だった。
刺すような視線で非難されたが、今更取ってつけたように振り返るわけにもいかない。
その時、ぐ、っと後ろ向きに引っ張られたような気がした。
気のせいかと思ったのは、装飾品やドレスの裾のおかげで、体幹のバランスが後方に傾きがちだったからだ。
「……失礼、奥方さま。そのおみ足をお上げください」
マローの、ぞっとするほど丁寧な口調に、無意識のうちに前へ重心を傾けてバランスを取ろうとしていたメイラは動きを止めた。
半身で振り返った目に、メイラのドレスに重なるオレンジ色のサテン地のドレスの裾が映った。
その先から、繊細な意匠のヒールの先が覗いている。
つまりはまあ、裾を踏まれているという事だ。
危ないところだった。マローが気づかなければ、入場と同時に盛大に転んでしまうところだった。
「まあごめんなさいね。疲れたのかしら、すこし眩暈がして」
一番上の異母兄の何番目かの奥方だった気がする。メイラより十歳ほど年上で、妊娠しているのかふくよかなのか、いまいちよくわからない体形の女性が弱々しく扇子で顔を伏せた。
それまでにこにことただ微笑んで話を聞いているだけで、一見とても善良そうな方に見えたのだが。
わざとらしい言い訳と、いかにも倒れそうですとアピールするその仕草は、お世辞にも上手とは言えなかったが、淑女たちの集団はこれ見よがしに大げさに心配する。
「大変だわ! 先週もあなた倒れたじゃないの。大丈夫なの?」
「ええお義母さま、その際にはご丁寧なお見舞いを頂きまして……」
「具合が悪いのなら、休んでいていいのよ」
「そういうわけにはまいりません、折角の夜会ですのに」
いつの間にか、何もかもなかったことにされてしまった。
テトラがメイラのドレスの裾を直しながら苦情を言おうとしたが、ふとメイラの傍らを見て間違って飴玉でも飲み込んでしまった猫のような表情になった。次いで、若干顔色を青くして、視線を泳がせて他所を向く。
彼が見ていたのはルシエラ。いかにも薄幸そうな美女ぶりで、彼女の方が今にも倒れてしまいそうだ。
こちらを見たルシエラと目が合って、弱々しく微笑み返された。
メイラもまた、飴玉ではなくもっと大きなものを呑み込んでしまった気がして息を詰めた。
テトラ、あなた何を見たの?
ものすごく問い詰めたかったが、やめておく。
すぐに入場で、そんな場合ではないということもあったが……それよりも、聞いても心臓に悪そうだとしか思えなかったからだ。
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年末年始の更新について
多忙につき、更新速度が大幅におそくなると思われます。
待っていただいているところ大変申し訳ございません。
皆様、体調を崩されないようご注意くださいね!
メリークリスマス!!
追伸
年末年始は通常の話ではなく、小話を上げようかと思っています。
あまりにもメインヒーロー不在が長いので(笑
ストーリーには直接関係ない話にするつもりでいます。
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