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「だから、指輪やネックレスのような装飾品は身に着けてはいけないよ」
リヒターはそっと、クリスティーナの髪を撫でた。
「ああいう方は常に警戒なさっておいでだ。装飾品を加工して毒を仕込むことは昔からよくあることでね。事前にご不快になられるようなことは避けておくに限る」
「わかりましたわ! 母の形見のブレスレットですが、晩餐のときには外します」
健気に見える仕草で、彼女は頷く。
長いまつげを瞬かせ熱心に話を聞く様は、予備知識なく見れば好感が持てるものなのだろう。
リヒターは励ますように頷きながら、どうして今更晩餐の作法を説明しなければいけないのだと内心愚痴っていた。
午後のお茶の後、定例の会食と一緒でよければ同席を認めると返答が来たと伝えると、クリスティーナはまたも飛び上って喜んだ。
しかしその次の台詞が、作法に不安があるから教えてほしいという一言。
甘え縋る仕草は愛らしいが、勤務中の者に頼むことではない。
そもそも作法がわからないなら、高貴な方との晩餐など望むべきではないと言ってやりたかったが、実に申し訳なさそうな顔の彼女を見ているとそれも言い出せない。
複雑な思いをしながらも、リヒターは我慢できる限り丁寧に、入室時の礼の取り方から実地で教える羽目になってしまった。
実際にクリスティーナが作法を知らなかったのかはわからない。
それを口実にしたなど実にありそうだと思う反面、彼女のような身分ではそうそう機会もないだろうから、念を入れたいのかもしれないとも思う。
事細かにいろいろと質問されるのは正直勘弁してくれと思ったし、そこまで細かいご婦人の作法は知らないと言ってやりたくもあったが、一応身分が高くこういう機会に恵まれているリヒターに質問したくなるのは理解できる。
ついでに指輪の不在を誤魔化すいい口実になったとリップサービス。
「君に贈られた指輪を外すのは、私も少し残念だけどね?」
つややかな髪を再びそっと撫でると、桃色の頬ではにかまれた。
「席に座ってからは、基本的に私と同じ順で食事を楽しむといい。身分ある方との会食でいいところは、出てくる食事が豪華なことだ」
「船旅の途中ですのに?」
「材料はすべてあちら持ちだよ。やはり相当に毒を警戒なさっているようでね」
「……疑い深い方ですのね」
「当然の配慮だと思うよ」
近い過去に毒を盛られた経験があるのだから。
「会食の相手の命もかかっているから」
「まあ!」
想像もしていなかった! という表情で彼女は驚いて見せた。
「そんなに用心をしなければならないなんて、お可哀そう」
「そうだね。気の毒な方だと思うよ」
正体も定かではない者たちに狙われて、毒まで盛られて。
「せめてこの艦に乗られている間だけでも、お心安らかに過ごして頂きたいものだ」
その心を乱す一旦を担ってしまった事に、今更ながらに自責の念を感じずにいられない。
ふと、仲睦まじく寄り添っていた陛下との様子を思い出した。
近しい親族と自認していただけに、半日前の自身の行為が身につまされる。
「そういえば、君の御父上の事だけれど」
「……はい」
ひとしきり作法の説明をしながら、それとなくクリスティーナの情報を引き出そうと試みていた。
それによって親密度が増した気がするのが不本意だが、当たり障りなく聞き出せる限りは聞けたのではないかと思う。
彼女の父親は、サッハートで手広く商売をしつつ、貿易商として複数の船舶を所有しているらしい。
聞いたことがない屋号に聞いたことのない船の名前。
うがった見方をすればすべて架空のものかもしれないが、とりあえずは後ほど報告書を書くべく記憶に刻み込む。
彼女曰く、海賊の被害にあうのは初めてで、普段は護衛艦を少なくとも一隻依頼するのだが、今回に限って予定が付かず、仕方がないので近場だからと単独で出航したらしい。
もし事実であれば、どこからかその情報が洩れて襲撃を受けたのだろう。
詳しい話を聞きながら、やたらと距離の近いクリスティーナの背中を撫でる。
「引き続きもっと広範囲に調査を広げさせている。心を強くして、無事を信じて」
「はい、ジークさま」
うるうると涙で零れ落ちそうな大きな目。
このどうしようもない嫌悪感がなければ、うっかり口づけしていたかもしれない距離感だった。
父親が心配だと言いつつ、滅多に会えない高貴な貴婦人との会食にはしゃぐ矛盾。
同時に救助された者たちは憔悴し、主人の心配をしながら未だ寝込んでいる者もいるのに、リヒターを見上げる彼女にはそれほどダメージがあるようには見えない。
行方不明なのは実の父親だというのに。
晩餐も、不安だという作法も、もし仮にリヒターの親が行方不明になっていたとしたら、とてもそんなことなど考えられないだろう。
半日前の自分は、そんな違和感にも気づかずにいたのだ。
「こういう時だから、あの御方もそれほど厳しい事は言わないさ。大丈夫。難しい事は考えず楽しめばいい」
改めてまたへこみながら、表面上は甘く微笑む。
「最後に、とっても重要なことを言うよ」
琥珀色の、美しい双眸を間近で見つめながら囁く。
「御方に何かをお願いしたり、質問したりしてはいけないよ」
「どうしてですか? できれば父のことをお願いしたいなと思っていたのですが」
「とても失礼なことだからだよ」
理解しがたいとでも言いたげに首を傾げるクリスティーナに、親身に見えるであろう真剣な表情で言った。
「あの御方は御父上の件に何も関係はないし、何の利害も持ち合わせておられない」
皇帝陛下の妾妃と商家、あるいは海賊に関わり合いなどあるはずもなく。
「御方に出来ることは何もないよ。私が君のために御父上を探し出して見せるから」
下々からの直訴は、実際のところ、大抵の場合無礼なものとされている。そもそも会話をするのもあり得ないことで、用件があるのであれば書面で、というのが通例だ。
「では、何をお話すれば?」
「そうだね、君自身のことを話すといいよ。趣味とか、読んだ本の事とか」
「……本はあまり。あ、でも演劇は好きです!」
「今評判の劇の話でもいいね」
こくこくと従順に首を上下させる姿は、どこから見ても美しく善性の淑女だ。
しかし、その背後に張り付いて見える、よくわからない正体が不気味で。
ヒリターはできれば離れたいと思いながらも、彼女を撫でるのはやめなかった。
『役に立て』と言われたからには、ジゴロ役でも何でもして見せよう。
これまでの失点をなんとか挽回し、あの女官に『役に立つ』ところを見せつけてやるのだ。
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