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狭い寝室が落ち着くのは、育ち云々というよりも狭いところが安心できるという動物の心理に近いものがあるのかもしれない。
そんな益体もないことを考えていたメイラは、控えめに扉を叩く音に我に返った。
今彼女は、布張りの狭い寝室のベッドの上で、ミノムシのように幾重にも掛布を巻かれて、横たわっているのか埋もれているのかわからない状態で転がされている。
「失礼いたします」
丁寧に女官としての礼を取ってから入室してきたのは、ルシエラだった。
「お加減はいかがでしょうか」
室温はひんやりとしているが、身体の熱が掛布にこもって熱いぐらいで、メイラの頬はリンゴのように赤く火照ったままだった。
熱が下がるまでには、まだ時間がかかりそうだ。
ルシエラは、メイラのそんな状態をざっと観察し、めくれかかっていた足の部分を丁寧にくるんだ。時折感じるその細やかな気遣いに、単なる氷の女ではないのだと気づかされる。
しかしそれ以外では大抵トラブルと一緒になってやってくるイメージが強く、申し訳ないが、彼女が改めてこうやって話をしに来ると身構えてしまうのだ。
「……提督の意識が戻ったようです」
その報告に、メイラは黙ってルシエラの顔を見つめた。
吐く息は熱く、視界は涙で潤んでいる。
「憑き物が落ちたようだとか。……やはりあの指輪の効果でしょう」
素人のメイラに判断できるはずもない。本職の魔法士か魔道具士に、しっかり調べてもらうべきだと思う。
メイラが気絶した後、あの場で指輪が取り上げられたそうだ。ひどく抵抗し暴れるリヒター提督の指からその金細工の指輪を抜いた瞬間、糸が切れた人形のように、白目を剥いてひっくり返ってしまったのだとか。
明らかに魔道具。しかも強力な。
ディオン大佐は即座に例の女性を拘束しようとしたのだが、ルシエラがそれを止めた。目的もわからないまま拘束しても、知らなかったで通されてお終いだ。
今のところ、リヒター提督に指輪を渡しただけ。それによって洗脳状態になったからといって、彼に何かを要求したわけでも、意に反することを無理やりさせたわけでもない。無知な女が知らずプレゼントしてしまったのだ、提督は勝手に指にはめたのだ、そう言い張られても否定できない。
決定的な証拠が必要だった。
ルシエラたちと海軍側とでどんな話し合いがなされたのかはわからない。床に伏しているメイラに関わらせるつもりはないらしく、ふた言目には「お休みください」と窘められ、ベッドに押し込まれる。
熱は高いが、咳やのどの痛みはないので風邪ではないのだろう。
寝すぎて今はこれ以上睡魔が寄ってきてはくれないようで、ただベッドに横になって居るだけという手持無沙汰。
本を読むぐらいしかすることがないので、退屈なんですが。
お話だけでも聞きたいのですが。
下手に出て強請ってみても、仕方がない子供を見るような目で見つめられ、挙句にため息をつかれては、それ以上我儘を言うことはできなかった。
ルシエラがやたらとご機嫌で、傍目にもテンション高く見えるのがうらやましい。
こちらは熱で身体がだるいのに。ずっとベッドに横になっていたので、背中や腰が痛むのに。
ままならない気持ちに蓋をして、潤んだ眼でじっとりとルシエラの端正に整った顔を見上げる。
「まずは熱を下げましょう。ザガンに到着するまでには本復して頂かなければ。次は馬車での移動になりますので」
寝込んでいる間に、出向してから丸二日が過ぎていた。
座礁船騒ぎでほとんど旅程がこなせておらず、ザガン到着まであと四日はかかるらしい。
さすがに四日もあれば熱も下がるだろう。
頷き返しながら、このまま四日間も無聊をかこつ羽目になるのかとうんざりする。
読書も嫌いではないが、さすがに四日間ずっと読み続けるだけの本はなく、あったとしても疲れる。
刺繍をしては駄目だろうか。刺繍であれば、放っておいても一日などあっという間に過ぎるのに。
揺れる船内で針仕事は危ないというが、手紙を書いてもペン先がぶれない安定具合だ、大丈夫な気がするのだが……。
熱さえ出なければ、船旅の醍醐味、雄大な海の風景を眺め潮風を堪能することも出来たのかもしれないが、今のこの状況では難しいだろう。
次からは寝込むことのないよう体力をつけよう。
高位貴族の女性はほとんど部屋から出ることもなく、身体を動かすことはない。最近寝込みがちなのは、太陽の光を浴びることのないこの生活習慣のせいだと思う。
このままでは確実に肥え、臥せりがちの病弱な人間になってしまいそうだ。
「先ほどまたディオン大佐が部屋の前までおいでになり、鬱陶しくも膝をついた謝罪をして行かれました。御方様の寛大なお言葉は伝えてあるのですが、何度も何度も鬱陶しくしつこく長々と。謝れば済むと思っている典型的な男ですね」
鬱陶しいを二回も言ったな。
「副長の謝罪はもう結構ですので、提督が土下座するぐらいの誠意を見せろと言っておきました」
「……え」
「あの手の男は、マウントを取ってしまえば従順なのです」
うふふふ、と含み笑いをするルシエラが怖い。
お願いだから、これ以上の揉め事は起こさないでほしい。
熱い頬から血の気が下がり、少し熱も下がったのではないか。狭い寝室に響き渡る氷の女王の微笑みに気が遠くなりそうだった。
「……ルシエラ」
確かに彼女は有能な憲兵士官なのだと思う。情報操作やいざ事に至ったときの判断能力は群を抜いているのだろう。他人を思うがままに動かす様は、もはや才能というよりも異能ではないかと思う程だ。
「はい、御方様」
「お願いだから、何かする前に相談してね」
彼女の手綱を握るのは、メイラには荷が重い。
やはりネメシス憲兵師団長閣下ぐらいの方でないと、しっかりと鐙をつけ乗りこなすのは不可能だ。
「とりあえず、土下座は撤回してきましょう」
「御方様は本当にお優しい」
優しい云々ではなく、海軍の重鎮に土下座を強要するなどどんな暴君だ。どうしても謝罪したいというのなら、言葉でいい。いや……直接面と向かってまたあの目で睨まれても怖いので、手紙でもいい。
「わたくしはここで大人しく寝ているので、指輪の件は十分に調査して、きちんと報告してね」
回り過ぎるほど回る頭の持ち主に、どうしてこうも丁寧に言い聞かせなければならないのだろう。
「報告、連絡、相談は大切なことよ」
「ご薫陶、ありがとうございます」
嫌味を言われたのかと思ったが、ルシエラの表情はむしろ穏やかでまともだった。
氷のような色合いの色素の薄い瞳とがっつり視線が重なり、メイラはあっさりと圧し負けて視線を逸らしそうになった。
駄目だ、子供や犬と一緒で、ここで目を逸らしてはいけないのだ。
必死で耐えていると、不意に薄灰色の目が三日月の形に綻ぶ。
今初めて、寝込んでいてよかったと思った。
美人の笑顔に腰を抜かしそうになったのは、さすがに初めての経験だった。
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