6
すっかり疲れてしまったが、こんな中途半端なところで話を切り上げるわけにはいかなかった。
メイラは扇の影で小さく嘆息した。
「討伐は、わたくしをザガンに送り届けた後というわけにはいきませんか?」
別に、この艦隊すべてでなくとも、ブリケート艦の一隻だけでもいい。
それだけ裂くのも、戦力として問題があるのだろうか。
「さすがは罪のない女性にひどい仕打ちをするような方だ。大量の宝石や領地を陛下に強請るだけでは飽き足らず、傲慢にも我ら誇り高き海軍を思うがままに使おうなどと!」
鼻を鳴らした提督の台詞に頭が痛くなってくる。
その、可哀そうな女性に対する云々はともかくとして、宝石やまさか領地などを強請った覚えは全くない。どこかにそんな噂をばら撒いている人間がいるのだろうか。
あまりにも話が通じないので、どうしたものかと考えていると、滲んだ血を手で拭ったディオン大佐が、世の一般的な女性であれば泣き出してしまいそうな恐ろし気な表情で提督の肩を掴んだ。
「提督、何度も申し上げましたが、妾妃さまは部屋から一歩も出ておられません。ホーキンズ嬢が言っているように、長い黒髪の女性に頬を張られたなどと、ありえない事です」
「何を言う! 現に彼女の頬には痣が出来ていて、ひどく怖がって泣いていたではないか。被害者本人がいっているのだから、間違いあるわけないだろう!」
「……わたくしが、その女性を叩いたことになっているのですか?」
メイラは仰天して目を丸くした。
子供の尻を叩いた経験なら何度もあるが、もちろんその女性に会ったこともないのだし、叩くなどとんでもない。
「黒髪と言っていたから、そうなのでしょう。惚けないでいただこう」
「確かに、黒髪は珍しいですが」
「美しい女性を見ればライバルだと思う、後宮の女らしいやり方だ。彼女のあの可憐な顔に傷をつければ蹴落とせると思いましたか」
いや、本当にどうしたものか。
提督以外のすべての人間が、怒りよりもむしろ呆れの表情を浮かべるようになっていた。
「蹴落とす……提督、難破船で保護された女性は、後宮に上がられる予定でもあるのでしょうか?」
「まさか! 貴女のように醜い野望にまみれたひとではありません」
「みにくいやぼう」
メイラは提督に言われた台詞を繰り返し、ついに辛抱できずに笑ってしまいそうになった。
ここまで話が通じないと、かえって可笑しくなってくる。
「なるほど。それでは提督は、わたくしがその女性を害し、海賊の盗伐を邪魔していると思われているのですね」
まるで三文小説のような筋書きだ。
「つまるところは悪役ですか? どうしましょう。もっとそれらしく振舞うべきでしょうか」
「御方様、御方様にその役は難しいかと」
「まあ、ユリ。折角期待されているのだから……」
「ふざけるな!!」
ドン! と提督の足がテーブルを蹴った。
「さすがはハーデス公が養女にしただけはある。大人しそうな顔をして陛下をたぶらかし」
「ジークハルト・リヒター提督」
ひんやりとしたルシエラの声が、激昂して立ち上がったリヒター提督の動きを止めた。
「陛下のご意思に口を挟む権利はあなたにはありません。御方様を悪しざまに罵ることもです」
「なにを……っ」
「あると思っているなら、傲慢なのはそちらのほうでしょう。あなたは軍人です。命令に従い、その職務を全うするべきではないのですか」
「だから海賊を討伐し」
「勅命は、御方様をザガンに送り届けることでは」
ルシエラの正論に、提督の喉がグウと鳴った。
「勅令を放棄してまで海賊を追いたいのであれば、まずは軍人としての職を辞するべきです」
「申し訳ない!」
カッと頭に血を上らせたリヒター提督の頭を押さえつけたのは、先ほどからずっとその肩を掴んだままでいたディオン大佐だった。
「提督にはあとでよく言い聞かせておきますので……」
「貴様、裏切るのかディオン!!」
激昂していても女性に手を上げることはなかった提督が、ディオン大佐にこぶしを振り上げる。
大佐は抵抗することなく甘んじてそれを受け入れ、ゴキリと鈍い音が聞こえた。
メイラは顔から血の気が引くのを感じつつも、ここで気を失ってはいけないと必死で呼吸を整える。
ふと、握りしめている提督の手に気を引かれた。
何か、嫌な感じがした。
続く部下への打擲を止めようとする者はいない。
開け放たれた入り口の向こうには、真っ青な顔の歩哨たちが突っ立っていたが、彼らは貴族女性の私室であるこちら側に立ち入ることは許されていないのだ。
傷だらけの顔を激しく殴りつけている提督の拳。
その中指にはめられた、男性用の太めの指輪。
「……! 入室を許可します! 提督を止めて!!」
一瞬後、屈強な歩哨たちが弾かれたように彼らの指揮官たちの下に駆け寄ってきた。
「貴様らもかぁっ!!」
「提督! どうしたんですかっ! 落ち着いてください!!」
リヒター提督は全力で暴れるが、若く屈強な海兵たちの力には叶わず、あっという間に木の床に押さえつけられた。
「……御方様、寝室の方へ」
「いえ、いいえ」
守るようにメイラと海兵たちとの間に割り込んでいたマデリーンたちが、席を立ってふらふらと提督の下へ行こうとしているメイラを止めようとした。
その手を制し、唸りもがいている男の傍らに膝をつく。
「……リヒター提督、この指輪はどうされましたか?」
気になったのは指輪そのものではない。そこに埋め込まれた、真っ白な象牙にも見える石だ。
その石を認識した瞬間、くらり、と強い眩暈がした。
「御方様!」
ユリが倒れ掛かるメイラを支える。
「すぐに外さなければ。良くないものだわ」
うわごとのようなその台詞は、意識してのものではなかった。
「直接触っては駄目。布越しでも長くは駄目」
「わかりました。御方様はお下がりください。あとは我らが」
そのあとの事はよく覚えていない。
「マロー」
朧な意識の中で、マデリーンの名前を呼んだ気がする。
「あのロザリオと同じものだわ」
そして完全に失神してしまった。
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