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 リヒター提督の後続のボートから、十人ほどの海軍将校と同数ほどの儀仗兵が降りてきた。

 ちなみに、海軍の軍服は白がデフォルトらしい。こうやって見ているだけでも、一等礼装の色は各軍によって違い、肩の記章も複雑な意味がありそうで、メイラはつくづく己が勉強不足であると思い知らされていた。

 儀仗兵が踵を慣らし、先端に剣のついた魔道長銃をグルグルと華麗に操って独特な立礼をする。

 陛下は鷹揚に頷いてそれを受け入れた。

 おそらく、あのボートにメイラは乗り込むことになるのだろう。

 ちらり、と港のど真ん中に停泊中の巨大な軍艦を仰ぎ見る。

 高い帆の先端には帝国の旗。遠目にも、甲板上にびっしりと男たちが待ちかまえているのが見える。

 あ、あそこに行くの?

 ものすごい不安を感じたが、その内心を他所に気取られるようではいけない。

「メルシェイラ」

 低く腹に響く声で名前を呼ばれた。何度呼ばれても、心臓に悪い。

 ドクドクと大きく波打つ胸を押さえ、陛下の方に向き直る。

 ああ、別れだ。

 メイラはキンバリーの支えから一歩前へと踏み出し、巨躯を見上げた。

 陛下が身を屈める。

 長い腕で華奢なメイラを抱きしめ、ベールの上から額に唇を寄せる。

 ざわりと周囲の空気が揺れた。

 メイラはほぼ棒立ちになってその抱擁を受けつつ、おずおずと両手を陛下の背中に回した。

 ものすごい数の凝視に穴が開きそうだ。

 恥ずかしくて、居たたまれなくて、過呼吸になりそうなほどだった。

 やがて陛下が腕を解き、名残惜し気に片手をメイラの肩に置いたまま一歩下がった。

「無事にわたしの元へ戻って参れ」

「……はい、へ」

「ハロルドだ」

 もはや陛下とは呼ばせてもらえないらしい。

 メイラはベールの下で眉を下げ、小声で「ハロルドさま」と夫の名前を呼んだ。

「あなた様こそ、お身体にはお気を付け下さいませ。政務は大切ですが、働き過ぎは障ります」

 きゃー! あなた様だって!!

 メイラは内心ものすごく恥ずかしく身もだえしながらも、それを面に出さないよう必死だった。

 陛下と呼べないのであれば、おのずから呼称は限られてくる。

 ご主人様、あるじ様……では(あながち間違いではないが)主従のようだし。夫婦の呼びかけ方といえば、旦那様か、あなた様か。

 貴族の奥方が夫をどのように呼ぶのかなど知らなかったので、おずおずとそう呼んでみたのだが、周囲の騎士たちがぎょっとしたように目を剥いたので、大失敗したのだと悟った。

「あ、あの!」

 違うんです。陛下のお名前をお呼びするのが恐れ多くって!!

 そんな言い訳は、再びその長い腕で抱き込まれたために言葉にならなかった。

「そなたこそ、病み上がりなのだから無理はするな」

「……はい」

 よくわからないが、陛下が気にしていないようなので良しとしよう。

「船はさほど揺れはせぬだろう。波の荒い海域には出ぬように申し付けてある」

 夫婦の別れに口を挟む者はいない。

 ものすごい人数に見守られて、絶対に聞き耳立てられている状況で、私的な会話を延々とするのは気が引けるのだが。

 陛下の腕が緩んだところで、そっとその胸を押した。

「お見送り、ありがとうございます。そろそろ行かねば」

「……離れがたいものだな」

「ひと月など、すぐに過ぎますよ」

 メイラはそっと、陛下の大きな手を握った。

「神のご加護が滞りなく御身をお守りくださいますように。安寧とご健康をお祈り申し上げます」

「偉大なる御神も、敬虔なる使途であるそなたを見守っておられるだろう。……旅の安全を祈る」

 手が、離れた。

 メイラは急に、ものすごく心許ない気持ちになって戸惑った。

 どれだけ陛下の存在に依存し、その腕から離れることに恐怖心を持っているか、まざまざと思い知らされて泣きそうになる。

 陛下はまだすぐそばに居る。手を伸ばせば届く距離、抱き着けば、おそらくあの逞しい腕で抱き返してくれるだろう。

 ベール越しにじっと、青緑色の瞳を見上げた。

 喪失感で胸がしくしくと痛む。

 こんなに弱くては駄目だ。陛下のお側に居続ける為にも、もっとしっかりとしなければ。

 陛下が手を差し出したので、そっとその上に指を乗せた。

 指先がぎゅっと握られ、メイラもまた、そっと握り返す。

 陛下が羽が触れるような口づけを薬指の上に落とした。

 ぐっと込み上げてくるものを飲み込み、メイラはゆっくりと、深いカテーシーを返した。

 そしていざボートに乗り込むことになったのだが、軽々とこなす海の男たちとは違い、海に出ることすら初めてのメイラにとっては一歩を踏み出すことすら難関だった。

 キンバリーたちのエスコートでなんとかぐらつくボートに乗り込み、バランスを崩しそうになって数人がかりで支えられる。

 小柄なメイラを前後から抱き止めている女性騎士たちも、ボートに乗るのはほぼはじめてに違いなかったが、さすがの身体能力で無様な様子を晒すことはなかった。

 履いている靴も悪かったのだろう。実用的でないヒールは、ボートに乗るのに適したものではない。バランスを崩して倒れ込むようにその場に座り込み、ようやく身体が安定したのでほっと息を吐いた。

「レッコー!」

 唐突に、ものすごい大声が至近距離から聞こえた。

 いや、近いわけではない。未だかつて経験したこともない大声なだけだった。

 船尾に、岸からロープが投げ込まれ、左右の水兵がオールを立てた。濁声すぎて聞き取れない掛け声と同時に、勢いよく同時に海面をかきはじめる。

 ひと漕ぎひと漕ぎ、ボートの速度が増していく。

 魅せられたようにその様子を見ていたメイラだが、ぐぐっと身体に重圧がかかるのを感じて、はっとして顔を上げた。

 陛下は別れた時より少し岸に近い位置まで移動していて、そのままボートを追尾するように突堤方向へと歩いていた。

 視線が重なった。

 まだ、その強い眼差しがメイラを捉えているのを感じ取れる。

 しかしそれも、あと少しだけだ。

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