6 (R15)

 何か大切なものを失ってしまった気がして、メイラは暗いベッドの上でめそめそと閉じこもった。

 嫌だって言ったのに! やめってって言ったのに!!

 大声で文句を言ってやりたかったのだが、メイドたちの微笑まし気な眼差しにゴリゴリと心が抉られて、天蓋布の内側で膝を抱えた。

 確かに、身体の不快感はなくなり、いまだかつてないほどしっとりと肌が潤っていた。

 気になり始めていたムダ毛もなくなり、全身まるで剥きたてのゆで卵のようにつるっともちっとしている。

 さすが専門職と感心しなくはなかったが、いまだ半病人のメイラをこんなにも磨き上げる必要があるのか?

 ものすごく高価なのだろう練香を付けられるにいたっては、まるで美術品のように美しい陶器の入れ物を見せられた段階で唖然としてしまった。

 これまでも身に着けていたのは肌触りの良い高級布の夜着だったが、風呂上りに着せられたのは夜着というよりもナイトドレスだった。

 透け感のないシンプルさは好みだが、裾に美しいレースがあしらわれていたり、ハイウエストから落ちるスカート部分がやけにふわふわとタックを取っていたりと、真っ白でさえなければちょっとしたお出かけ用のドレスになりそうだ。

 寝室に戻れば、部屋を間違えたのではないかと思う程に内装が変わっていた。

 シーツが真新しい真っ白なものになり、天蓋から落ちる布まで別の色のものに取り換えられている。

 ベッド脇では、ほのかに甘い香まで焚かれていた。いつか後宮で嗅いだことのある、ドキリと鼓動が高まるような香りだった。

 ここまでくると、いくら鈍感なメイラでもわかるというものだ。

 下ろされた天蓋布の内側で三角座りをしながら、きれいにラッピングされた贈り物になったような気がしていた。

 プレゼントの中身はちょっとアレだが、そこだけ見ないようにすれば、大国の皇帝にささげるに相応しい贈り物だろう。

 立てた膝を抱え込み、はあ……と嘆息した。

 迎える時刻はもうすぐ夜。外はすでに暗く、窓からは美しい夜の海が波立って見える。

 雲一つない空には二つの月。おあつらえ向きに窓に収まる位置にあり、まるで切り取られた絵画のような情景だ。

 天蓋布の隙間から見えるそんな幻想的な風景に見入っていると、ふわりと空気が動いた。

 濃い色の天蓋布がめくられて、普段通りの真っ白な夜着を着た陛下が現れる。

 いくら気鬱で引きこもっていたとしても、陛下のおいでは知らせて欲しかった。体調不良で寝込んでいるならまだしも、風呂場まで自分の足で行ける元気があるのだから、出迎えぐらいはできるのに。

 メイラは慌てて立てていた膝を下ろし、今更ながらに深く頭を下げて礼を取った。

 ベッドの上なので、ちょっと間抜けな体勢になってしまったが。

 陛下がふっと笑い、その大きな手が包み込むようにメイラの頭を撫でた。

「いつも美しいが、今宵もまた夜の精霊のようだな」

 いや、ないです。

 お世辞に違いないのに、陛下が言うと本気っぽく聞こえて困る。

 慣れてきたメイラは、小さく苦笑して流した。

 陛下の言葉を聞き流す不敬は重々理解しているが、わかってほしい。

 メイラは自分が美しいなどと形容される容姿ではないと知っているし、周囲の認識もその通りだと思う。それなのに、可愛い小鳥だの美しい妖精だのと形容されても、同意などできない。陛下のお言葉だからと頷けば、ただの勘違い女だ。

 この国で最も権力を有し、最ももてて、おそらくは最も美しい女性たちを見てきただろう陛下が、どういう意図でメイラを賛美するのかわからない。

 メイラ程度を美しいと思うのであれば、国中に美女が溢れていることになる。陛下の目には、世の女性はそのように映っているのだろうか。

「食事は済ませたか?」

「……はい、陛下」

 気のせいでもなんでもなく、普段より甘ったるい眼差しで見つめられ、頭の芯がふわふわしてきた。

「そなたを抱きに参った」

 どくり、と心臓の鼓動が早くなった。

「ただな……エルネストが無理を申すのだ」

 妙に現実感の薄い目で、端正な陛下の顔を見上げる。

「万が一にも元老院に難癖をつけられた場合に備えて、そなたはしばらく乙女のままでいたほうがよいとな」

「……っ」

 あっという間に大きな腕の中に抱き込まれ、背中がベッドに沈んだ。

「故に最後までは致さぬ」

 さらさらの長い朱金色の髪が頬に触れた。

「ただ、夫婦らしく睦みあっても構わないだろう?」

 至近距離で見る陛下の顔に、過労による隈はない。優しい青緑色の双眸にはくっきりとメイラの顔が映っていて……不意に、悲しいような幸せなような、不思議な感覚が湧き上がってきた。

 夫婦と言っても、メイラは妾妃。名目上は妻だと呼ばれても、実際はただの妾。

 きちんとした皇妃を三人も持ち、そのうちのひとりからはもうすぐ赤子まで生まれるというのに。

 それでもいいと思ってしまった。

 たとえ一時の寵愛であろうとも、陛下に愛して頂けるのであれば、それはきっと幸せなことだと。

「わ、わたくしは」

 次第に深まっていく口づけの合間を縫って、メイラは精一杯の感情を込めて両手を伸ばした。

「……お慕いしております、陛下」

 はだけた夜着の隙間から、くっきりと筋肉の陰影を刻んでいる胸板に頬を押し当て、目を閉じる。

 不意に、顔も知らぬ母親のことを想った。

 どういうつもりであんな父と情を交わし、メイラをさずかったのか理解に苦しむと思ってきた。妻にすらしてもらえぬ身分であるなら、そもそも愛人になどなるべきではなかったのにと。

「ですからどうか、お情けを」

 故に、己がそんなことを言う日が来るなど想像もしていなかった。

「陛下のお子を、産みとうございます」

 きっと叱責されると思っていた。

 メイラはただの妾妃にすぎず、子を授かるなど不相応。そう言い放たれ、捨て置かれるかもしれないと。

「愛いことだ」

 しかし陛下は眦を綻ばせ、これまで以上に深く抱き込まれた。

 絡まり合う舌は熱く、頬を伝って落ちる唾液はもはやどちらのものともわからない。

 いつしか互いの夜着はどこかへ行ってしまって、肌と肌が密着している。

 まったくこの手の経験のないメイラは、真逆に経験豊富な陛下の手に翻弄された。

 上手にできるかという不安は、あっというまに意識まで飛んでしまって霧散した。

「約束しよう、メルシェイラ。我が妻よ」

 甘い声を上げ続けるメイラになお一層の攻勢を仕掛けつつ、陛下が熱のこもった声で囁く。

「時が来れば、この薄い腹を子種でいっぱいにしてやろう」

 幾度目かの絶頂に容赦なく押し上げられたメイラに、その不穏な誓約が届くことはなかった。

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