第60話

「どういうつもりだ!」

 きらきらとツヤの良い金髪の男性が、面長の貴族的な顔を険しくし、鋭く叱責した。

「ハーデス公爵家に抗議するぞ! 覚悟しておけ」

「フィドール総督閣下こそ、これは何事ですか? 正規軍が動くなど聞いておりませんが」

「何故貴様に知らせねばならん!  そちらこそ我が領内に翼竜部隊で押し寄せるなど、無礼ではないか!!」

「我が領内、ですか……?」

 メイラは、熱でぼーっとした頭でその男を見ていた。

 まっすぐな背中と、広い肩幅が印象的だった。暗い青の軍服を着て、風除け用とおぼしき硬そうなマントを羽織っている。

「我々は、各地の水オーブの調査をせよとの勅命を受けております。抜き打ち査察なので事前にお知らせする事が叶わず申し訳ございません」

 落ち着いた声で返答する彼の髪も金髪だか、こちらは若干くすんだ藁色に近く、癖があってパサパサ気味だ。

「ですがここは直轄領のはず。我が領内とは聞き捨てなりませんね」

 対峙する二人の表情は硬い。翼竜という巨大生物の威圧感に紛れてしまっていたが、その会話は今にも剣先を交わしかねない緊迫したものだ。

「恐れ多くも陛下に対し、叛意があるととられてもおかしくはない」

「っ! なにを!!」

「前々から、南方軍の私物化が取りざたされていましたが、噂は真実だったようですね。陛下の御命令どころか、元老院の許可もないまま軍を動かすなどあってはならない事です」

「許可ならあるぞ。もちろんではないか!」

「それは宰相殿の? これらの一件が総督閣下だけではなく、宰相殿までかかわっているとおっしゃる?」

「そうだ! 今のうちに引くがいい獣臭い猛獣使いめ。貴様など父上にお願いして首を飛ばしてやるからな!」

「さてそれはどうでしょう。正規軍を動かすにはいろいろと手続きが必要です。何年か前に、隣国相手に勝手に戦争を仕掛けた方がその後どうなったか、覚えておいででしょう? 確か閣下の従兄だった気がしますが」

 カッとした背の低い方が腰の剣に手を当てたが、対する竜騎士のほうは両手をだらりと脇に垂らしたまま身構えもしていなかった。

「訓練だ! これは正規軍の訓練のために」

「……ほう?」

「そ、そうだ。訓練のために軍を出動させたところ、丁度我が屋敷に敵国の工作員が潜り込んでいると判明したのだ」

「スパイですか」

 その時のメイラは、ほとんど失神しているといってもいい状態だった。すでにもう瞼は半分以上閉ざされ、下手をしたらそのまま黄泉路へ落ちてしまいそうだった。

 意識が朦朧としているので周囲のことをよく理解できておらず、いつの間にか抱き手が別の人間に代わっていることすら気づいていなかった。

 ただ不意に、その腕の中をひどく暖かいと感じた。

 縦抱きで、ぴたりと温かい身体にくっついて。風を遮るマントに深く包まれ、頬に掌をあてられて……何故かひどく安堵している。

 頬を包む手がそっと耳たぶに触れる。大きな手なので、そのままザンバラに切られた髪を指に絡め取られる。

「そこのお前! 女はこちらへ渡せ。スパイ容疑がかかっている!!」

「……ほう」

 低い、地を這うよりもっと低い声が耳朶に響いた。

 周囲の男たちがそろってビクリと肩を揺らすほど、その声は低く怒りに満ちていた。

「具体的にこれが何をしたと?」

「……ぶ、無礼だぞ!」

「言ってみよ、フォルス。何をしたというのだ?」

 唐突に辺りが静まり返った。人々のざわめきも、翼竜の歯を慣らす音すら聞こえなくなった。

 ひゅっと肝が冷えるような恐怖で身体が震える。何が恐ろしいのかわからないのに、目の前の広い胸に額を擦り付けて縋る。

 そんなメイラの後頭部を、大きな手がやさしく撫でた。

「……詳しい話を聞かねばならんようだ。そのほうの権限を一時剥奪する。指揮官」

「はっ」

 ひょろりとした長身の、先ほどからメイラたちを庇おうとしてくれていた騎士がきびきびとした返事をした。

「フォルス・フィドール総督を拘束せよ」

「了解しました。陛下」

 冷たい風が天幕を揺らす音だけが聞こえていた。

 この場所には無数の人間がいるはずなのに、誰一人として喋らないし、動かない。鎧の擦れる金属音どころか、寸前まで聞こえていた女子供の悲鳴も、男たちの怒声も、何もかもがピタリと止んでいる。

「お、お待ちください! 私はただ……」

「ただ、何だ? 我が妻をスパイと断じ、軍を動かしてまで捕えようとした理由を、申せるのであれば申してみよ」

「違います! 娼婦のスパイが機密を奪い逃亡していると情報を得て!」

「ほう娼婦? どこにそんな者がいるというのだ」

「陛下! 目を覚ましてください!! その女に油断してはなりません!!」

「面白い事を申すな。その女、とはよもや我が愛しい妻のことではあるまいな」

「陛下っ!!」

 これまでは護衛として総督に付き従っていた騎士たちが、こちらへ駆け寄ってこようとしたその腕を無言でつかんだ。

「……貴様ら! これまで引き上げたやった恩を忘れたのかっ」

「監禁しておけ。見張りは欠かすな」

「はっ」

 メイラは幼子のように安堵して、細く長い息を吐いた。

 もう大丈夫だと、終わったのだと、朦朧とした意識のままホロホロと涙をこぼす。

 吐く息は熱かった。涙と一緒に嗚咽がこぼれ、ぶるり、と全身が震えた。

 そんなメイラを更にしっかりとマントの中に包み込み、わずかに覗いた黒い頭部に触れるか触れないかの口づけをひとつ。

 もちろん当の本人は気づいていない。

「……ここは冷えます。とりあえずは街に移動しましょう」

 先ほど総督とやり合っていた男が、軽く咳払いをしながら声を掛けてきた。

 おぼろげながらも、メイラが覚えているのはそこまでだった。

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