7
ものすごく見られている。
ロバートはそっと身震いした。高い位置からの群衆の視線はどうでもいい。それより気になるのが、陛下からの凝視だ。
時折首を傾げる仕草をするので、何やら考えこんでいる様子だが、その青緑色の目がフード越しにロバートをじっと見ていて、ものすごく落ち着かない。
「何か御用でも?」と聞けばいいのか? いや、用があればすぐに命令が下されるだろう。もっと直接的に、「見ないでください」? ……自意識過剰か。
そういえば、焚火の前で陛下から同じことを言われた。見られて落ち着かないとはこういう事か。
「……あっ、閣下!」
クリム教授がロバートに気づき、近づいてきた。
フードを被ったままの陛下のことは副官だとでも思ったのか、目礼しただけだ。
「地震の影響は基礎部分へのヒビと若干の浸潤だけですね。意図的に作られたものではなさそうですし、修復も難しくはありません。結界石も問題なさそうです」
「……声が大きい」
「大丈夫ですよ。どういうわけか、対人の防御結界に風魔法を用いていて、声は上の通路まで届かないような仕組みになっています」
「なんだそれは」
音を周囲から遮断する魔法は、工事現場や竜を含めた動物の飼育、あとは密談の際などに用いられるものだ。地下水脈という元来静謐なこの場所で、必要なものだとは思えない。
「おかしいと言えばおかしいですが、理由はさっぱりわかりません。古い術式なので、掛けた本人はもうこの世にはいないでしょうし」
「古術式か」
「古代の魔術は複雑で読み解くのは難しいです。古代魔法学のルパート教授が専門ですね」
「専門外が多いな」
「わたしの専門は地質学ですよ。地層の変化と影響についてはご説明できますが、それ以外はちょっと責任がもてません。個人的意見でよろしければ、おそらくは術者の属性の問題だと思いますが」
そんな簡単な話ではないのではと素人でも思うが、教授以上に専門的なことは理解できないので適当に頷いておく。
「このヒビ程度では水位が下がるまでいかないはずです。噴水口からの水量が下がっているんでしょうか」
「もとの噴水量はわかるか?」
「水オーブの保守管理を担当していた魔法士に聞いた方が早いです」
ここはユクリノスの水源。庁舎の地下に広がる地底湖で、国内屈指の貯水量を誇っている。
その暗い湖底には、ほんのりと青白く光るものが見える。大人が三人がかりでも抱え持てないほどの巨大な水オーブだ。
各街々に置かれている小型のものと魔術的につながっていて、水源の水を転送する仕組みだった。
この大陸のほとんどの場所は、人間が住むのに難しい乾いた大地だ。そんなところで人々が生きていくために、はるか昔に高名な魔法士が考え出したシステムで、彼の死後百年以上稼働し続けている。
「教授の意見は?」
「……今の噴水量が少ないようには見えないとしか言いようがありません」
人口の増加にともない、子機の水オーブをその都度増やしてきた。蛇口を増やすのだから、水源の水の量が減ってしまうのも当たり前だと思われてきた。
しかし、エルブランの水オーブに施された術は明らかに作為的なものだ。
それがあの街だけのことなのか、水源の水位が下がる理由になっているのか。
真実を突き止めなければならない。
「わかった。教授は水オーブの方を見てくれ。噴水量については担当の魔法士に聞く」
「その必要はありませんよ、ロバート卿」
お呼びではない一団が近づいてきているのは気づいていた。
キラキラしい装束は高位貴族特有のもの。随分前になるが、挨拶を交わしたこともある相手だ。
「ホーキンズ伯爵」
ミッシェル皇妃の父親であり、彼の妻がロバートの母方の従妹にあたる。
陛下にとっては、妻の父親と言う立場の人間なので知らない相手ではないだろうが、さっとフードの縁を引き気配を薄くしたところを見ると、お忍びで来ていることを知られたくないのだろう。
とりあえず陛下への視線を塞ぐように数歩前に出て、騎士としての略礼をする。
「お久しぶりです。こちらに来られていたとは知りませんでした」
「ええ、十年ぶりぐらいでしょうか。本当にお久しぶりですね、従兄弟どの。お勤めご苦労様です」
返答の礼はなく、にこやかだが尊大な表情で頷き返された。
確かに彼の妻はロバートの従姉妹だが、ホーキンズ伯爵自身とは血縁関係にあるわけではないし、何より彼は一介の地方伯。ハーデス公爵本家の御曹司であり、将軍職にあるロバートに対するにはいささか気安すぎる口調だ。
ロバートは少し眉を上げたものの表情は変えず、注意深く言葉を選んだ。
「帝都にいらしたのでは?」
「娘の悪阻がひどいようなので、食べられるものを探しに故郷に戻っておりました」
久々に会うホーキンズ伯爵は、以前の印象とはまるで違っていた。女性受けをする美しい面立ちは変わらないが、かつての大人し気な雰囲気はまるでない。
「いきなりの視察に驚きました。卿でなけれは、恐れ多くも次期皇太子殿下のお腹さまの足を引っ張る輩かと思いましたよ」
すでに男子の孫が生まれ、立太子したかのような口ぶりだった。
確かに、現在のところ候補に上がるのはミッシェル皇妃の腹の子だけだが、陛下もまだ若いのだし、この先ずっと子が一人という事もあるまいに。
皇妃、しかも今生帝の子を唯一身籠った者の実父。……舞い上がっても仕方がないのかもしれない。
しかし今の言葉はさすがに不用意なものだった。内々の会話ならまだしも、これだけ多くの外部の人間に聞かれていい類のものではない。いや、風魔法で声は遠くに届かないし、一応親戚でもある。……肉親同士の気の置けない話のつもりなのか?
ロバートは何も気づかなかったふりをして話題を変える事にした。
「最近だけの話ではないのですが、国内で水不足の深刻さが問題になっています」
「ああ、そのようですね」
「陛下も随分とご心配なさり、水オーブをこれ以上増やしても大丈夫なのか、調査するようにと命じられました」
暗に、公的なお仕事ですよ。親しくもない仲で内々の会話をしていいところじゃないですよ、と告げたつもりだったが、返ってきたのは気のない頷きだった。
「ご覧の通り、水位がかなり低くなっていますからね 。噴水量については、少し前に当家でも調査しています。こちらが資料です……おい」
伯爵の背後で目線を低くして控えていたのは、先ほども話をしたこの街の市長だ。
恭しく頭を下げたまま書類を掲げ持ち、差し出す。
伯爵はぐい、と書類を引っ張って受け取り、表紙の内容を確かめる素振りすらせずロバートに渡した。片手で。
嫡出子ではあるが、三男。爵位は譲り受けておらず、しかも実働部隊の騎士。
父親に疎まれているのではないか、兄たちにくらべ出来が悪いのだろう、と口さがない連中に陰口をたたかれていることは知っている。
しかし、ここまであからさまに非礼な態度をとられて、気分がいいわけもなかった。
いや本人にそのつもりはないのかもしれない。何しろお腹さまの御尊父だし、悪阻の心配で気もそぞろのようだし。
ユクリノスにとって水位の低下は日常のことであり、それほど心配するほどのものではない、と判断しているのだろうか。
陛下の『勅命』だと伝えたはずなのだが。
ロバートは受け取った書類をめくって、内容を目で追った。
小難しいデータについては、正直よくわからない。しかし噴水量が最近減ったというようなこともなく、水位の変化と地方へ配置された水オーブの数の増加が比例しているのは把握できた。
書類上は、特に目立っておかしなところは見当たらないように思える。
「……オーブのメンテナンスの詳細はありますか」
一通り目を通してから、同じ竜騎士の服を着ている陛下の護衛に書類を回す。部下を装っているので、片手で渡しても問題はない。
「ダラン市長」
「……はっ、あっ、はい。すぐにご用意致します」
絶対に顔を上げません! と言いたげに俯いていた市長が、伯爵に名前を呼ばれてビクリと身体を震わせた。
寂しいことになっている額には異様なほどの汗が浮かんでいて、この寒い季節にどうしたことかと誰もが思うだろう。何か身にやましい事でもあるのか?
「しばらく前の地震の影響は考えられるか?」
「っ、わ、わかりかねます」
「言い換えよう。地震の前後で目立った変化はあったか? この資料は地震より前のもののようだが」
「は、はい。特に変わりがないように思います」
ロバートは、頑なに顔を上げない市長をじっと見下ろした。
「水オーブ担当の魔法士と話がしたい」
「控えさせているのだろう、すぐに呼べ」
見るからに萎縮している初老の男に、苛立ちを隠せない口調で命じるのは彼の主であるホーキンズ伯爵だ。
「主席担当者は今日は病欠で……」
「呼び出せ!!」
「あ、う、移る病気かもしれないので自宅で待機させております」
「……なんだと」
移る、と聞いて伯爵はあからさまに怯んだ。
彼がとっさに考えたのが、妊婦である皇妃のことだというのは容易に知れた。後宮内にいる彼女と直接接する機会などあるはずもないのに。
外戚のこの男が、今回の一件に関係している可能性について考えていると、視界の隅で近衛騎士たちがゆるりと身構えた。
そして彼らが警戒したものにロバートも気づき、眉間を寄せる。
地底湖に降りる通路は街の警備兵が常住している。その制止を振り切るようにして、風よけのマントを着用したままの部下がものすごいスピードで走ってきたのだ。
彼はロバートのもうひとりの副官だった。
発着地に残し、後続の専門家を待って連れてくるようにとの指示を出していた。
「も、申し上げます!!」
副官はつんのめるようにしてロバートの前に膝をついた。
彼のこんな必死な形相は初めて見た。
「い、妹君が誘拐されたとの一報が届きましたっ!!」
「……っ」
背後で陛下が鋭く息を飲む音が聞こえた。
「……どの妹だ」
聞かなくとも答えはわかっている。そもそも最近実家に戻ってもいない薄情者の兄に、そんな一報が届くわけがないのだ。つまりこれは、ロバートにではなく陛下に届いた知らせなのだろう。
ロバートは必死に心を落ち着けようとしながら、歯噛みした。
警備が厳重なはずの後宮で、どうしてそんなことが起こるのだ。いや、後宮だからこそなのか? メルシェイラが陛下の寵愛を受けているから?
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