6

 明け方、完全に日が上る前に出立した。

 風向きは南に代わっており、ユクリノスに到着するのは昼を過ぎるだろう。

 急げばもっと早いだろうが、竜籠を運んでいるのでそれほど速度は出せない。

 旅は順調に進み、一度も休憩しないままに眼下には針葉樹の森が広がり始めた。

 上空の気温はぐっと下がり、吐く息はすでに白い。

 最初は遠くに見えていた灰色の塊が、しばらくすると雪を頂く山々だとわかり、距離を詰めるだけその威容が迫ってくる。

 やがてそれが首を真上にあげるほどの巨大さで視界を埋める頃、切り立った崖を背に美しい街が現れた。

 最初に目につくのは、街を取り囲むように半円状にカーブを描く崖だ。

 神々が戯れにスコップでえぐり取ったかのような崖には、無数の滝が細い糸のように垂れている。膨大な水量というわけではないが、水の少ないこの大陸ではまさに夢のような風景。

 上空から見ると、街の形は綺麗な円形をしている。

 中心の、おそらくは教会であろう高い塔から放射線状に道が伸びていて、家屋の屋根の色までもが青で統一され、非常に美しい。

 重要な水源のひとつを保有し、この地方では有数の人口と、常に多くの観光客を抱えているこの街は、辺境ながらも間違いなくこの国有数の大都市だった。

 翼竜部隊はそんな街の上空をぐるりと一周し、山脈の切り立った崖を利用した発着所に降り立った。

 本拠地ほどの数は翼竜をとめておけないが、一応は国境に派兵されることを見越して大きめに作られており、三十頭程度であればまだ余裕がある。

 しかし、今回のロバートたちの訪問はあらかじめ告知されたものではなく、基地の受け入れは問題なくとも、街の方は若干の騒ぎになっているようだ。

 発着所の位置から見下ろせる街には、ゴマのようなサイズの人々が右往左往しているのが見える。

 ほぼ抜き打ちの査察だが、水源の管理者はすぐにこちらの到着に気づくだろう。身にやましい者がいるならば、急いでそれを隠そうとするに違いない。

 ここからは、時間との勝負になる。

「ハーデス将軍閣下!!」

 相棒と身体をつなぐ固定具を外され、その首筋をひと撫でしてから降り立つと、真っ赤な顔をした従騎士がピシリと背筋を伸ばして敬礼した。

「ご苦労」

 気になる陛下はというと、あっさりロバートに上座を譲っていくつか下の方に翼竜をとめ、手際よく固定具を外してすでに翼竜から降りている。

 その特徴的な髪色は、風よけのフードに覆われて見えない。

 保安の意味からも、身分は秘すと言われているので、部下たちの誰もが特別な態度はとるまいとぎこちない努力をしている。

 見る者が見ればすぐにそうと知れる陛下の翼竜だが、体格も色もごく一般的な個体なので、黙っていれば「似ているなぁ」程度に思われるだけで気づかれることはないだろう。

「あとからまだ数頭来るから、発着所の場所は空けておけ」

「イエッサー!!」

 ロバートも固定具を外して身軽になり、さっさとどこかへ行こうとしている陛下の後ろを速足で追った。

 発着所から下界に降りるのは少し面倒で、急斜面の階段を延々と下ってから次は馬に乗る。翼竜の臭いにもパニックを起こさない馬が厳選されており、街との行き来だけに使うには少しもったいない良馬たちだ。

 ちなみに竜籠は先に庁舎の屋上に届けている。もともと貴人の移動用に作られたものなので、大抵の大きな街には専用の着陸場所があるのだ。

 葦毛の馬の背に乗り、ほとんど喋ることなく先を急ぐ陛下の背中を見つめる。

 これまでの半生、ロバートが陛下と関わり合いになることはほとんどなかった。宰相閣下と父との確執のこともあるのだろう、むしろ遠ざけられていたといってもいい。

 しかし軍人として尊敬できる有能さと、大過なく帝国を治めているその手腕に、敬服の念は抱いていた。

 こうやって近くで接していると、人間としても悪い男ではないのがわかる。

 後宮で美女をとっかえひっかえしているとか、有力貴族に強く出ない不甲斐なさとかも囁かれているが、この方はまだロバートより十歳も年下なのだ。

 不足なところはあろうとも、この先三十年、いや五十年の未来を託すに足る方だと思う。

 むしろその不足なところは、周りの者が補ってゆけばいいのだ。 

 そのためにもできることはして差し上げたい。

 取り急ぎ考えなければならないのは、ここはユクリノス。ハーデス公爵の派閥に属する伯爵家の領地であるということ。己が青竜騎士団の将軍職にあるということ。

 馬はやがて竜騎士専用の門を通って街へ入る。

 ロバートは馬の腹を軽く足で蹴って、陛下の馬より前に出た。

 ジロリ、と視線を浴びて背筋が伸びる。

 打ち合わせなどはしていないが、これでいいのだと思う。

「こ、これはハーデス将軍閣下。いきなりどうされましたか」

 庁舎の前に、たった今身なりを整えました、という風体の市長が息を荒げて立っている。

 ちなみに市長は公的な文官の制服と同じデザインで色違いのものを身にまとっているので、すぐに判別できる。

「いと高き至高の座におられる御方よりの勅命を賜って参った」

 馬上のまま、むしろこの視線の高さを利用して威厳をもって市長の禿げ頭を見下ろした。

 はっと身を強張らせた人々が、一斉にその場に身を投げ出し、ひれ伏す。

「昨今の水不足に対し、対処が検討されている。ついては事前に水量等の調査を実施し、必要な街には追加の水オーブを配置することが決まった」

 ここは庁舎前。観光客を含め、一般の多くの臣民がいる。

 むしろそれは好都合だった。事が事だけに秘密裏に行われているに違いなく、真実を知る者の数は多くはないはず。騒ぎにしてしまえば、大勢の関心が水源に向くこととなり、身動きが取りにくくなるだろう。 

 ざわり、と空気が揺れた。

「お、お待ちください! 今ユクリノスの水源は……っ!!」

「勅令である」

 悲鳴のような市長の抗議を遮り、ロバートは翼竜の羽ばたきにも負けぬ朗々と響く声を張った。

「心配せずとも、ユクリノスから根こそぎ水を奪うようなことはせぬ。そのための事前調査だ。先の地震の被害を把握せよとも命じられている」

 再びガツンと額が石畳をぶつける勢いで低頭した市長に、今度は幾分柔らかな声を出した。

「ここは我が親族の治める地。悪いようにはせぬ」

「……ははっ」

「先に学者が着いていると思うが」

「は、はい。いきなり来られて水源を見せろと無礼にも……あっ、いや」

「一応勅使だ。便宜ははかってやるように」

「……ははあっ」

「後続であと何人かのお客さんが来るだろうが、宿泊場所などの手配を頼む。庁舎内の迎賓室をいくつか空ければよい」

「げ、迎賓室ですか? しかし」

「何度も言わすな。勅使である」

 馬から降りることなく、ロバートはジロリと周囲を見回した。

 強いて陛下の方は見ない。できるだけ身分は伏せるという方針に従えば、身分からいってロバートが矢面に立って当然だからだ。

「どうせ長居はしない。迎賓室をあてがっておけば満足するだろう。食事もさほど豪華なものは必要ない」

 こちらが教授たちをさほど重要視していないと思ってくれればいいのだが。

「ただし、学者たちは直接陛下に拝謁し、ご報告するよう命じられている。短時間だろうから満足いくまで調べさせてやってくれ。ああ、水源詣での観光客を制限する必要もない。街の財源を短期間とはいえ制限するのは忍びないからな」

 水源詣でとは、地下湖を見下ろす位置にある遊歩道に入場料を払って入ることだ。水源を眺め、最終地点にある小神殿の祠に寄付をしてもらう。一般市民は小銭程度だが、貴族だと結構な金を落としていくと聞く。

「……かしこまりました」

 市長は衆目の中、教授たちの調査に許可を出したことになる。野次馬という名の目撃者つきで。

 これで、下手に調査場所を制限したり、拒否したりすることはできなくなったと思う。

 ロバートは鷹揚に頷き、下馬した。

 背後でも部下たちが馬から降りる音が聞こえる。おそらく陛下も、目立たぬよう同様にしているだろう。

 足元では、いまだに市長が薄くなった頭部を湿った石の上に押し付けている。

 ふと、この男が何もかも知っていて、我が国の水を盗んでいるのかもしれない、という考えが脳裏をよぎった。

 蹴飛ばして殴って剣を突きつけて、本当のことを吐かせてやりたいという誘惑が押し寄せてくる。

 顔をしかめる程度で我慢したのは、腹芸が苦手なロバートにしては頑張った方だと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る