第44話

「ようこそ、ハーデス将軍閣下」

 出迎えは金髪の女性行政官だった。

 幾分やつれて見えるのは、この所の多忙さからか。化粧は口に紅を引くだけ、髪もほつれ気味で、顔色も冴えない。

 身なりを整えればそれなりの美人だとわかるだけに、余計に申し訳なく思った。

 予告もなく庁舎の屋上に降り立ったのはこちらの都合だ。状況を考えれば迷惑だと思われても仕方がないし、邪険に扱われても文句は言えない。

 しかし、今回ばかりはその苦情は飲み込んでもらわなければ困る。

「……ああ。申し訳ないがそれ以上近づかないでもらいたい。我々はすぐに次の街へ行かねばならぬし、帝都へ戻り陛下を始め国の重要人物と面会せねばならんのだ」

 だったら何しに来たんだよ、という表情をするのはやめてほしい。

 何故なら、さもロバートの副官ですといった顔で斜め後方に控えているのは、この国の最高権力者だからだ。

「我々は派遣した魔法士からの状況報告を聞きに来たのだ」

 陛下が疫病の兆しのある街に直接出向くなど、正気の沙汰ではない。ロバートとて、本来であれば何よりも守られてしかるべきお方を、このような場所に連れてきたくはなかった。

 しかし、当の本人はこちらの制止も危惧も知らぬげに、共に来ぬなら一人で行く、と言い張って聞かないのだ。

「このような時にすまん。大至急で呼んで来てもらえるだろうか」

 疲れた顔にいくらかのあきらめの色をにじませて、金髪の執政官は頷く。

「昨日魔法士が上げた報告の件でしょうか。あれには我々も憂慮しています」

「状況は変わらないのだな?」

「彼らが言うには、あきらかに異常だそうです」

「……そうか」

 ロバートはしっかりと口布で覆った下で、太い溜息をついた。

 陛下がここへ来たがった理由は、派遣した魔法士からの奇妙な報告書だった。数時間前にロバートも読んだが、首を傾げざるを得ないものではあった。とはいえ、直接陛下が下向されるような事案ではない。気になるというなら勅使を向かわせればいいだけだ。命じられたらロバートがその任を負っても一向にかまわなかった。

 しかし現実問題として、陛下は御自ら帝都を出られてしまった。

 今となっては、一刻も早く立ち去れるよう努力するしかなかった。

「流行はどうなっている?」

「小康状態ですね。一日も早くメメトスの方々が到着して下されば違ってくるのでしょうが」

「やはり赤虎疹で間違いないのか?」

「街の治療師はそう言っています」

 もしこの病を陛下がお拾いになってしまったら。……想像しただけでぞっとした。

 広大な国土と軍事力を抱えるこの国だが、一枚岩というわけではない。特に後継者が定まっていないことが痛い。万が一にも陛下にもしもの事があった場合、目も当てられない争いが起こってしまうだろう。

 やはりそもそも、こんなところに連れてくるべきではなかった。

 陛下もいい年になりつつあるのだから、実子でも養子でも構わないので早く皇太子を立てるべきだ。そちらのほうが先に解決しておくべきことではないか?

「……時間が」

 絶対に陛下の方へは目をやらないが、あからさまに挙動不審な本物の副官がこそっとロバートに囁く。

 疾病を理由に閉鎖された街の範囲内に入ったら、たとえ感染者と接触しなかったとしても、出ることは許されなくなる。

 例外として、十五分以内の滞在時間と、住人との十分な距離が条件としてあげられている。

 もちろん十五分が三十分になろうが、病気の者と接触しようが、対象が陛下であれば強引に連れ出すつもりではいる。しかし、そういう状況にまでもっていくつもりはなかった。多少強引であろうが、叱責を浴びようが、滞在にとれる時間はあと数十分だ。

 屋上への出入り口から、転がるようにして黒いローブ姿の男が走ってくる。見覚えのある顔だった。魔法師団所属の軍人ではないか?

「……閣下!!」

「おい、それ以上近づくなよ」

「はい、はい……わかっています」

「お前、ヘイン一等魔法士じゃないか? 軍籍を離れたのか?」

「い、いえ。私の実家がこの街にあって……有給を取って帰省したいと師団長に申し出たのです」

 ロバートの脳裏に、父親並みに悪役じみた面相の魔法師団長の顔が浮かぶ。あの老人は立っている者なら誰でもこき使おうとする。もしかしなくとも、今の状況下でも有給消化中なのかもしれない。気の毒過ぎる。

 いや、こんな事を考えている場合ではなかった。

「……えっ? え?」

 相手が一介の下級魔法士ではなく、軍属のヘインで助かった。

 何故なら、ロバートが事情を話すまでもなく、先ほどから黙ってそこに立っている陛下の存在に気づいたからだ。

「黙っていろ。それより早く状況を話せ」

「でも閣下」

「すぐにでも出立したい。次はユクリノスだ」

「……はい」

 リカルド・ヘイン一等魔法士の視線は慌ただしくロバートと陛下との間を往復している。

 聞きたいことはわかるが、正解を告げるわけにはいかない。

 やがてヘインもそれを理解したのか、険しい顔で頷いた。

「間違いなくもともと街にあった水のオーブには傷があります。いえ、傷というよりも呪術に近い」

「……呪術」

「とはいえ解呪すればなんとかなるという問題でもない。今は影響を押さえていますが、長く持ちそうにありません。あまりにも根が深いのです」

「どうすればいい?」

「国中の水オーブを調査するべきです。何者かが我らの水を横からかすめ取っているのは確実です」

 ロバートは喉の奥で低く唸った。

 そもそも、問題の報告書によると、新たなオーブを設置した魔法士が「少し気になる」程度の異常だった。

 並べて水の湧き具合を見ていると、新旧のオーブで違うというのだ。

 それが昔からあるオーブの劣化を示しているのであれば、仕方がない事で終わる。

 しかし古いといえど設置してまだ十数年。そんな短期間で劣化するなどありえない。

「もっと詳しく状況を把握したい」

「報告書は書けますよ。実際に師団長に向けてのものは仕上げました。でも出せません。街はこんな状況ですし」

 黒いローブからちらりと出した書類を、陛下が直接受け取りたそうなそぶりを見せた。

 もちろんそれを許すわけにはいかない。

 ロバートはさりげなく立ち位置を移動して、陛下の動線を塞いだ。

「そこに置いて浄化の魔法を掛けてから下がれ」

「……了解です」

 古参の軍属なので命令に従うのは迅速だった。

 砂漠の強風に飛ばされる前に、本物の副官がそれを回収する。

「この件は他言するな」

「もちろんです」

「出来るだけその……呪術の影響を押さえてほしい。こちらも可能な限りの手は打つ」

「……はい。あの」

 ヘインがそわそわと何かを言いたそうにした。

「悪いが家族との接触は控えろ」

 この男が居てくれてよかった。下手をすればもっと悪い状況に陥っていた可能性も十分にある。

「いやまあ、接触はしませんよ。今のところ無事でいる確認はできましたし」

 街には疫病の流行の兆しがある。実家がここにあるのであれば帰りたいだろう。しかし、今彼に倒れられると困る。

「……そのう、俺の有給」

「おい、今はそんな状況じゃないだろう」

「いや、だって有給」

 陛下がこの場にいるというのに、いい度胸だ。

 叱責しようとしたロバートだが、それは言葉にならなかった。何故なら、「ダーマに言っておく」と傍らの陛下が小声で言ったからだ。

「……師団長どのに頼んでおく」

 声が届くような距離ではないし、陛下は口布をつけているので唇の動きもわからないだろう。

 ロバートのため息交じりの代弁に、ヘイン一等魔法士の表情がぱっと明るくなる。

「俺、頑張ります」

「そうしてくれ」

 むさくるしい無精ひげの男の嬉しそうな表情を見ても微妙な気分になるだけだったが、腕のいい彼の顔には切羽詰まった様子はなく、まだ状況は回復可能なのだと思えた。

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