第11話

 ユリに着付けられた薄絹は、シンプルだが透け感の多い夜着だ

 色は純白。前で合わせるタイプで、身体の中央はしっかりと腰布で締め付けられているが、手足はうっすらと布越しに透けて見える。

 今まで着たこともない扇情的な装束だった。

 腰布はみぞおちの辺りで巨大な花の形に結わえられており、これが脱がされることを前提にした衣装なのだとわかる。

 最後に肩に掛けられた上衣は、メイラが立った状態で裾が床に着く。

 促されて歩き出すとふわりと揺れて、立ち止まると足元にストンと落ちた。

「いってらしゃいませ」

 ユリの声が小さくそう呟くのが聞こえた。

 足元に跪いた彼女が、真っ白な扇子を握らせてくれる。

 触れるその手は温かく、扇子など放り投げて握り返したくてたまらなかった。

 縋り付いて嫌だと駄々を捏ねて。帰りたいと、子供のように泣き叫びたい。

 メイラはその衝動を必死でこらえた。すでにもう引き返せないと分かっていたからだ。

 周囲には、総勢八名もの白衣の湯女が控えている。

 控えている、という表現は違うかもしれない。彼女たちは、メイラの一挙一動を無言で見守っている。いや、見張っている。

 その少し後ろには、対照的に黒い後宮近衛の武装をした女騎士が並んでいる。

 全員が、身支度を終えるまで一瞬もこちらから意識をそらさなかった。

 そこに多少の険を感じるのは気のせいだろうか。

 もしかしたら、疑われているのかもしれない。

 陛下を暗殺しようとするのではないかと? ……絶対に無理だと言ってやりたいが。

 やがてメイラはひと際大きく、重そうな扉の前に立たされた。

 深いレリーフをあしらわれたその扉は一枚板の木製で、豪華というよりも重厚感がある。扉の周囲を縁取るのは、金銀ではなく古びた鋼。もしかすると後宮ができた当初からある、相当に古いものなのかもしれない。

「妾妃メルシェイラ・ハーデスさま。ご用意整いました」

 メイラの母親ほどの年齢の湯女が、もう少し若い近衛騎士に向かって頷く。

 黒衣の女近衛騎士も頷き返し、控える部下たちに目で指示を出した。

 四人の近衛が扉に手を置き、力を入れて押す。

 その扉はやはり相当に重量があるらしく、彼女たちが力を合わせて踏ん張ってようやく、ギギギと軋みながら動いた。

 その先の通路は薄暗かった。

 壁掛けの明かりが一定間隔で続き、ダークグリーンを基調にした内装を照らしている。

 メイラはきゅっと唇を引き締めた。促され、一歩前へと足を進める。

 湯女たちはここまでのようで、八人ともにその場に膝を付き首を垂れた。

 代わりにメイラを取り囲むのは黒衣の騎士たち。誰もかれもメイラより背が高く、頬当てのある兜を装着しているので表情が見えない。

 かろうじて女性とわかるのは、その鎧の形からだが、白い装束を身にまとっていた湯女たちとは違い、こちらは見るからに武骨である。

 無言のまま更に促され、メイラは薄い部屋履きをはいた足を通路の方へと進めた。

 振り返りたい。見送ってくれているであろうユリの姿を見て安心したい。

 そう思ってしまうのは甘えだ。

 誰も本当の意味で助けてくれはしない。己の身を守ることができるのは、己だけなのだから。

 ゆっくりと通路を進む。

 背後で、再びギギギと重い音がする。

 逃げ道はとうにないのだと何度も心に言い聞かせないと、立ち止まって動けなくなりそうだった。

 体感的には随分長い距離を歩かされ、ようやく前に扉が現れる。

 先ほど通ってきたのと同じ、一枚板の重々しい扉だ。

 こちらの縁取りは黒鉄で、皇室の紋章が扉の中央にあしらわれていた。

 メイラが到達するより先に、重量感のある扉が左右に開かれる。

 その先には、更に四名の黒衣の近衛騎士と、見覚えのある萌黄色の上衣を身にまとった男性が待っていた。

「お待ちしておりました。妾妃メルシェイラ・ハーデスさま。陛下は少し遅くなるようですが、先にお部屋にご案内しましょう」

 できれば永遠に来なくてもいいのだけれど。

 メイラはそう考えていることはおくびにも出さず、陛下の侍従なのだろう男を見上げる。

「私は侍従長のエルネストと申します。よろしくお願いします」

「エルネストさま」

「こちらです」

 メイラは灰色の髪の侍従の後に続いて、さらに一段と厚みの増した絨毯の上を歩いた。

 やがてたどり着いたのは、胡蝶の間と呼ばれる寝所のひとつ。

 メイラは知らないが、妾妃を呼ぶためだけにある複数ある部屋のうちのひとつだ。

 廊下より更に薄暗く、部屋には薄い布が幾重にも垂れ下がっていて、奥の方は見えない。

 炊かれた香のかおり。

 揺れる燭台の明り。

 メイラはとうとう来てしまったのだと唇を引き締め、扇子を握る冷たい指に力を込めた。

「緊張しておられるようですね。リラックスできるお茶をお入れしましょう」 

 エルネストに促されて長椅子に腰を下ろす。

 やがて出てきたカップは見たこともないほど軽く、繊細なつくりをしていた。

 恐る恐る口を近づけると、甘いカモミールのかおりがした。

 匂いを吸い込み、一口飲もうとして。

 見守る複数の視線に気づいた。

 嫌な感じがした。

「大丈夫ですよ。女性を喜ばせ、男性を楽しませるためのものです」

 怪しげな薬が入っているのか!!

 わかってしまえば、口にするのは躊躇われた。

 メイラは口をつけるふりをして、こくりと喉を鳴らした。

 確かにその手の薬があれば、生娘相手でも楽しめるのかもしれない。だがどこの誰が初床に媚薬を盛られたいものか。

 二口三口、お茶を飲むふりをしてカップを置いた。

 処女相手に楽しめないと思うような男性なら、もう二度と呼ばれずいいかもしれない。

 人形のように無反応でいたら、興ざめしてくれるだろうか。

 メイラは陛下に対して、過分な期待はしていなかった。

 夢を持つには、あまりにも現実を知りすぎていたから。

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