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ユリたちとの長くはない付き合いで、傅かれる、ということに慣れてきてはいた。
しかし、左右に見知らぬ女性を跪かせ、素っ裸を遠慮もなく磨かれて。途方もない違和感を覚えるのは、己がまだまだ貴族というものに慣れ親しんでいないからか。
ぱしゃり、湯を肩から掛けられ、無言のまま立つように促される。
腰まである長い黒髪の水気を切られ、やっと終わるのかと思っていたら、今度は白い布を敷かれた寝台のある部屋にいざなわれた。
そこで待っていた、湯殿で身体を洗ってくれた女性とはまた違う年かさの二人に、ひるんで立ちすくみそうになる。
いや、ひるむなどという生易しいものではない。思いっきり足が止まり、震えあがった。
湯殿に居たのは、湯女を務める白衣の女官だ。
しかし寝台で待っていたのは、メイラの軽く三倍、もしかすると四倍も年を重ねているであろう老齢の女性たち。
見るからに女官ではなく、薬師あるいは医師か。
「こちらへ横になって下さい」
しわがれた声で促され、コクリと喉が鳴る。
「頭はこちらへ。足を折り曲げて膝を開いてください」
幼いころから修道院で育ち、世の中の不条理を噛みしめて生きてきた。
不幸な結婚をした貴族女性も、初潮を迎える前から春を売る娼婦も、夫から暴力を振るわれて身体に障害を負ってしまった女性や、性的暴力を受けて心を病んでしまった少年とも話したことがある。
この世で生きていくのは、決して生易しいことではない。弱い立場であればあるほど、人間としての尊厳など紙屑のようなものだ。
そう頭では理解していた。理解したと思っていた。
しかしいざ己がその立場に立たされると、恐怖で全身が震えた。
逃げ出しそうになる足を踏ん張り、奥歯を食いしばる。
老女たちは、病気や妊娠の有無を調べるためにいるのだろう。純潔であるか否かということも問題にされるのかもしれない。
事は皇室の血統にかかわることだから、確実を期す必要があるのだとわかってはいる。わかってはいても……メイラはまだ若い未婚の女なのだ。
改めて、こんなところに放り込んだ父親を恨む。金に惹かれれて諾々と従った己を責める。
だがしかし、もう後には引けない。
「どうぞ」
有無を言わさず手を引かれ、ベッドの傍まで連れてこられた。
覚悟を決めるには時間が必要だったが、待ってくれるはずもなく。
足元のほうだけ煌々と明りが灯されたベッドへ腰を下ろす。
そこから先の出来事は、思い出したくはない。
老女たちは極めて事務的で、だからこそ遠慮もなにもなかった。ヴァギナだけではなくアナルのほうも調べられ、恐怖と羞恥心で気を失いそうになる。
「お疲れさまです」
手桶の水が跳ねる音がして、ようやく終わったのだと分かった。
かたく目を閉じたまま、こぼれそうになる嗚咽をこらえる。
「メルシェイラ・ハーデス妾妃さまは確かに純潔で、ご病気もなく、暗具の類を隠し持ってもおられませんでした」
「確認しました。……もう一度湯殿のほうへ」
暗具、と耳慣れない言葉を聞いて、逃避しそうになっていた理性が戻ってきた。
病気や妊娠の有無だけではなく、陛下を暗殺するための道具を持ち込んでいないか調べられたのか。
陛下は名のある武人だ。メイラのような生娘が身体の内部に暗具を仕込んでも、何の役にも立たないだろう。いや武器ではなく毒か? 針などの小さなものを使って?
それこそ不可能だ。取り出すだけで手間取って、あっという間に退けられてしまうに違いない。
メイラはなんとか自力で歩いて風呂場に戻った。
折れそうな心で崩れかけた矜持をかき集め、今だけはと倒れ伏すのを耐えた。
先ほどの湯女が恭しく頭を下げ、再び湯船のほうへといざなう。
陛下は定期的に皇妃や側妃を閨に召し、その合間に妾妃を呼ぶという。同日に複数召されることも多く、いつ声がかかってもいいよう準備しておくようにと女官長から聞かされていた。
夢見るように陛下の話をしていた妾妃たちの顔を思い出す。彼女たちはこんな屈辱的な扱いを受けて平気なのだろうか。そこまでして、寵を得たいものなのだろうか。
熱めの湯に下半身を浸しながら、メイラはようやっと噛みしめていた奥歯を緩めた。
怒りは何も生み出さないと分かっている。
わかっているが、ささやかな矜持を踏みにじったこの慣例に、モノ申したくてたまらない。
もう二度と、こんな目にあうのは御免だ。
つまりは二度と陛下の閨に召されないということだが、それでいい。むしろ多数の女を侍らせ、毎晩入れ代わり立ち代わり召す男との相性がいいわけがない。
後宮とはそもそも皇帝の血を安定して残すために存在するもので、まだ子のない陛下が大勢の妃を抱えているのはおかしなことではないのだが、その中に自分が含まれる必要性はないだろう。
メイラは今夜この先待っていることを可能な限り頭から消し去ろうと努めた。
これ以上、恥ずかしく屈辱的な思いをするのは嫌だった。
怒りが功を奏し、見知らぬ女官の前で素っ裸で立つという難事をかろうじて耐える。
「……っ」
ぬるり、とした液体を肩から順に塗り込まれて、声をこぼしそうになったがそれも我慢する。
有無を言わせずオイルマッサージを受け、恥ずかしい部分を含め全身くまなく蒸しタオルで拭われて。
甘い花の香りのする白粉を、見たこともないサイズのパフではたかれ、これが最後でありますように、と願う。
髪も、顔も、身体も、どこもかしこも物理的に重さを感じる何かに覆われた気がして辟易した。
「メルシェイラさま」
聞き覚えのある声にはっと目を開ける。
背後に湯女の白い服を着た女官を控えたユリが、手に薄絹を抱えて立っていた。
「お召し替えとお化粧を」
たった十日の付き合いなのに、その声を聞いて泣きそうになった。
怖い、嫌だ、もう帰りたい…‥。口から零れ落ちそうになった弱音を、ギリギリのところで堪える。
「……大丈夫ですよ」
そんな不安が顔に描かれていたのだろう。ユリはいつもの優しい口調で言った。
「すべて陛下にお任せして、お心安らかにお過ごしください」
―――絶対無理。
彼女が励まそうとしてくれているのはわかる。いうなれば初夜を迎える新妻なのだから。
いや、『妻』ではない。
豆粒ほどにしか見えない距離で、遠目に眺めたことがあるだけだった。補正が入っているのだろう肖像画の前で、わが国の皇帝陛下は美形だなと、他人事のように思ったことしかなかった。
そんな、直接会ったことも話したこともない男に、いまから抱かれに行くのだ。
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