第4話 そして勇者は夢を見る その5

「シオン臭っさ。レオナ臭っさ」


 裏庭の修行場。

 集合するやラフィは鼻を摘んでそう言った。


「アタシが臭いみたいな言い方すんな」

「……ごめん。もしかして気付いてなかったりする? レオナ」


 え、と目を丸くするラフィ。

 レオナの顔が赤くなる。


「香水の匂いだ、これは!」

「いや、素肌の匂いからして結構……」

「一度勝負つけるかお前」

「いいね。ラフィもそう思ってたし」


 大剣を握るレオナとニヤニヤ笑って構えをとるラフィ。

 シオンはまあまあと、その二人の間に割り込んで引き離す。


「ラフィさんもその辺で。レオナさんもいい匂いですからムキにならないで」


「つまり、匂うのは否定できないと」

「いい加減にしろよラフィ」


「はいはい。そこまで」

「本日の修練をはじめますわ」


 ドナとミケラがぽんぽんと手を叩く。

 シオンを挟んでつかみ合いを始めていたレオナとラフィがぴたりと止まる。


「シオン。昨日はよく出来ました」

「経験実力に勝る相手との戦い。良い経験になりましたね」


 ドナがレオナの身体を右に。

 ミケラがラフィの身体を左に。

 ちょいと押すと隙間が開く。


 そして、開放されたシオンの頭をドナとミケラはよしよしと撫で回す。


「そうですね。でも、課題も沢山ありました」

「いやいや。ラフィ的には圧勝だからアレ」


 シオンの言葉にラフィは掌を横に振る。


「そうだな。あれはシオンの圧勝だった」


 レオナも腕を組んで保証した。


「そうでしょうか。ボクとしては、薄氷の勝利だと思うのですが」

「そりゃ、格上相手じゃ楽はさせてくんないわ。モグラ相手でもそこまで甘かぁないよ」

「相手のやりたい事をやらせていたら、確実にシオンが負けていたからな」


 確かにとシオンは思う。

 恐らく、ガランはその実力の半分も発揮できてはいなかった。

 出来ていたのなら、シオンは今頃ガランの【天名】の通り真っ二つになっていた事だろう。


「それでは、何故、どうしてのお時間です」

「どうして、相手はやりたい事を出来なかったのでしょうか」


 ドナとミケラの質問に、シオンは頭を巡らせる。


「ボクが先手を取り続けたから。ですか?」


 思い当たるのはそれくらいだ。

 居合わせたラフィとレオナも、思えばそれしか助言していない。


「その通りですわ、シオン。そしてこれは決して忘れてはならない事」

「どれほどの達人であっても『対応する』時に一瞬の遅れが生じます」

「術を極め、無念無想の境地を悟って尚」

「故に、『対応させる』事こそが肝要なのです」


「次に目指すのは、こっちの狙い通りの対応させるようになる事。かな」

「例えば、受けを置いた軌道に剣を振らせる。そうすれば、望んだ型で受けられる。反撃も容易だ」

「後の先手。って言うのよね」


 ぐりぐりと頭を撫で回す手にレオナとラフィの手も加わる。

 朝、整えたばかりのシオンの黒髪が、もしゃもしゃとかき乱される。

 それがちょっと心地よい。


「でも、それでも思うんです。やっぱり【術技:耐性】は厄介です」


 ガラン程の使い手となれば、シオンの攻撃手段では傷をつける事すら難しい。

 どれほど戦闘を有利に進めたとしても、それではいつかは捕らえられる。


「ですので、本日シオンには魔法を習得していただきます」


 シオンの応えを予想していたように、ミケラが一歩傍に寄る。

 長身を屈めて、吐息が耳に触れる程の距離。

 とんでもなく長い睫毛が一本一本はっきり見える。

 つり上がった目は、それでも何故か優しげで。

 睫毛の隙間から見える赤い瞳は宝石のよう。


 額から生えた白い角が、こつんとシオンのこめかみを打つ。

 温かく柔らかい感触。

 角の先端まで、とくとくと流れる脈動まで感じられるようだった。


「シオン。魔法とはいかなるものか知っておりますか?」

「いいえ。魔法なんて学んだ事もありませんので」

「それならば丁度よろしい。わたくしが一からお教えいたしましょう」


 頭を撫でていた指は、気付けば肩に触れている。


「魔法とは即ち、ものの繋がりの力と言えましょう」


 じわりと、ミケラの手が触れる肩口に熱が籠もる。

 ミケラの脈拍が伝わっているのか。それともシオン自身の脈動か。

 どくどくと、手の触れる部分が脈打つのをシオンは感じた。


「例えば重力。ものの重さは、大地がものを引きつける力に由来いたします」


 ミケラの手が触れる左肩に意識が向いた時。

 ふっと、耳元に息を吹きかけられた。

 慌てて振り向くと、ドナの唇が耳に触れる程まで近づいていた。


「例えば【天名】。ひとに与えられた名は、その運命に影響いたします」


 左側の耳元。

 今度はミケラがそこにいる。


「目に見えぬ、ものとものとを繋ぐ力」

「それを操る手段こそを魔法と呼ぶのです」


 どくどくと、ミケラが触れる左肩が疼いている。

 左肩のルークに付けられた刀傷。

 それが、生きているように脈打っていた。


「シオン。貴方の肩にある傷は、『勇者』と貴方を繋ぐもの」

「『勇者』の【術技】の残滓がある限り、この傷が真に癒える事はありません」


 普段、肩の傷に痛みは無い。

 腕を回そうと、何かを打ち付けようと特別痛みは感じない。

 ただ、傷跡は消える事は無く。そして時折、痛いくらいに疼き出す。


「このような魔法があるのです」

「刀傷を癒やすために、傷をつけた刃に治癒薬を塗るのです」

「武器の『殺傷力』は身体を離れてなお、傷口と繋がっており」

「その『殺傷力』を癒やしてはじめて、傷を癒やす事が出来るのです」


「つまり、この傷はルークの剣に繋がっている、と」


 そして、その繋がりを利用する事。それが魔法であると言う。

 ならば、とシオンは考える。


「そうして……もしかして、その繋がりを利用できるかもしれない……?」


 シオンは自分の左肩を見る。

 ミケラの掌の下の傷跡に、今もルークの剣が刺さっているようにも思える。

 『勇者』の剣に見えない糸で繋がっている。そのようにも思える。


「シオンは賢いですわね」

「シオンは理解が早い良い子ですわね」


 二人の掌が頭を撫でる。

 頭頂部を揉むように。

 ゆっくりと優しく。体温が頭蓋の奥に届くように。


「シオンがそう思うのならば」

「剣と傷跡に繋がりがあるならば」


「「それはきっと叶うでしょう」」


 頭蓋を緩めて温めながら、二人の手は下っていく。

 頭頂部から後頭部。

 後頭部から首筋。

 首筋から背中へと。


 二人の手が触れた後、緩んで温まった部分に血が流れ込む。

 心地の良い痺れと脈動が、頭頂部から下り降りる一つの道となっていく。


「今、シオンの背中を通る感触」

「これが魔力が通る感触です」


 ミケラが背中の中心に触れる。

 ずくり、と胸の中央に熱の塊が生まれるのをシオンは感じた。


「本日はわたくし達が助力いたします」

「この感触を自分のものとするのです」


 ドナの手がゆっくりと背骨を下る。

 それに従って、熱い塊が這うような速度で体内を下っていく。

 熱がみぞうちに達して、熱く強く燃え上がる。


「呼吸をするのですよ」

「気と血は分かたれる事は無く」

「気を操る時は血も従い」

「血を操れば気もまたそれに従います」


 二人の手が腰に回る。

 下腹部の中央。臍下の臓腑の一番奥。

 そこに熱の塊がぽんと置かれる。

 まるでそこにあるのが当然のように。


 回るように。燃えるように。輝くように。響くように。

 生まれた力の塊が、肚の奥で脈打っている。

 呼吸をする度に、その脈動はどんどんと強くなる。


「さあ。シオンの気道は通りました」

「丹田の勁力を保ちつつ、シオンに繋がる力を感じるのです」


 今、力の塊がある部分。それを丹田と呼ぶのかと。

 シオンはそんな事を考える。


 頭頂部から丹田まで、痺れるような震えと熱が呼吸のたびに上下する。

 丹田の力がじわじわと、血管を通して全身に行き渡る。


 そして疼く肩の傷。

 シオン自身の拍動とは違う。疼き、脈打つその部分。


「シオンはそれを何と感じますか?」

「熱い? 冷たい? 硬い? 柔らかい?」

「どれであってもそれこそが『勇者』の剣に繋がる力」

「シオンは感じるがまま、それを受け入れるのですよ」


 ありありと感じる剣の感触。

 肩に食い込む刃の冷たさ。

 防御を突き破る【術技】の熱さ。


 剣を通して感じる、ルークの掌の感触まで。

 シオンは確かに感じていた。


「ほら、お姉さま。やっぱりシオンには才能がありますわ」

「ええ、お姐さま。シオンは本当に優秀な子ですわね」


 ドナとミケラの声がどこか遠くに聞こえるようだった。

 集中する意識が広がっていく。

 ルークに届いた感触が、シオンの左手に溶けていく。


 一瞬、二人の手が重なった。

 そんな気がした。


「……あ……?」


「「はい。本日はここまで」」


 パチン、とシオンの目前で音がする。

 知らず閉じていた目を開く。

 目の前に、ドナとミケラの掌が合わさっていた。


 先の音は、二人の掌が打ち合わされた音らしい。


「急ぎすぎてもよくありません」

「急ぐ必要はシオンにはありません」


「「明日はもっと深い場所までシオンは達する事でしょう」」


 ぱっと、花開くように二人の手が離れた。

 シオンの両脇から、音も立てずにドナとミケラは離れた。


 視線の焦点が合うようにシオンの意識が目前に戻る。

 目の前には、手を腰に当てたラフィがいた。


「てな事で、魔法なんて役に立つかも分かんないのはここまで」

「ラフィは内養功は苦手ですものね」

「ラフィは苦手なものはやりたがりませんものね」

「あー、うっさいうっさい。今はラフィが先生だからいいの!」


 何が一体いいのやら。

 ぷんぷんと駄々っ子のように手足を振り回してから、ラフィはシオンに向かい合う。


「てかさ。まじないとかいらないから。モグラが何やってもボコれる技。ラフィが教えちゃうよー」

「それならアタシもだな。ウルク=ハイの大剣術。本格的に教えてやろう」


 勢い込むラフィにレオナも顔を出す。


「何でレオナが出てくんの。レオナの技教えても、シオンの武器はフツーの剣なんだから意味ないじゃん?」

「使ってただろう、大剣。なあシオン」


 シオンはガランとの戦いを思い出す。

 あの時は、盾代わりとして大剣を使った。

 しかし確かに、あの戦い方はもっとその先がある。そのように思える。


「どれだけ強い奴だろうが、武器を奪われたら戦いようがない。シオンには必要な技だと思う」


 嫌と言っても教えるぞ、とレオナは微笑む。


「ラフィのが先だかんねー」


 不満げに頭の後ろで手を組むラフィ。

 二人に向かってシオンは頭を下げて言う。


「ご指導よろしくおねがいします!」


 陽はいつの間にか、真上にまで差し掛かろうとしていた。

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