第35話 艱難辛苦
突然、目の前に巨大な人影が現れた。
「わっ」
桐嶋だった。
「桐嶋・・」
桐嶋は、ありえないくらいぶよぶよに太り、巨大化していた。髪も脂ぎってぼさぼさで、理知的だった目と表情は、無秩序に完全崩壊していた。人間としての何かが切れてしまったかのように、途方もなく人間から逸脱した何かの巨大生物になっていた。
「お前は俺の物だ」
桐嶋は完全に目が別の世界を見ていた。口元にはよだれが流れ、そのイッてしまっている感は、完全に以前よりもパワーアップしていた。
私はもう、怖気立ち、そのまま恐怖で逃げることしかできなかった。
「ん?」
慌ててエントランスに入り、郵便受けを開けると、たくさんの同じ封筒が入っていた。見ると、みなカティからのものだった。実家から、引っ越し先へと、転送してくれていたものが、何かの手違いで溜まって、それがまとめて来たものらしい。
「・・・」
私はなんとなく嫌な予感と共に、封筒の中を開けた。やはり、中身は予想通り、全て送金の額を増やしてくれというものばかりだった。自分たちの近況報告も、こちらの状況を求めるわけでもなく、ただ金のことしか書いていなかった。私は、何かめまいにも似た絶望感を感じた。
「カティ・・」
私は、虚脱感に包まれながら部屋に入った。部屋に入ると、すぐにチャイムが鳴った。
「はい?」
扉を開けると、扉の外には、スーツ姿の男が二人立っていた。
「はい?じゃねぇんだよ」
男はいきなりキレている。このパターンはどこかで経験している。
「金返せ」
「えっ?」
やはり・・。
「・・・」
最近、雅男の金遣いが荒くなっていた。そのことに気づいてはいたが、私は見て見ぬふりをしていた。
「今日はあの、ちょっと・・」
「舐めてんのかてめぇ」
雅男の借金に、よりちゃんの借金、家の借金と、カティへの送金。私がいくら体をはって稼いでも、さすがにもう回らなくなっていた。
とりあえず何とか借金取りを追い返すと、私は床に散らばったカティからの手紙の束の上に膝から崩れ落ちた。
「うううっ」
なんで、こんなに次から次へと、辛いことばかり・・。
私はもう気が狂いそうだった。全てが無茶苦茶で、頭の中がしっちゃかめっちゃかで、何がどうなって、何がどうしていいのか分からなかった。あまりに災難が重なり過ぎて、自分が不幸過ぎて、辛過ぎて、何がなにやら訳が分からなかった。
「なんだこの人生・・」
私は呟く。
「なんだよ。この人生」
私は完全に追い込まれていた。
「うううっ」
もし神様がいるのだとしたら、私は思いっきり拳で殴ってやりたかった。もうけちょんけちょんに、私の持っている全力で、思いっきり殴ってやりたかった。
まったく全てが無茶苦茶でぐちゃぐちゃだったが、それでも私は仕事に行かなければならない。私は家を出た。
私は街の雑踏を慌てて走る。
「あっ」
その時、私は思いっきりこけた。
「うううっ」
ちっちゃな頃以来ってくらい、膝を思いっきり擦りむいた。周囲の人間がみんな私を見る。
「・・・」
血が傷口から滲み、それが一つの固まりになって、膝小僧から流れ落ちた。
そこに雨まで降ってきた。雨粒が私の体を点々と濡らしていく。なんか惨めだった。堪らなく惨めだった。目に涙が溢れた。
もう私は落ちるところまで落ちた。雅男の暴力、よりちゃんの裏切り、母は壊れ、おやじはイカレ、家は無茶苦茶だし、桐嶋はまたつけ狙ってくるし、もうあまりに辛くて無茶苦茶で何がなんだか全てが、もう訳が分からなかった。
「ふふふっ、はははっ」
なんだかあまりに自分が惨め過ぎて笑えて来た。
「ふふふっ、はははっ」
周囲の人間が、危ない人を見る目で私を見つめ、通り過ぎていく。私は惨めのどん底で、絶望の絶頂だった。
「うをぉおおおおぉ~」
私は叫んだ。雨上がりの沈みゆくでっかい夕日に向かって吠えた。
「どうしたんだ」
目を剥いて、隣りのマコ姐さんが私を見る。私はマコ姐さんといつものビルの屋上にいた。
「うをぉおおおおぉ~」
私は獣のように吠えた。私の中で何かが切れた。
「もう、このどん底を掘って、もっと落ちてやる」
私は一人呟いた。
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