第30話 ざわざわ

 雅男は家に帰らなくなった。

 そして、時々帰ってきたかと思うと、またすぐに出て行ってしまう。

「雅男、ごはん・・できてるよ」

「・・・」

 私の呼びかけに、雅男は一瞬立ち止まったが、振り返ることなくそのまま出て行ってしまった。

「・・・」

 私はそんな雅男の背中を見送り、一人残された部屋に立ち尽くした。


 なんだか部屋に一人でいるのが寂しくて、私もなんとなく外へ出た。 

 夜の街は相変わらず、人を惹きつける妙な明るさがあった。そんな街を私は一人歩いて行く。街の雰囲気が一時ではあっても、私の心の隙間に吹き抜ける寂しさを紛らわしてくれているような気がした。 

「私たち、もう終わりなのかな・・」

 いつのまにかそんなことを考えていた。

「やっぱりだめなのかな・・」

 そんな私の喉元を妙に冷たい風が吹き抜ける。

「あっ、マコ姐さん」

 雑踏の中で何の気なしに前を見ると、なんか見慣れた人影を感じてよく見ると、それはマコ姐さんだった。

「おう」

 マコ姐さんも私に気付いて、右手を上げた。マコ姐さんは、普段派手な人なのだが、更に派手に着飾り、ぴっかぴっかになっている。

「こんなとこで会うなんて奇遇ですね。どこ行くんですか」

「また良い子がいてな、グッ、クッ、クッ、クッ」

 嬉しそうにマコ姐さんは口元に手をあてながら、奇妙に笑う。

「またホストですか」

「まあ、そう嫌な顔するな」

「だって・・」

「また可愛いんだこれが。もうほんと目がくりっとしてて、ちわわみたいなんだよ」

「もう、いい加減こりましょうよ」

 しかし、マコ姐さんは全く悪びれることなく、はははっ、と、いつものように豪快に笑うばかりだった。

「ところで、お前たち大丈夫なのか?」

 マコ姐さんが表情を変えて言う。

「えっ、なんでですか?大丈夫ですよ」

 私は思いっきりきょどりながら言った。大丈夫では全然なかった。

「そうか、なら良いんだけど」

「えっ、なんですかその言い方、気になるなぁ」

「うん・・」

「なんですか」

「ほら、前に写真見せてくれた、よりちゃんとかって言ってた子、いただろ」

「はい」

「あの黒い髪の長い、かわいらしい子」

「はい、よりちゃんがどうかしたんですか」

「・・・」

 そこでマコ姐さんはしばし言い淀んだ。

「どうしたんですか」

 私は再度聞き返す。

「お前の彼氏と一緒に歩いてたとこ見たぞ」

「えっ」

 私は衝撃で一瞬目の前が真っ暗になった。 

「でも、一緒にいても不思議じゃないと思いますけど・・、以前一緒に住んでたわけですし、知らない仲じゃないわけだし・・、久しぶりどこかでばったり会ったとか・・」

 私は必至で湧き上がる不安を打ち消そうと、理由を考えた。

「う~ん、それならいいんだが、なんかそういう雰囲気って感じじゃなかったからな。見たら分かるだろ。そういうの」

「・・・」

 私は何も言えなかった。

「じゃあ、あたしは、あの子が待ってるから」 

 そう言って、マコ姐さんは待ちきれないといった調子で、いそいそとホストクラブへと行ってしまった。

「・・・」

 最近、雅男はほとんど家に帰っていない・・。私はなんだか心の奥から湧き上がる、ざわざわとものすごい羽音を響かせる不安を感じた。

「まさか・・、まさかね」

 でも、心のざわざわが消えることはなかった。

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