第8話 失いたくない

 私もできるだけのことはしようと、入れるだけ目いっぱい仕事のシフトを入れ、懸命に働いた。休みなしで、昼間も出勤した。体力的にはかなりきつかった。

 でも、これだけがんばっても、三億という額は大き過ぎて、殆ど何の足しにもなっていなかった。

 それでも、少しでも、少しでも、雅男のためになれば・・。その一念で私は、仕事を続けた。

「どうしたんだよ。最近、鬼出勤だな」

 マコ姐さんが私を見て言った。

「はい・・?」

 私は疲れと睡眠不足で頭がぼーっとしていた。

「また借金か」

「はあ」

「お前も因果な女だな」

「はあ・・」

 もう体力的に疲れ切っていて、マコ姐さんが言っている言葉もなんだかよく分からなかった。

「大丈夫かよ。そんなに入って・・」

「でも、これしかできないですから」

「倒れたら元も子もないぞ・・、お、おいっ」

 急にマコ姐さんの声が遠のいていくと、どこか別の自分が俯瞰して私を見ていた。そして、世界が真っ暗になった。


 気付くと私は病院のベッドの上だった。

「おっ、気が付いたか」

 マコ姐さんがベッドの傍らにいる。

「私・・」

「初めて人間が気を失うとこみたわ。生で」

 マコ姐さんは、子どもみたいに興奮しながら私を見た。

「救急車にも初めて乗ったよ」

 なんだか、マコ姐さんは楽しそうだった。

「あんなんなってんだな。救急車の中って。っていうかお前意識なかったんだな。はははっ」

 マコ姐さんは一人で盛り上がっている。

「なんだか嬉しそうですね」

「いや、まあ、なかなかできない経験だからな。でも、心配したんだぜ。急に倒れるんだから。ほんとだぜ」

「ほんとですか」

 私は疑いの目でマコ姐さんを見た。

「まっ、がんばり過ぎってことだな」

「・・・」

「体壊したら元も子もねぇぞ。何度も言うけど」

「私、失いたくないんです」

「?」

「今の生活を失いたくないんです。無茶苦茶だけど、でも、大切なものなんです」

「・・・」

「雅男もよりちゃんも・・。私、もう大切なものを失いたくないんです」

「そうか」

 マコ姐さんはやさしくそれだけを言った。


「どうしたの」

 家に帰ると、雅男がぐでんぐでんに酔っぱらってリビングに倒れていた。

「雅男」

 私は雅男に駆け寄り、その身をゆすった。雅男はもともと酒は殆ど飲めない人だった。

「俺はもう終わりだ」

 雅男がろれつの回らない舌で言った。

「終わった・・」

「大丈夫だよ。終わってないよ」

 私は懸命に励ました。

「終わったんだ。というか俺は、何も始めちゃいけない人間だったんだ。俺は・・、俺は人殺しだ。俺は、俺はお前の・・」

「それは言わないで」

「俺は・・」

「私が何とかするわ。だから、だからそんなこと言わないで」

 私は必死で雅男を抱き起し、抱き締めた。雅男は力なくただ私に抱かれていた。


「・・・」

 私はただゆっくりと落ちて行くバカでかい夕日を見つめていた。

「お前なら、出すって言ってるんだ」

 私は、以前事務所で言われた言葉を思い出していた。

「AV・・」

 雅男のあの自分の夢を語るキラキラとした顔が浮かんだ。あの時の雅男は本当に輝いていた。

 これ以上タコ社長に甘えるわけにもいかない。

 これ以上私に失うものなどない。私は意を決して事務所へと向かった。

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