4話 狼の家族

 お母さんはいつも夜遅くまで仕事をしていた。

 夜中にふと目が覚めた、わたしは邪魔しないように僅かに開く扉の隙間からお母さんを見ていたのだ。スタンドライトだけに照らされる室内は仄かに明るい。

 すると、背伸びをした母は扉から覗くわたしに気がついた。


“こんなに夜遅くまで起きてる悪い子はだーれーだー?”


 と、扉を開けると母は悪戯な笑みででわたしの頬を両手で掴むと、次に頭を撫でてくれた。

 お母さんは誰よりも温かくて、いつも笑顔で……わたし達、三姉妹にとって太陽のようなものだった。だから失うなんて考えられなかったし失いたくも無かった。


“ルシフ。あなたは出なくても大丈夫よ。私とティナでやるわ”

“慣れないことはするべきじゃ無いよ。ルシフは戦いが苦手だろう?”


 ベルちゃんと、ティナちゃんは……お母さんのために戦場へ行った。

 二人がお母さんと一緒に……何も無い暗闇に歩いて行く。その背中に必死に向かって必死に端って手を伸ばすが届くこと無く、三人の姿は遠ざかって行った。




 


「行かないで!」


 跳ね起きるように目が覚めた。呼吸が荒く、目からは涙が流れていたのだと感じる。


「…………」


 一瞬、全て夢だと思った。母が死んだのも、二人と別れてしまったのも……沢山のヒトを殺してしまったのも全て夢だと――


「……オルグ」


 もう一人のわたしを呼ぶが返事はない。ただ、明るい光が窓から室内に差し込み、そよ風によって風鈴が、チリンチリンと気味の良い音を立てていた。


 太陽はほぼ垂直に見える。お昼に差し掛かるかどうかという時間帯のようだった。

 ベッドから降りると、扉を開けて部屋から出る。扉の先はリビングに繋がっており、中心に置かれたソファーで寝息を立てる男の人が居た。


「……」


 特徴的な白髪に、くたびれた上着にズボンという服装はどこかズボラな性格であると一目で分かる。見た目の年齢は30代前半と言ったところ。

 寝室に使っている部屋は綺麗だったが、リビングは酒瓶や煙草の吸い殻が片付けられずに溜まっていた。


「あ……」


 少し離れた食器棚の上に写真立てを見つけた。いくつか写真があり、その大半に母とソファーで眠っている白髪の男の人が写っている。並んでいる様子を見ればどことなく二人には面影があった。


「なんだ。起きたのか」


 不意に声をかけられてビクッと身体が撥ねると、思わず写真を落としそうになった。


「ルシフルだろ?」

「……はい」


 男の人は寝違えたのか、首をさすりながらソファーに座ると真っ直ぐわたしを見る。


「シガだ。シズルから聞いているかは知らんが」

「……聞いてます。お母さんにお兄さんがいるって……」


 母は彼の事を自堕落だが、誰よりも頼りになると誇らしげだった。


「それなら話は早い。お前たちの事はシズルからの手紙で知っている。色々と事情を説明しようと思うんだが、メシでも食いながらでどうだ?」

「わ、わたしは大丈夫なのです――」


 すると、タイミング悪くお腹が鳴った。それは明らかにわたしからだったので顔が赤くなる。

 彼は笑みを浮かべて立ち上がった。


「遠慮はするな」

「……はい」






 焼けたパン、目玉焼き、味噌汁という昼ご飯はルシフにとって少しだけ新鮮だった。


「味噌汁……」

「普通の食事は出来ると思ったんだか違うのか?」

「い、いえ! 普通に食べられるのです! ただ、味噌汁は久しぶりに食べるので……」

「北の国は麦が主食だからな。シズルにはよく味噌を送ってたが、口に合わなかったか?」

「……北の国では物資の検査が厳しくて、南の国の物は殆ど届かなかったのです」


 ルシフはパンを口に運びながら母がその事に悪態をついていた事を思い出す。

 戦時中であったこともあり南の国の食べ物は殆どが軍に押収され、裏ルートではかなりの高額で取引されていたらしい。


「まぁ、味噌は南の国しか作られてないからな。だが、ここは中央の国だ。両国のモノを得ようと思えばいくらでも手に入る。貴重なものといえば資材くらいだな」

「そうなのですか?」

「ああ。ロックタウンに電気とガスは無い。コンロは魔法で火を起こし、灯りは魔力で発光する魔石を利用してる。その変わり、医療技術や義肢は北の国の方が広く採用されている。特にシズルの造った『ナノマシンS』はこっちでも傷の治療に利用されている」


 『ナノマシンS』。北の研究者であるシズルが開発したとされるソレは崩壊した細胞を再構築するといった特性を持つナノマシンであった。

 肉体が損傷した際に、細胞の修復力を助け、役目が済めば体液から体外へ出て行く。腫瘍などの体内の治療にも有効で、北の国での死亡率低下に貢献している。


「そうなんだ」


 ルシフはどこか嬉しそうにパンを食べた。母の研究は医療技術を向上させる為のモノだと聞いていたからだ。


「魔法と科学を混在させたのが錬金術って部類だな。中央の国はソレが良くに使われている」

「錬金術?」

「例えば、台所に冷蔵庫があるだろ。電気も無いのにどうやって動いていると思う?」


 ルシフは当然すぎて気が付かなかった。北の国では電気はあるため、それによって動いていると決めつけていたのだ。


「えーっと……電池……なのです?」

「魔力で動いている。まぁ、電池と言うのは当りではあるがな。電気の代わりに魔力を充填した魔石を組み込み、それをエネルギーに動いてるんだ。これは中央の国では当然の技術でな」

「北と南の技術が使われているのですか?」

「ああ。そもそも、中央の国は北と南の両国から追われたヒトが集まって創られた国だ。そこに『賢者』と呼ばれるヤツが現れて北と南の技術を混ぜて創られたのがロックタウンと錬金術だ」


 資源が少なく、荒廃と砂漠の大地を生きていくには両国の技術を合わせるしかないと、早くに気が付いたからこそ国として機能できたという。


「中央の国は両国に対して対抗策があった。技術でも武力面でもな」


 中央の国は戦争には両国から参戦要請は度々あった。しかし、ソレを断るだけの能力を両国に見せつけ、頑なに中立を貫き続けたのである。


「終戦協定もこの街で行われ、中央の国は両国間の問題を抱える事も必要になったわけだ」

「……わ、わたしの事も?」


 ルシフは自らが【天使】である事もソレが理由であったのかと尋ねた。


「国としてはそうだ。だが、オレ個人とすればそうじゃない。家族を迎えに行くのに理由なんて要らないだろう?」


 居なくなってしまった母と二人の姉はどこに行ったのか分からない。オグルを止められなかったのは、彼女に拒絶されれば本当にわたしは一人になってしまう恐怖からだった。


「ありがとう……なのです……伯父さん」

「シガでいい。オレもお前の事はルシフって呼ぶからな」

「うん……」


 一人ぼっちの恐怖から解放されたルシフは、ぽろぽろと流れる涙を止められなかった。その様子にシガは、優しく微笑むのだった。






「とりあえずは、ベリアルとマスティマを捜さないといかんな。何か心当たりはあるか?」


 シガが食器を洗い、ルシフが布巾で吹いて片付けながら二人は会話を続ける。


「わからないのです……研究所が爆発して……そこからはずっと、わたしじゃなくてオグルだったから……」

「そうか。お前以外に【天使】に関するような情報は今のところギルドには入って来ていないからな。一度、北の国にあるシズルの家にも行ってみたが、誰も居なかった」


 戦後に北の国へシズルを尋ねに行ったが、そこで分かったのは妹が死んだ事と娘三人の消息が分からないという事だけだった。


「でも、二人はきっと生きているのです」

「そう言う事なら、中央の国で活動するのが最適だな」


 両国の情報を得るならギルドの本部があるロックタウンが最適だ。放浪者の流れが多いこの街は、多くの情報屋が根を張っている。


「両国の情報は絶え間なく入る。ルシフ、今日はちょっと会って欲しいヒトが居るんだが、ついて来てもらってもいいか?」

「会って欲しいヒト?」

「この街のギルドマスターだ。同時に街の長でもある。何かと肩書の多い400歳の『竜族』のジイさんだよ」


 ルシフを受け入れる条件として【長老】に合わせる必要があるとシガは話をつけていた。

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