狼と天使

古朗伍

プロローグ

「なんで……なんでこんなことをするの……?」

「なんで? だってそれは、あなたが望んだからじゃない」

「わたしは……誰も……傷つけたくない……」

「ワタシはあなたの代わりなのよ? あなたが出来ないと言ったからワタシがやるの。ほら、また来た。楽しいわねぇ。ここに居ればどんどん遊び相手が来るわ」

「やめて……お願いだから……もうやめて……」

「あなたは引っ込んでいなさい、ルシフ。ワタシがせーんぶ、殺しておいてあげるから。お母さんもそれを望んでいるのよ」

「ちがう……ちがう……お母さんは最後に……」


 その言葉を最後に彼女の声は彼女に届かなくなった。

 夕闇に染まる廃墟街に少女の高笑いが響く。その声を聞いたギルドの戦士は、上空に浮かぶ光の翼とリングを持つ【天使】を見た。






 ロックシティはゲルム砂漠の岩盤地域に存在する巨大なクレーターの下に創られた街である。

 貴重な水源の道筋でもあるロックシティには水が溢れており、人々の往来は絶えない。


 荒廃した大地が続く中央大陸においてロックシティは一年中、水が確保できる唯一の場所であり、自然と人々が集まり、街が創られたのであった。


「まったく……どこにいる――」


 ロックシティの中心から西の区画に外れた酒場に入ったのは剣を腰に下げた一人の女剣士であった。

 短く切った髪は、戦士として長い髪は不必要だと思っているからである。

 防具は胸のプレートと手甲のみ。これは自らの見切りの技量を加味し、回避と最低限の防御だけで敵を屠ってきたことによる実力者のとしての自信の表れであった。


「なんだ、ジェイか。今日は誰を捜してるんだ?」


 酒場の店主にジェイと呼ばれた女剣士は、この街の治安維組織の一員である。その中でも上位の実力者であり、あまり融通の利かない真面目の塊のような女だ。

 彼女は毎日のようにロックシティを乱す犯罪者を追いかけ回すのが仕事である。


「シガ殿を捜してる」

「ジェイか。オレに何の用だ?」


 すると、ジェイの横からカウンターに空瓶を置く白髪の男が居た。男はそのままカウンターに座ると煙草を取り出し火をつける。


「ギルドからの要請だ。私と共に来てもらおうか」

「やなこった。そうやって持ってくる依頼は大概面倒ごとだと相場が決まってる。ジェイ、お前もいい様に使われてるだけだぞ」

「私はそんなつもりはない。街の治安維持は師が決めた事だ。それを妨げる存在があるのなら、私が斬るに値する」

「お前は敵が斬れるかどうかで判断してんのか?」

「当然だろう。斬れぬ敵が現れたのなら、ソレが斬れるようになるまで鍛錬あるのみだ」

「その考え方、もったいねぇよ。お前、めっちゃ美人なのに」

「え? そうか……そうなのか。あまり自覚は無いが」


 色気話にはめっぽう耐性の無いジェイ。 

 シガは彼女が幼いころから知っている為、その性格は理解してる。


「だから、オレの分も依頼は頼むぜ。【長老】もお前ひとりでやったって知れば喜ぶさ」


 じゃあな、とカウンターに酒代を置いてシガは酒場から立ち去る。


「って、ちょっと待て。引っかかると思うか?」


 酒場を出たところでジェイは剣を抜いてシガの背後から首筋で停止させた。


「すぐ剣を抜くのをやめろよ」

「お前も知っているだろう? 今ギルドで話題になってる事項だ」

「知ってるよ。二ヶ月前から話題になってるグロンダールの『魔物』の件だろ? 行ったギルドの『戦士』がことごとく全滅してるってやつ」

「そうだ」

「オレの仕事じゃねぇよ。オレはCランクだぞ? 下から三番目だ。オレの仕事は旅の護衛か荷物運びだよ」

「三度の審査をすっぽかしたヤツのセリフじゃないな」

「このくらいでいいんだよ、オレは。相方が欲しいなら【千本槍】でも誘え。北の国から帰ってきてる。お前とアイツならサンドワームの巣に飛び込んでもおつりがくる」


 シガは左手を添えて剣を遠さげると、それ以上は言う事もなく自宅に向かって歩き始める。


「【天使】だそうだ」


 気になる単語に思わず足を止めた。


「グロンタールの廃墟街に現れたのは【天使】だ。今日初めて、この依頼で生存者が帰還した。ギルドは【天使】と広まる前に片づけたいらしい」


 シガは何かを考える様に夜空を見上げると、ふー、と煙草の煙を吐く。


「せっかく、終戦協定が成ったのに【天使】が暴れてるなんて開戦問題だよな」


 半世紀近く続いていた魔法と科学の戦争は二か月前に終戦協定がなされた。両国者は戦火処理が落ち着くまで、目立った事をするのは控えているのだ。


「アナタほどに【天使】との戦闘を経験した者はいない。師もギルドもこの件は秘密裏に解決したいと思っている」


 この平和は多くの者たちが傷つき、戦った事で成されたものだ。それは家族を失ったシガも分かっている事だった。


「……わかった。ギルドにはお前が報告を頼む」

「なんと?」

「明日、ロックタウンを出てグロンタールに向かう。【白狼】が【天使】を殺るから他の戦士は近づけるな」


 その眼は先程の自堕落なモノではなく、敵を見つけ、仕留めに動く狼のモノだった。

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