第2話 ○○の独り言 あるひのできごと ライトノベル(らのべ)日記より
○月×日 ある日の出来事
昔、前の人生で勤めていたことのある、工場の敷地前を自転車で通りかかった時、
敷地内の並木が切られたことに気がついた。
木の種類は知らない、
何か落葉性の針葉樹だったと思う。
葉が落ちた後の、枝から幹の全景は葉の葉脈のようできれいだった。
木の葉を加工して作る、葉脈で出来たしおりみたいな感じだ。
あれはまるで、木の葉が地面から生えているみたいな様子で面白かったな(笑)
レオ・レオーニの書いた、架空生物の本、『平行植物』に、そんな木があったっけ。
冬場に、それが並木で連なるようすはなかなか壮観だったのだが、
…そうか、切られたか。
勤めていた工場主である企業はすでに撤退し、しばらくのあと別の企業が敷地に越してきたのだが、
新しい工場主は、そういった木々は必要なかったようで、ばっさりと無くされた。
それ以外の木、桜は残しているから、春先の花は楽しめるが、冬場と新緑の楽しみは減ってしまった。
残念だ…。
「人はパンのみにて生きるにあらず」とは、よく言ったもので、
人が人として生きるためには、驚くほど多くのものが必要になるようだ。
その人が、その人個人として成り立っているために、必要となる環境。
人とのつながり、相手への、そして相手からの気持ち。
そういった情報を、時間をかけて積み上げた、その人自身の想いや記憶。
物理的な環境、精神的な場、個人が積み上げてきた時間。
そういったものが絡みあい、モザイクのようにちりばめられ、
絵画のように、織物のように、その人を形づくってゆく。
そして、その人が作り上げた要素の一部が、
人にしても、物にしても、思い出や気持ちとつながっているものが失われる出来事は、とてもこたえるものだ。
昔に読んだクーンツの小説、『ライトニング』だか『ウォッチャーズ』だかもう覚えてはいないが、
物語の一節にあった、主人公の親が亡くなった時、幼い頃に親の語ってくれていたおとぎ話のエピソードも消えてしまうということが書かれていたことを思い出した。
その主人公が子どもの頃に、父親が子供のために創作して、寝るまえに語ってくれていたおとぎ話も、
主人公が大好きだった、そのおとぎ話のキャラクターたちも、父親を亡くしたとき一緒に居なくなってしまった。
それに気づいた時の主人公の思いを、
木がなくなっていることに気づいた時、自分は改めて実感した。
何か無くしたとき、それに伴って消えてゆくものもたくさんあるのだ。
猫又、稲荷狐、座敷わらし…。
彼女たちは、人よりも長い長い時間を過ごしている。
どうやって過ごしているのだろう?
どうやって生きているのだろう?
生き続けていくのだろう?
自分たちを置いて、人が去ってゆくのを見つめて、
愛する人を看取り、見送り、
また歩き始めるのだろうか?
別れの心の重み、悲しみの重さに耐えかねて倒れてしまわないのだろうか?
昔読んだ少女マンガ、
耐えられない悲しみを忘れて、それでも生き続けなければならないアンドロイドのお話を読んだことがある。
人類の理想とする、
永遠の命を彼らが体現するためには、肉体的な頑丈さや並外れた再生能力だけでは足りない。心にまでその手は加えられているという内容だった。
歩けなくなるほど、立ち上がれなくなるほどの重荷になる記憶は、消えてしまうように作られているということ。
ひどく理不尽な、独りよがりな生命を創造したものだと、その時には思ったものだ。
けれども、人間の思考回路も、あのお話ほど極端ではないけれど、
そう変わらないようにはできている。
「時間が解決する」、そんな言葉のように、
思い出せば血が流れていたほどの悲しみの記憶も、
息苦しいほどの慟哭に彩られていた思い出も、
刃のような鋭さも、突き刺さるほどの刺も、やがては鈍り、溶け、丸くなり、
柔らかな記憶、懐かしい思い出に変じてゆく。
猫又や稲荷狐、座敷わらし。
たぶん、彼女達も人間とそう変わらないようにして、長い生を生きているのだろう。
悲しいこと、つらく苦しいことはあるだろうけれど、
人が悲しみを忘れてゆくように、やがて心は優しい気持ちへと変わってゆくのだろう。
猫又なら、
「世の中は楽しいことであふれてるんだから、
悲しいこと数えたってしょうがないよ」って、そう言って笑いそうだな(苦笑)
前に猫又と話したこと。
あいつは前に読んだ戦記マンガ、ifストーリーもののセリフを引用して、
「過去と相手の心は変えることはできない。
変えることができるのは、自分と未来だけ(微笑)」
そんなことを言っていた。
とても心に残る言葉だった。
ああ…、だからこそ、あいつはその時の出会い、縁を大事にしているのか。
楽しかったことで心を満たし、悲しみを優しい記憶に変え、日々を過ごす。
狐も座敷わらしも、きっと変わらない。
そこは人間と変わらない、そう思うと彼女らのことがとても愛おしい。
自分は人の身であるから、おそらく彼女達のように長く生きることはない。
この楽しい時はまたたくように過ぎるだろう。
だからこそ、
自分は彼女達に、自分に付き合ってくれているあの娘たち、自分の家族たちに楽しさや嬉しさを与えられるようにしなければ。
そんなことを思いながら、自転車を押して家に帰る。
そしてドア開け、彼女に声をかける。
「ただいま、座敷わらし。いま帰ったよ(笑)」
-カクヨム版、あとがきのようなもの-
拙作のらのべ日記というのは、なかなかに鬼子というか、失敗作というか(苦笑)
テーマも変節し、物語の流れとしてもガタガタなお話、まあ短編集なのでしょうね。出来の悪い子です(苦笑)
基本形態として、主人公の独り言として、小説などの言葉を引用したりしつつ書き始め、タイトルの『らのべ日記』に沿うようにスタートさせたお話なのです。
けれども、1、2話の、少しエッセイを意識したスタイル、『にんげんはおもしろい』、『あるひのできごと』というお話の流れは、このあとに方向性を変えて、
主人公と、出てくるはずのなかったヒロインにスポットを当てたお話に変わってゆくのですね。(次話投稿のつもりでいる『しょうげき!!』から違いますね(苦笑))
初めは独り言を続けていこうとして、ヒロインのセリフを、主人公が引用しているスタイル。受動的で姿をあまり感じさせないスタイルを取っていましたが、
その後にヒロインがキャラクターとして自立してくると、完全にキャラクターとして登場を始めて、自発的に発言したり、行動したりしています(苦笑)
らのべ日記のお話の流れも、
ヒロインの世界、あやかしが出ない(やはりセリフの引用しかしない)世界として区分けしていた枠組みなのですが、ろーぷれ日記の猫又が、ヒロインみゆきのネットの友人として自ら割り込んで来たあたりから、その前提が崩れはじめてますね(苦笑)
ほんとう、苦笑いばかりです。なんでこうなった!?
そんな風にも思いますが、おそらく、無意識にどこかでそうなる選択をしたのでしょうね(笑)
現在は、『ろーぷれ日記』も、『らのべ日記』もごちゃごちゃです(;´д`)
書き直しのときには、もっと考えて整理しないとですね( ̄▽ ̄;)
あとは、引用した書籍について少し。
『竜の眠る星、ジャック&エレナシリーズ』コミック作品。
清水玲子さんの書かれたアンドロイド、ジャックとエレナの物語。SF、スペースオペラでしょうか?未来の物語です。
清水玲子さんのきれいな絵と、胸を打つ哀しいお話がとても良かったのでした。
(この文章の中では、主人公の思い出からということで、あやふやな書き方をしています。ただ、一部、物語の展開に触れてしまっているところが気になるところです。ご容赦いただけたら幸いですm(_ _)m)
『ライトニング』、『ウォッチャーズ』海外小説作品。
ディーン・R・クーンツ氏の小説、主人公のうろ覚えでふたつの作品のタイトルを入れていますが、ぼかして書かれている文章の引用元は『ライトニング』の方です。
どちらの作品もサスペンス的な要素を持つ良作です。個人的には『ライトニング』の方が好きですね。今思うと、この物語を無意識のうちに拙作のテーマの一部として盛り込んでいたことに気付きました。
主人公の少女のことを護るため、彼女が生まれたときから危難の時に雷鳴と共に現れる『守護天使』の存在。あれともうひとつの要素は拙作に溶け込んでいるようです。
他の作品もそうですが、好きな作品というのは、そうして書いているお話の血肉になっているものですね。
余談ですが、クーンツ氏の書かれたハウツー本『ベストセラー小説の書き方』、
おもしろい本です。
章ごとのタイトルのうち、「読んで、読んで、読みまくれ」、「書いて、書いて、書きまくれ」は、陳腐なセリフですが、物書きとしてはこれしかないという言葉だと思っていますね。自分、実践は…、うん、クーンツ氏のレベルは難しいですよね。あれは『北極星』です(苦笑)、目指す先にある(笑)
巻末にある、クーンツ氏がすすめる他の作家(海外作家)の作品の読書ガイドと、その考え方はたいへん為になりました。
『蒼海の世紀』コミック作品。
野上武志さん、鈴木貴昭さんのコンビで書かれている、架空の戦史ものです。
自分はこのお話がとても好きなのですね。
それで、猫又もお二人のファンであるということを決めて、猫又のセリフとして書いたのです。
ただ、セリフの言葉はアレンジされていて、
文章中では、
「過去と相手の心は変えることはできない。
変えることができるのは、自分と未来だけ」
そんな風に猫又が語ったことになっていますが、
原文は、
「過去はどうすることもできない
−でも だからこそ−
変えられるのは未来だけです」
と、そういったセリフでした。
『蒼海の世紀』は、
坂本龍馬が暗殺未遂になって、海援隊が存続している明治時代。
架空の歴史漫画ですね。
セリフは主人公の大韓帝国王子、李家鳴海(りのいえなるみ)の言葉でした。
投稿後に確認したら、勝手に頭のなかで書き換えていたのです( ̄▽ ̄;)
猫又の言ったセリフ、勝手にアレンジして使ったとするのは、演出としては合っているのですけど(苦笑)
こんなところでしょうか?
それではまた。
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