ゴリランド・パラドックス

あさって

第1話

 ある日、ゴリラは目覚めた。

 どこだここは。いつものジャングルではない。

 床が固い。木が一本もない。景色もほとんど見渡せない。体験したことのない異質な空間。

 一瞬動揺した。だが、問題ない。

 胸を叩きリズムをとる。大きく息を呑み、吐き出す。

 ゴリラ歌った。生まれた時から知ってる歌。

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼」

 歌うと同時に思い出した。ここがどこだろうと関係ない。

 この歌がある限り、ゴリラはゴリラなのだ。 


***


「そして君と~WOW~♪ 真実の愛が~」

 空気の中の酸素濃度は20%ほど。なるほど確かにそんなに多くなさそうだ。

 大音量で流れるカラオケ。特別上手くもないクラスメイトの歌声に鼓膜と思考を揺らされながら、貴々上院たかたかじょういん鷹子はそう思った。

「いつか訪れる~~本当の~~♪」

 この音量、そして5人という人数に、この部屋は狭すぎる。酸素が枯渇していくようの感じられた。息苦しい。

「そ————で、明美が——てて——マ——でふざ——なってさぁ」

「は? な——れ? くそじゃ———イツ」

 歌を聞いていなくていいのだろうか? 別の二人が、熱唱にかき消されながら、同等の怒鳴り声で教室と同じ会話をしている。鷹子には、この場所の意味がよくわからなかった。歌っている子がドアの横に立ち、私の隣に三人が横並びに座っている。鷹子はその隣、席の隅っこで壁に体重を預けてじっとしているだけだった。

「貴々——院さん。————クとって?」

 隣に座る子に声をかけられる。

 名前を呼ばれたのはわかった。何かとって欲しいのだということもわかった。テーブルの上を見るとマイクが一本。首をかしげて差し出してみる。

「違————‼ ———ク‼」

 違うらしい。怒った様子に、鷹子の肺はきゅうと小さくなった。息が詰まる。『なに?』と聞いた声が全く通らない。

「————ク‼ デ——ク‼」

 そのこは業を煮やして、差し出されたマイクをひったくってスイッチを入れた。


キイイィィィィィィィン


 鋭い耳鳴り。大熱唱を二本のマイクが拾ってしまって酷いハウリングを起こしたのだ。歌が中断される。

「てめ、アキぃ!なにやってんだよ‼」

「だって、コイツがデンモクわかんねぇみたいだからさぁ!」

「は?」「マジで?」

 彼女らが発する鳴き声のような短い言葉は、それぞれ誹謗と嘲笑を含んでいた。その反応とコイツという言い方が鷹子の心を揺らす。

「まぁ怒んなよアキ」

 全員に視線を向けられながら何も言えずにいると、別の声。

 鷹子と反対の隅に座る。目つきの鋭い女。石橋愛子。彼女の発言には、場の空気を支配する圧力がある。彼女が黒と言えば、皆が黒と口を合わせる。クラスで皆が恐れる人物だ。

「貴々上院さんはお嬢様なんだから。教えてあげないとわかんないんだよ」

 愛子は落ち着いた声で話しながら、鷹子の前に立った。鷹子の目の前に置かれていた予約送信用の端末を持ち上げる。

「これがデンモクって言うんだよ。社会勉強できてよかったね」

 鷹子に向けられる明らかな蔑み。しかし場の空気が反抗を許さない。元よりそんな勇気もない。

「うん、ありがとう」

 迷わず、笑って頷いた。愛子はデンモクが置かれていた場所に、代わりにメニューを投げて寄こした。バンという威圧的な着地音に鷹子の身体はびくりと跳ねる。

「授業料。なにかテキトーに奢ってよ」

 受話器を手に取り、今度は少し迷った。何を頼めばいいかわからなかったから。

「オニオンリングを……ええと、4つ……?」

「は、センスな」「揚げもんなら唐揚げにしろし」「てか多っ。金持ちどんだけ食うんだよ」

 鷹子のチョイスに噴出する不平不満。愛子が一言でまとめる。

「ふざけてんの?」

「あの、あ、ごめんなさい。今の無しで、その……さっくり唐揚げを2つ。お願いします」


 高校に入学してから、こんな出来事は何度目だろう。貴々上院は各種業界を牛耳る日本有数の資産家だ。その富と権力を使えば、不可能などないとすら言われている。

 だがそんなこと、鷹子は何一つ誇る気になれない。幼稚園から私立。エスカレーター式に中学校まで進むも、同級生は貴々上院という名前を聞いただけで怖がって声もかけてくれなかった。それが嫌で一般の高校に入学。そしたらちょっとしたことでお嬢様と馬鹿にされ、お財布代わりに連れ回される毎日。

「ねぇ、じいや。私……もっと普通の家に生まれたかった」

 5人分の会計を支払った鷹子は、迎えに来たリムジンの中で呟いた。

「え~~~。他のウチの子だったらぁ、じいやと出会えなかったですよぉ~??」

 運転手兼世話係の老人が、甘ったれた声で答える。鼻の下、W型の髭が喋った勢いのままぴょんぴょんと跳ねる。

「別にいいもん。じいやなんかより、同い年で、私自身を見てくれる友達が欲しかった」

 窓ガラスの向こう。自分になんの関心も持たない世界に向けて、口を尖らせる。

「その子はね、貴々上院の名前なんて妬みも恐れもしなくて、私の気持ちを全部わかってくれるの」

 そんなことを妄想しても、今鷹子の隣にいるのは窓ガラスに映った透明な自分だけ。透かした風景が流れる度、その色を変える頼りない自分だけだ。

「ねぇ、わかってくれる?」

 ため息一つ吐く代わりに、じいやに声をかける。が、返事はない。

「ねぇ、じいや、聞いてる?」

「ぷ~~~~~ん。知りませ~~~~~ん。じいやはどうせジジイですぷ~~~~~」

 ジジイは拗ねていた。心なしか髭が尖っているように見えた。

 鷹子は結局「はぁーあ」と息を漏らした。


***

 

 真空みたいに静かな空間。壁際には山ほど楽器が飾られているくせに、音を立てるもの全てを拒むような、暴力的に静かな部屋。大音量カラオケの後遺症、ジーという耳鳴りがやたら鬱陶しい。


ぽーん


 鷹子の指の動きに連動して、ピアノが吐き出す『ド』。楽譜通りのその音が、やたら場違いなものに感じられた。


ポーン、ポーン、ポロローン。

 

 躊躇いがちに、でも覚えた通り練習した通りに鍵盤を押していく。徐々に指はスピードを増す。勢いに乗る身体とは裏腹に、意識はこのまま上手くいくはずがないと疑心暗鬼。

 突如、雷が落ちる様な衝撃が鷹子を襲った。錯覚だ。わかっている。だが鷹子の全身は強張り、指が震える。ピアノはボボボロローーンと滅茶苦茶な音を響かせた。慌てて正しい音を鳴らそうとした時、


ピシャアアアァァァァァァアァン

 

 錯覚じゃない雷鳴じみた鋭い音が、鷹子の身体を背骨から揺らした。

「鷹子さま‼ いい加減にしてください!」

 ミスを取り繕うとした鷹子の演奏を遮ったのはピアノ家庭教師の賽の河マサ子だ。五十八歳。現役のピアニストでありながら、将来有望な若手の育成にも意欲的に取り組んでいる。というのはウィキペディアの談。


ピシャアアアァァァァァァアァン


 マサ子が指揮棒で机を叩いた。Wikiには載っていないが、彼女は激昂するといつもそうする。そして年齢を感じさせない驚異的な声量で怒鳴る。この防音室で、彼女だけが音を立てることを許可されているのだと鷹子は思った。そして自分が発することのできるのは、ピアノの音と、もう一つだけ。

「ごめんなさい……」

「もう一度! 最初からです‼」


バビビロロ~ン ピシャアアァァァァァァアァン


「少しは成長を‼ せめてやる気を見せてください‼‼」

「ごめんなさい……」

「謝っても上達しません‼‼ もう一度最初からですっ‼‼‼‼‼」




「ピアノ、好きだったのにな……」

 夜。鷹子は自室で一人うなだれた。鷹子が初めてピアノに触れたのは小学校に入学するよりも前だった。鍵盤を押すと音が鳴る。ただそれだけのことが、当時の鷹子には楽しかった。きっと音が鳴るものなら、なんでも同じ反応をしただろう。だが鷹子が触れたのは、たまたまピアノだった。

 ピアノがレジスターのオモチャより奥深いものだと知ったのは、小学三年生の時だ。鷹子やクラスメイトが徐々に世の中の仕組みを知り、貴々上院の名前が持つ力を知った頃。    

 友達だと思っていた人間が、急によそよそしくなった。不自然に近しく接しようとしてきた。自分の世界が崩壊していく恐怖。怒り。悲しみ。それでも捨てきれない理想や願望。そんな言葉で区切れない感情を、ピアノでなら音に出来ることを知った。

 その時、鷹子はピアノを真剣に学ぶことを決めた。そんな経緯で両親が雇ったのが賽の河マサ子だ。それから自分のピアノが上達したのかどうか、鷹子にはわからない。

「練習しなきゃ。明日も怒られちゃう」

 スマートフォンのピアノアプリを起動する。すると、プロジェクターのようにスマートフォンから鍵盤の映像が投影される。投影された鍵盤に触れると、スマートフォンから対応した音が出るという仕組みだ。アームスタンドで机の上空にスマートフォンを固定し、机上に鍵盤を投影。そして、アプリに搭載されたメトロノームのスイッチを入れる。


カチ カチ カチ ポーン カチ カチ カチ ポロローン カチ カチ


 規則的なリズム。楽譜通りの音階。スマートフォンから流れるメロディーは正しくモーツァルトだったが、モーツァルト以外のなんでもない。だから鷹子はもう一度呟いた。雷鳴の幻聴に指が止まった時、出したかった音に、出来る限り近い意味の言葉を選んで。

「好きだったのにな……、ピアノ」

 

***


「ねーーーー、鷹子さまぁ~。そろそろ帰りましょうよぉ~~~~~」

「嫌。もう少し、ここにいたい」

 その日はクラスメイトとボーリングに行った帰りだった。いつも通り、全員分のゲーム代を払って散々貶されてきた。帰る気になれない鷹子を、じいやは動物園に連れてきた。それから、もう2時間。

「もう7時ですよぉ⁉ じいや、お腹空いちゃったんですけどぉー‼」

 まだ気分は晴れないが、今日はマシだ。マサ子のレッスンがない。そんなことにホッとする。自覚してる以上にマサ子を恐れてる自分に気づいて、鷹子は思う。私の生活は、いつからこうなってしまったんだろう。

「見て、ここの動物達。本当なら自然の中を自由に走り回っていたはずなのに。こんな狭い檻の中に閉じ込められて……」

 兎、ワニ、フラミンゴ。次々と視線を映しながら鷹子は言う。

「聞いてます? じいや、お昼『うぃだー』飲んだだけなんですよ? お弁当忘れて」

もし普通の家に生まれていたら、クラスメイトに変な因縁をつけられることもない。先生も、もっとマトモ。本当の友達と一緒に、心から楽しくピアノを演奏できただろう。

 なのに現実はどうだ。家の名前に繋がれて、分厚い防音室の中に閉じ込めれて、二重窓の外からクラスメイトが指をさして笑ってる。

「私みたいね……」

「ねぇ~~~~~~~~~‼ 私なにか買ってきますからね! ここにいてくださいね!」

 よっぽど空腹だったのか。じいやはW型の髭が垂れ下がりM型になった状態で売店へ走っていった。だが鷹子はそれどころではない。

「ねぇ、貴方なら、私の気持ちわかってくれる?」

 来園者が立ち入らないように設置された柵。その向こう、一面だけが分厚い強化ガラス、他がコンクリートで作られた小屋の中。ただ一匹佇むゴリラに、鷹子は投げかけた。その瞬間、鷹子は背筋がゾクリと冷たくなるのを感じた。

 ドッ ドッ ドッ 痛いくらいに暴れる心臓が、全身に警告する。この場所は危険だと…‼

 

 ゴリラは怒っていた。人間が、憐れみの目を向けてきた。あのような子メス取るに足らない。だがあの視線、受け入れるのは恥。ゴリラ歌う、再び。このまま黙ってなどいられない。

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼ ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼」

 ゴリラ憤慨。甚だ心外。一目瞭然、お前との違い。

 だが問題、伝わらぬ気概。

 鳴き声の意味、ゴリラ以外に未知。届かない、頼りない意思表示。

 なら喰らわせろ、共通言語。猿より以前の俺たちの先祖。

 理屈ことごとく関与せず、音楽ソウルで伝わるゴリrhyme

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼ ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼」

 ゴリラの驚異的声量が空気を揺らし、突風が吹く。だが、鷹子の心を襲った衝撃は、物理的なものではない。そのゴリラの歌声が、鷹子のピアノがずっと前に失ってしまったものを、備えていた。その事実が、鷹子の存在を揺るがした。

 自分の音楽がいつの間に、動物にも劣っているなんて。自分より、檻の中のゴリラの方が自由だなんて。信じられない。受け入れるわけにはいかない。そんな感情が無意識に口をつく。誇り、怯え、悪意に欲。何であれ、偽りない本心を言葉にする時、それは自然にライムとなる。

 なにこの威光、貴方は苦悩、感じないの? 強制間借りの狭い檻。私の部屋の何分の一? 

 冗談じゃないジャングルじゃ、邪魔なものは何もないじゃない。普通不満でしょう。自由奪われたんでしょう。そして今日、愛想振りまく強制労働、可哀想だよって私は思うよ。

「ごりら…らいら……ごり、ららい……?」

 聞いたままに、発音してみる。


 鷹子のたどたどしい歌声を、ゴリラは戦い開始の合図と捉えた。



 可哀想、誰にそう思う? 

 案ずるお前のズレてるアングル、感じる哀れみ返すぜサイクル。

 所詮この世は巨大なジャングル。問題じゃない木々の有無。ただ一つ共通ルールは弱肉強食。

 鳴り響くゴング。巻き起こすランブル。賭ける己のフリーダム。敗れた者だけ知覚するウォール。閉じ込められる壁の向こう。敗北知らずの俺達コング。何も変わらぬアマゾンライフ。

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼」

 ゴリラの歌が地を揺らす。足元から伝わる振動。身体は危険を感じている。

 だが、鷹子は思う。もしも、このままゴリラの言葉を受け入れてしまったら、今までの最悪な日々が続く。いつか変わるかもって、微かな期待までなくなってしまう。そんな確信がある。

 だから鷹子は言葉を返す。外見はできるだけ平静ぶって、悲鳴をあげるような内心で。

 フリーダム? そんなことない、すぐにわかる。狩る獲物にだって事欠く柵の中で思い描く。本当はこうできた。こうなるはずでした。でもリアル、それを実現する術はなく。今にも貴方を苛むイライラ。いつか羨む外の島。可哀想にさ、二度と帰れぬキラキライフ。

「ごりららいら! ごりららい!」

お前また思い違い。勘違い、なに不自由ない現在。外に出たい、そう思えば数多ある機会。

それよりお前はどうだい? ジャングルじゃ、自分次第、自由自在。なのにお節介、してる場合かい? 『辛くない?』傷舐める、相手集めるべく、自己重ねる。

同情もらえず震えて焦燥。まるでジャングルで餌待つ小鳥の様相。

可哀想? 誰がそう思う?

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼ ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼」


 そこまで歌い上げたゴリラは、鷹子に背を向け小屋の奥へと歩き出した。もう勝負はついたと言わんばかりだ。

自分の無様さを完膚なきまでに思い知らされた。広大なジャングルを生きるゴリラ。同じだけ広い檻の中を漂う鷹子。その差を痛感させられた。

「はぁはぁはっはっは、————、————、———、——、」

 さらも鷹子は過呼吸状態に陥っていた。ゴリラのライムが昂らせた心臓や肺、それに血管。過剰に活性化した身体機能が、鷹子自身の限界を超えたのだ。突風、地ならしで受けたダメージも相まって、とても声を出せる状態ではない。

 ついには、その場に膝を着く。頭から地面に伏す。ぽつり、ぽつり、と微かな雨粒が頭を打ち始めた。

 鷹子は心中、光刺さない瞳で暗い決意を固める自分を感じた。

 あのゴリラに勝てる自分が、全く想像できない。今の生活を抜け出す自分も見つからない。この場での敗北と、この先一生強いられる苦渋。その二つを同時に受け入れよう。

 もう帰ろう。夜には嵐が来るって予報。すぐに雨は強くなるだろう。

 辛いことは我慢しよう少々。空気読む。機嫌とる。それで高校、乗り切れれば僥倖。

 感情なくして無視する雷轟。そして、実現する完璧な演奏。

 無感動の日々はむしろ好都合。気づいたら成長。大人になれば忘れてしまえそう。

 もう帰ろう。この世界、簡単には変わららぬ模様。

 立ち上がろう、立ち去ろう。腕に力を込める。だが、身体は一向に持ち上がってくれない。

 雨は強くなる。目の前の地面が雨粒に染まり、斑点模様に代わってく。

「そんなの……、嫌だぁ…‼」

 別の自分が呟いた。手立てなんてない。意思すらない。

 そこにはただ、無力な自分がいるだけだ。

「ごり——、——いら、——り——ら」

 子供が駄々をこねるように、全力で自分を吐き出した。

「ご————らい、らっ‼‼ ——り、——らいっ‼‼‼‼‼」

 声にならない声を地面に吐き出す。熱くなった頭が、沸騰したヤカンのように、鋭い耳鳴りを生じさせた。




キイイィィィィン




「てめ、アキぃ!なにやってんだよ‼」

「だって、コイツがさぁ!」

 カラオケボックスの狭苦しい部屋。鷹子を指さすクラスメイト。

「貴々上院さんはお嬢様なんだから。教えてあげないとわかんないんだよ」

 落ち着いた声で石橋愛子が仲裁に入る。

「これがデンモクって言うんだよ。社会勉強できてよかったね」

 そしてメニューを投げて寄こす。テーブルに着地した紙の束がバンッと威圧的な音を立てた。

「授業料。なにかテキトーに奢ってよ」

 ニヤニヤと鷹子を眺める石橋愛子と以下3人。

 なんだこれ。こんな場面、どこかで見たことあるような。

 ぼうっとした思考の中、それでも鷹子は言われるがまま、なんの疑問ももたず受話器を握る石橋愛子がそうしろと言っている。そうしなければいけないのだ。ずっとそうしてきた、ずっとそうしていく貴々上院鷹子の人生。

 だがその時、よぎった。

 あのゴリラ、あの歌声が。雨の中、絶望に溺れた自分を思い出す。ここで言いなりになる私では、あのゴリラに勝つことはできない。だけどもし、ここでNOと言える自分ならどうだ?

 身体が震えているのは怯えからではない。高鳴る心臓、沸騰する血液が、鷹子の思い付きを肯定するから、今こそ戦いの時だと、鷹子を急かすからだ‼。


 あのゴリラに勝つことができたなら、私はきっと人生を変えられる。

 あのゴリラに勝つためには、今までの私ではいられない。

 

 夢でも何でもいい。またとない機会に違いない。

 人生を変えるために、ゴリラに勝つ、ために人生を変える。

 ごりららいら。ごりららい。心の中で一度呟く。

 受話器を放り、マイクを握る。

「『ありがとう。一つ学べたわ大衆娯楽。お礼をしましょう。出すわ万札』とか言うはず? その期待は二度と叶わず」

 ギョッとするクラスメイト。口にした内容など聞いていない。だが、口答えされたこと事態に怒り心頭。

「ああん⁉ てめぇ何その目?」「生意気じゃね?」「早く注文、しろよ唐揚げ!」

 口々に怒鳴り声をあげるクラスメイト。鷹子は、何も感じない。

ドッ ドッ ドッ

 胸打つ心臓が揺らす身体。半端な言葉じゃ揺らがない。これまでと全く違う、鷹子の鋭い眼光が彼女らを射抜く。

「口答えしないと思っている? 人形じゃあるまいし、そんなわけない。食べたいならフライくらい恵んでもいい。けど、もし頭下げて乞うたらの話。貴方達の額、一円にも満たぬ格。はけろ早く。今まさに開ける幕。戦いの意志なくば、持たぬこの場に立つ資格」

 胸を抑えて跪く三人。ゴリライムを受けた鷹子と同様。身体機能に異常が起こったのだ。ジャングルという戦いの場。弱き者は、立ち上がることさえ許されない。

 鷹子は決意の表情を崩さない。もとより倒れた三人など眼中にない。ただ一人悠然と立つ女。石橋愛子に視線を向ける。愛子は不敵に笑って口を開く。意志を放つ。

「どういう風の吹き回し? ちょっとばかしイキり過ぎ。わかってる? うちらにその口、きくのリスキー。あんたお偉いお嬢様。関係ない、ウチラの間じゃただの陰キャ。歯向かう気なら、ハブるくらいじゃ済まさねぇわ」

 微かに乱れる鷹子の心音。愛子のライムはまだ続く。確信する。やはりこの女は、自分を脅かす力を持っている。鷹子の額から一筋の汗が流れ落ちる。

「あんたの知らない怖いこと、世の中にゃああるよ色々。私の意向、クラスの中じゃ重要事項。私がこの島の大将。どうやってあんた辱めよう。用足す回数、大小その他、黒板にでも記載しようか? 簡単だよ。二度と行こうなんて思えなくできる学校。

 謝ろうってならそれで済まそう。けどこれ以上、たてつく気なら台無しにする一生。噂立てる。男けしかける。家にだって押しかけるし山ほどビラを放り投げる。ご令嬢のスキャンダルは電波のって駆け巡る日本中。行き場なく、部屋にこもり喚くあんたの状況、想像するだけで堪えられぬ爆笑」

でもだからこそ引き下がるわけにはいかない。この女を打ち負かし、ゴリラにも勝つ。そうしたら変われる気がする。そうしなきゃ変われない気がする。

「上等。貴方と同じ高校、なんて二度と行けなくて結構。貴方はクラスの頂上、認めよう実際そう。だってあんな場所誰も興味なんてない。誰も重きを置いてない。手を挙げれば誰でも番長。さながら給食委員の選挙。山の一つない無人島、相手のいないシャドーファイトで必勝。貴方こそ、たった一人テリトリーの中で勝ち誇る引きこもり。ごめんなさい。禁じ得ない失笑」

 愛子の上半身が、強烈な右フックをくらったかのように大きく揺れた。最早、愛子の顔に余裕はない。心の内の言葉を握り、空手で鷹子に振り上げる。

「温室育ちのお嬢様。金持ちパパと優しいママ。我儘放題思うがまま。愛情だって望むまま。私だってそんなとこに生まれていたら、こんな風にはなってなかった。楽しくなんてない、でも変えられない。どこにも行くアテなんてない」

 鷹子のライムが、愛子の虚勢を剥ぎ取った。愛子の言葉は、いつの間に彼女自身を刺し、開いた傷口からボタボタと、真っ赤な本心が零れだす。

「やらなきゃやられる。ただ生きる。それだけのことに四苦八苦。成り行きで辿り着いた砦、気づけば友は去って、しもべが催す上辺だけの宴。

 どこにも見当たらない出口。天窓が見下ろす私。差し込む日差しがやたら眩しい

 この手に与えられた物何もない。何が足りないのかもわからない。いつの間にみんな空の上へフライハイ。そこへはどうやって行けばいい?

 きっと世界が私にだけ隠してる、その羽の名前を教えてよ」

 同じだ。鷹子は思う。私とこの女は同じ場所にいた。なんて脆い、なんて弱々しい。隠れる虚勢がなかった分、私はもっと貧弱だったに違いない。恰好の獲物だ。同情の余地もない。

だからこそ、乗り越えなければ。この相手を、自分自身を、打ち破らなければならない。

「出口なんて見つかりっこない。だってここから始まるんじゃない。眩しくて瞑った瞳、開けばそこにある世界への入口。羨ましいって思うたび、こんなの嫌だって思う度。騒ぎだす心臓がこの暗闇に亀裂刻む。貴方にだって見えるでしょう? 

私達、覆う殻は既にボロボロ。つまらないヒビを中から叩き壊そう!

もう孵ろう。この世界、自分次第で変わる仕様っ‼」

 鷹子はマイクを放り投げ、身体全部の空気を吐き出すように叫んだ。

「ごりららいら‼‼ ごりららいっ‼‼‼‼」

 愛子の身体は宙を舞い、テーブルの上へ大の字に落下した。満身創痍。だが穏やかな寝顔を浮かべている。目じりにはうっすらと雫。支配者の面影は最早ない。かつての鷹子と同じ、広大な檻の中で身を縮ます少女がいるだけだ。

「あの……、ご注文は……?」

 放ったままの受話器が聞いた。『ジャングルで情けは命取り』ゴリラはそう咎めるだろう。だが鷹子はそうせずにいられなかった。悠然とメニューを開く。

「オニオンリングを2つ、お願いします」

 鷹子が注文を言い終えたのと同時に、宙を舞ったマイクが床を叩く。鳴り響く不協和音。


キイイィィィィン


 豪雨。動物園、ゴリラが見下ろす柵の前。鷹子は目を開いた。

 地面に地に伏したまま、微かに、しかしハッキリと呟く。

「ごりららいら、ごりららい」

 背中を向けたていたゴリラの肩が、ピクリと動いた。振り返り、感じる違和感。この人間、先程までとは何か違う。微かに見開かれた目に、鷹子は不敵に笑い立ち上がる。

 お待ちどうさま。気分はどう? こんな小娘しとめそこなう。自由なゴリラ? 案外無能。

 さっきのが千載一遇、私倒すラストチャンス。自分の檻抜け出した私、貴方と対等。ジャングルの中、獲物を狩る、獣の側。

「ごりららいら、ごりららい‼ ごりららいら、ごりららい‼」

 興味は示しながらも余裕のゴリラ。

 歓迎しようニューカマー。確かに見違えた生き様。だが対等とはどうかな? ジャングル生きる知恵持たず、その身を守る爪もなく。未だお前無力なまま。すぐに直行、無様に墓。ここは戦場。力こそ至上。牙ないトラ、角持たぬサイ、捉えられる獲物一切ない。その細い歌唱の殺傷力、刃というには著しく不足。鋼鉄の皮膚、決して貫かず。俺の心臓、揺らされぬ永劫。

「ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼ ゴリラライラ、ゴリラライ‼‼‼」

 やはり、圧倒的。石橋愛子とは比べ物にならない圧力。空間ごと振り回されているように、強烈な衝撃波が鷹子を襲う。水たまりは絶え間なく波紋を生み、雨粒は空中ではじけ飛ぶ。鷹子の心臓は鼓動を早め、またしても身体が悲鳴をあげる。

 ゴリラの言い分は相変わらずもっとも。どれだけ確固たる決意を固めても、今の鷹子に自由を押し通す力はない。現に今、初戦のダメージも残った状態で、どんどん声は通らなくなっている。このままじゃジリ貧。どうしようもないどん詰まり。だが、納得したら負けだ。

「ぐうぅ……力、爪……」

 ビリビリと振動する空間の中、ゴリラの言葉を反芻する。自分の身体を見回す。一つだけ、あるかもしれない。私の武器。しなやかに、柔らかく動く十本の指を見つめる。だが、これをゴリラにぶつけるためには、もう一つ、乗り越えねばならない自分がいる。

 突如、空が光る。


ピシャアアアァァァァァァアァン


 雷鳴が鳴り響く。一瞬身体が硬直する。思わず身体が倒れそうになる。だが、足をふんばりぐっと堪える。さっきまでの私とは違う。

 再び空が光る。今の私なら、今の私を越えられる。予期される轟音に、歯を食いしばり備える。


ピシャアアアァァァァァァアァン


 マサ子が指揮棒で机を叩いた。

「なんど言ったらわかるんですか‼‼ こんな簡単なところで‼」

 机と自分の間に神経が通っているみたいに、体が反射的に飛び上がる。静寂の防音室。ピアノと向かい合う。何も考えられなくなる。自分の鼓動、唾を飲み込む音すら咎められそうな気分になる。

「今日はここが完璧になるまで終わりませんよ!」

 臆病な気持ちを抑えつける。今ならわかる。自分がいるのはジャングル。争うべき相手が、目の前で咆哮を上げている。詰められる間合い。震えている場合じゃない。立ち上がりマサ子を睨みつける。戦わなければ、自分は守れない。

迫る危機、天秤にかけられた生死。抗うために固めた意思。

「ごり———」

「サイササイ、サラサライ‼ サイササイ、サラサライ‼」

「———らら、なっ……⁉」

 鷹子、機先を制される。完全に想定外。完全に不意打ちの形。早くも膝が揺れる。

「これは貴方のため。楽な方へ逃げては駄目。くじけた時点で負けが確定。王道などどこにもなく。継続こそがもたらす上達。決して怠らず、命をくべて燃やせ情熱」

このまま受けに回ってはやられる。鷹子は遅すぎる反撃にでる。

「貴方の指導、極度の異常。伸び悩みとは、違う苦しみ。私の心は酷く病み。小刻みに揺れる指を見る度言いたい貴方はクビ。大好きだったのに、私のピアノ返して欲しい」

 マサ子はピクリとも表情を変えぬまま、鷹子の隣に歩き、鍵盤に触れる。流れるように指を走らせる。重く、心を揺らす音色が響き渡る。

「貴方が苦しんでるの知ってます。何故? 教えましょう。あえて辛く当たる訳。貴方の才能極めて稀。あと十年あれば私さえ凌ぎかねない黄金の種。でもいつかぶつかる壁。楽しさじゃ辿り着けぬ果て。ならば逆境。耐え難い苦痛その全て、貴方を研ぎ澄ます糧。人でなし、罵倒したければ構いません。日ごと冴え増す音色のため。呪われたって構わない気構え」

 ある意味、ゴリラ以上と言えるかもしれない。ライムの力だけじゃない。マサ子が奏でる世界有数のピアノが、彼女の言葉に力を与える。そして誘惑する。これだけのピアノを弾く人間が、自分のことを認めてくれている。そのまま受け入れてしまいたくなる。

「言うわ、ハッキリ。貴方との時間が嫌い。密室の中で息もできない。貴方は怒鳴り、耳刺激。頭痛、目まいに呼吸困難。こんな部屋、一秒だっていたくない」  

ライムが揺らぐ。あるいはマサ子の指導を乗り越えた先には、今の鷹子には想像もできない、大いなる栄光があるのかもしれない。

「白状しましょう。かつての私もそう。教師に怯え、夢見る脱走。出たくば音を磨くこと。それが私も通った道。そう私達は似た者同士。牢獄の中、握った食器。光を望み、分厚い石壁叩く毎日。より鋭く、より重く、育つ私の武器、魂。やがて光を浴びた時、至っていたのがこの極致。このピアノ。私の行く手を阻むもの。一切貫く無敵の角。それが私の奏でる音。

それは貴方も同じこと。秘めたる才は本物。私のこの指導の下、手に入れられる。自由に生きるための矛。」

 きっと彼女の指導を耐えきれば、ゴリラにすら打ち勝てる力を得られる。これからの人生、誰にも脅かされず生きていけるだろう。望んだ姿を実現する道を、自分は既に歩いていたのだ。

 思わず苦笑い。今まで、なんて無駄な悩みを重ねてきたんだろう。全身の力が抜ける。脱力のまま、マサ子の言葉に頷きかける。その時、


ポーン

 

 力なく垂れた指が、偶然鍵盤の上に落ちた。なんでもない『ド』。鍵盤を押せば、赤ちゃんだって出せる『ド』だ。『レ』『ミ』『ファ』自然と指が、順番に鍵盤を押していく。

「あっははは」

 鷹子は笑った。そう、幼い頃、初めてピアノに触れた時。たったこれだけのことが、楽しくて仕方がなかったのだ。それから毎日遊ぶうち、嬉しいこと悲しいこと、音色にする術を学んだ。その音に救われた。指が勝手に動く。あの頃のピアノを再現する。


ポン♪ ポロロン♪ パン♪ ポーン♪


そう、これだ。と思う。マサ子のピアノは確かに強い。魅力的な力を秘めている。だが、

「貴方の意志。歩んできた轍。素直に尊敬。憧れすらする。けど、その角は私の身体には重すぎた。それと———」

 自分が望む自由の正体。その形を、今の鷹子はハッキリと思い描ける。

「私の音色、決めるのは貴方じゃねーでしょ⁉」

 鷹子が奏でる音楽に合わせ、日が傾き部屋に光が指す。共鳴したドアと窓が振動し、鍵が外れる。開け放たれた部屋に、爽やかな風が吹き込み、メトロノームだって出鱈目に躍る。立てかけられていた楽器が、次々と床に落ち、騒々しい衝撃音が部屋に響く。

「なにそのピアノ? なんでそんなに軽やかなの? こんな音、私にさえ出すの不可能」

 茫然自失。立ち尽くすマサ子を尻目に、鷹子は窓枠に足をかける。

「私は鷹。この音は翼。やっとわかった。私を形作るセオリー。私が私である証」

 鷹子は窓から身を投げ出した。落下しながらも、一歩、二歩、鷹子は歩みを進める。

 棚から落下したシンバルが、防音室の床に接触した。



ピシャアアアァァァァァァアァン



「お嬢様~~~? 起きてます~~~~? 瞼に目ん玉描いちゃいますよ~~~~?」

 鷹子が目を覚ますと、傘を差したじいやが目の前にいた。雨は先程より強く、風が吹き荒れる。まさに嵐の様相だ。

「やっと気づかれましたか~~~。早く帰りましょう。風邪ひいちゃいますよぅ!」

「ごめんなさい、じいや。まだ帰れない」

ほっと息をつくじいやにそう告げて、鷹子は檻に視線を向ける。豪雨に煙る景色にぼやけて、その姿は確認できない。

「ごりららいら――」

 鷹子は呼びかける。ゴリラからの返事はない。二度勝った相手。最早戦う価値などない。そう思われているのだと、鷹子は察した。察した上で、笑った。

「言葉を返すわ。勝った気でいるなら勘違い。のんびり寝ている場合かい?」

 スマートフォンを取り出し、アプリを起動する。プロジェクターのような光が指し、鍵盤が投影される。

「じいや、これ持っていて」

「あ、はい。……え? なんで?」

「良いから! 出力最大で私に向けて‼」

 言い捨てて、鷹子は走り出す。ゴリラの檻へ。

 じいやは構える。言われるがまま、鷹子に向けてスマートフォン。

 

ポン♪ ポロロ♪ ポポン♪ パン♪ ポーン♪ ポン♪


プロジェクターの光が、雨粒に乱反射。永遠に広がる無限の鍵盤。鷹子が一歩踏み出す度、手を振り雨を払いのける度。対応した音階が動物園に鳴り響く。身体全部で、世界というピアノを弾く。奏でる、貴々上院鷹子というメロディー。

「ごりららいらぁっ‼ ごりららいぃっ‼‼‼‼‼‼‼」


強烈な雨音の中、微かに聞こえたその声にゴリラは戦慄した。あれが、あの小娘だと言うのか。いったい何が起こった。全くわからない。

わかるのはただ一つ。自分の存在を脅かす敵が、目の前に迫っている。全力を出さなければ敗北するということだ。緊迫を感じつつも、目を瞑り、ゆっくりと呼吸を整える。静かに、両腕を前に突き出す。拳が、強化ガラスに接触する。同時に穏やかに呟く。

「ゴリラライラ。ゴリラライ」


パリイイイイイィィィンン

 

 言い終えた瞬間。分厚い強化ガラスが粉々に破壊された。久しぶりに感じる生の風、生の匂いの中でゴリラは雌雄を決すべき相手の姿を捉える。

「ゴリラライラ‼‼ ゴリララライ‼‼‼‼」

 ゴリラの歌声が空気を裂き、豪雨の滝を両断する。投影された鍵盤諸共、雨粒は霧散。鷹子の演奏が中断される。ここで仕留める。

「ゴリラライラ‼‼ ゴリララライ‼‼‼‼」

再び割れる景色。だがそこに鷹子の姿はない。ゴリラ驚愕。目を見開く。

「ごりららいら‼‼」

その一瞬の虚を突く、鷹子の歌声。ゴリラ気づく。それは、空から。

ゴリラの歌声が届く直前、鷹子は、柵を蹴って空へ飛んだ。

「ゴリラライラ‼‼」

 ゴリラ、天を仰いで迎え撃つ。だが否めない、出し抜かれ、出遅れた。鷹子のピアノを止められない。

「ごりららいらあああぁっ‼‼‼‼」

 突撃する鷹子の絶叫。

「ゴリラライラッッ‼‼‼‼」

 迎え撃つゴリラの雄叫び。

「「ゴりラらイらっ‼‼ ごリらラいっっっっッッっっ‼‼‼‼‼‼‼‼」」

 嵐の動物園。二匹の獣の咆哮が木霊した。



******



「なぁ、いい加減にしてくれ。何度も言ってるけど、ここで勝手にパフォーマンスしちゃだめなんだ。英語わかる?」

警官は困り果てていた。この少女。何を言っても演奏をやめてくれない。確かに素晴らしい音色だが、それが余計にマズイ。こうしてる間にも、通行人が次々足を止めていく。こうやって無暗に人だかりを作らないよう定められた決まりだ。

「おい、何事だ?」

「あ、先輩! 助けてください! この日本人、全く言うことを聞かないんです。英語がわからないのかもですが、私も日本語なんてサッパリで」

 応援に来た上司に泣きつく警官。ちょうどその時、ポン♪ポポン♪とリズミカルに音を出した少女が演奏を終えて、一言呟く。

 ね? と首をかしげる警官を上司が小突いた。

「ばかもん。自由の国の警察官が、この言葉を解さずしてどうする」

 納得いかない。まぁ少女はどこかに行くみたいだし、人だかりもなくなってきた。まぁ良いだろう。と思った時、立ち去ろうとする少女を誰かが呼び止めた。

「お嬢様~~~~~~。見つかりましたよぉ、パスポート‼‼」

「なぁに? まだ探していたの?」

「当たり前ですぅ‼‼ すご~~~~~~く大切なものなんですよ⁉」

「大袈裟なんだから。それが私じゃあるまいに」

 少女は朗らかに笑って座り込む。なにが興に乗ったのか、また演奏を始めてしまった。

 綺麗で力強く、伸び伸びとした声が心地よく響く。

「ごりららいら、ごりららい!」

「ごりららいら、ごりららい!」

「ごりららいら、ごりららい!」

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ゴリランド・パラドックス あさって @Asatte_Chan

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