サリユクカコカラニジムヤミ(3)
※
ここは消灯された広間の中……。
現状を例えるなら、夜中の座敷にて、開け放たれた縁側から庭先を覗き見るような光景でしょうか。
違うのは、座敷は夜闇に沈んでいるのに、庭先は明々と照らし出されていること。そして、明るいそこは開かれた庭先ではなく、閉ざされた壁面であることでしょう。
開け放たれているわけではないのに、けれど、そこには四角く区切られた奥行きある光景が広がっている。
いえ、実際には広がっているわけではないのでしたね。それは映し出されているのだそうです。水面に景色が浮かび、鏡に姿が映るようなもの。
とはいえ、そこに映り出ているのは対面の情景ではなく、此処ではない何処かの神楽殿の如き豪奢な舞台で、今ではないいつかに催された演舞の情景です。
……〝もにたぁ〟とか〝びでお〟とか、何だかそんな風な物みたいですが、私にとって当代の文明は理解の外です。
そもそも、水面や鏡に己が映り出る〝コトワリ〟ですら理解していない身には、おしなべて怪奇な妖術であり、大自然の神秘。
ですが、それで〝良し!〟です。
差し当たって便利なら結構、問題無し。世界には知るべきではない〝コトワリ〟がある。未知を無理に暴くのは宜しくない。わからないことは、わかるべき時に学べば良いのです。
お優しい
ええ、それはもう、全ての罪悪を赦して包み込むような、慈愛に満ち満ちた笑顔でしたとも。
あたたかい人です。お優しい方なのです。
決して私の反応にあきれておられたわけではないでしょう。
……………………ないです。
………………ないはずです。
…………ないですよね?
……ちょっとだけ、不安になって来ました。念のため、後で勉強しようと思います。何であれ、未知への探究心は大切ですからね。
さっきと言ってることが違いますか?
当然です。
世は諸行無常なのです。
そもそも全ては愛しき主様のため、森羅万象、
……いけません。ちょっと脱線してましたね。
私はコホンと軽く咳払い。改めて、前方の映像に眼を向けましょう。
映し出された舞台上では、煌びやかな衣装と面で着飾った演者たちが、時に幽玄に、時に勇壮に、舞い、踊っています。
これは、歌舞伎……という物語仕立ての演舞であるそうです。
神楽や
それにしては舞踊や楽曲だけでなく、演者が声高に口上を述べているのが異質。舞台では沈黙が
演目の名は……〝
イヤな名前ですね。本当にイヤな名前です。つい最近そう思うようになりました。
……まあ、それはともかく。
この演目は、察するに、有名な
一条戻橋の鬼切譚の概要は次の通り────。
名高き
しかし、後日、渡辺綱の元に、彼の伯母が訪ねて来ます。
伯母は言いました。
〝鬼の腕を見せておくれ〟
渡辺綱は、育ての母であり親愛なる家族である伯母の頼みならと、鬼の腕を見せてしまいます。
しかし、伯母は茨木童子が化けた偽物であり、たちまち腕を取り上げて己に繋げ、渡辺綱に襲い掛かるのです。
鬼は腕を取り戻しはしたものの、渡辺綱の武勇の前には敵わず、再び打ちのめされ、怨み言を吐き捨てながら逃げ去ったところで、終幕。
演目中では、この伯母に化けた鬼役の演者が、失った腕がバレぬよう巧みに隠しつつ、情念たっぷりに振る舞う姿が実に生々しくて臨場感たっぷり。そして、その後の豹変からの渡辺綱との斬り結びが、激しくも華麗で、実に見事でした。
この映像を映し出す奇怪な設備もそうですが、当代の文化と文明は、何とも驚きと鮮烈に満ちたものだったようです。
私は、確かな興奮の熱を抱いて感歎したのですが……。
「……クフ……クフフフ、フハハハハハハ……」
いかにも堪えかねたという様子の笑声が、暗闇に響きました。
映し出された歌舞伎の映像、その真ん前に座した大柄な影。まさにかぶりつきの特等席にて演目を観覧していたソイツ。
「……愉快……痛快……これほどに滑稽な武勇伝があるものか……」
心の底から馬鹿馬鹿しくて堪らないのだと、含み笑うソイツ。
「滑稽……ですか?」
首を傾げて問い掛ければ、そいつは相変わらず耳障りな笑声を上げながら、こちらを振り向きました。
「フハッ! 滑稽も滑稽、実に愉快痛快よ……フクククッ、フハハハハハハハハハハハッ!」
座椅子の背に仰け反り、こちらを逆さまに仰ぎ見るような体勢で、ニタニタニヤニヤ大爆笑。
コイツ、いちいち人を小馬鹿にした態度しか取れないのでしょうか?
主様の赦しさえあれば、今すぐドタマをブチ抜いてやるものを……。
…………。
…………いけません。つい言葉が汚くなりました。
コホン…………えーと、態度悪いですよ貴方、お行儀良くしないと、その頭を射抜いて仕舞いますよ?
……うん、この位が良いですね。武家の女たるもの、心の叫びも優雅たれです♪
「……何ひとりでニヤついてる? 唐突に狂ったのか?」
逆さまの顔が、ゲンナリ歪んでこちらを睨んでやがります。
…………うふふ……平常心、平常心。
再度の咳払いは、ゴホンッ! と力強く、私は気合いの笑顔で見返してやりました。
「それで? 何が滑稽なのですか?」
「あー、ハハ……何だっけ? アレだよ……あー、そうそう……」
ウォッホン! ……と、これ見よがしな咳払いを挟んだ逆さまのニヤケ顔。
「……〝この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・出来事などとは一切関係ありません。〟……ってやつだ」
わざわざ重々しい声色に変えて朗々と吟じたそれは、要するに、この演目で語られる内容が、実際の鬼切譚とは異なるということでしょうか?
なるほど、確かに。
これが事実だというなら、色々と
それはそれとして、さっきのわざとらしい咳払いは、私への当てつけですか? 挑発してるんですか? 絶対そうですよね?
……ド腐れ外道が、残った右腕も叩っ斬ってやろうか?
おっと、いけません、思考の中とはいえ、また汚い言葉を……ああ、本当に私は…………こんなことでは、主様に怒られてしまいます。
荒ぶる心を深呼吸で落ち着かせ、笑顔も控えめに慎ましく、前方のニヤケ顔に呼び掛けます。
「……ずいぶん、
「ああ? ああ、そりゃあな、これだけ延々と耳に眼にって流し込まれりゃあ、嫌でも慣れるってもんだ」
目まぐるしいほど明滅する映像を指差しつつ、ヤツは仰け反ったまま、いかにも億劫そうに口の端を歪めます。
まあ、それはそうでしょうね。四六時中ひたすらにこうして映像に向かっているのですから、言語能力くらい発達してくれないと困ります。
なのに、礼儀作法は全然身に付かないのはなぜなのでしょう? むしろウツケっぷりが加速度的に進んでいる気がします。
目覚めた当初は〝笑い声がイラつく
………………。
……ああ、もう! またです! どうして私はすぐに汚い言葉を!
それもこれもコイツがイケナイのです!
いちいち人を馬鹿にして!
そうです、こんな芸能映像ではなく、もっと礼儀作法の教訓とかの映像はないのでしょうか? ええ、コイツにはまず教養や道徳を刷り込むべきなんです! 絶対です!
ああ、主様お願いです。もっと高尚な映像をお恵みください!
例えば……そう、御仏の教えを延々唱え続けたり、ひたすら
「何を百面相してんだオメエ、落ち着きねえな。ああ、小便か? 淑女気取ってねえで、さっさと垂れて来いよ。寛大なオレは気にしねえからよ」
フハハハッ! と、哄笑するニヤケ顔。
距離は六間……約十メートル。邪魔無し、風無し、捕捉完了。
はい、それじゃあブチ抜きますね♪
心に決めたら一途に速攻。
私は素早く弓を構えて静から動へ。
瞬に定めた狙いは
「うぉ……!」
燃え上がる蒼炎と、濁った呻き。
眉間から矢を生やしたクソ野郎がジタバタ藻掻いていますが……ああ、そうでした。私たちの攻撃は効くんでしたね。
忘れてました。ウッカリです。
でも、せっかくなのでもう五、六本ほど射掛けちゃいましょう。それくらい耐えられますよね?
……ま、耐えきれなくても知ったことではありませんけど♪
腰の
……嘘です。見栄張りました。百発百中とか無理です。射たのは精々が十五本ぐらいです。
でも、全部顔面に当たってるんで〝良し!〟ですよね♪
私はいくらか気が晴れたので、きびすを返します。
主様からは、ヤツの見張りを仰せつかってはいるものの、正直、これ以上ここに居たら本当にブッ殺しちゃいそうでマズいです。……いえ、もしかしたら、もう
……ともかく、これ以上はいけません。
なので道義的撤退。
主様には全身全霊で誠心誠意に謝りましょう。
お優しい主様ならわかってくれます。
いえ、仮に赦されずにお仕置きされても、それはそれで〝良し!〟です。別に主様になら、私は処刑されたって構わないのです。
ああ、美しくも貴き主様……♪ こうして貴方のお姿を思い浮かべるだけで、私は昇天の心地で御座います────。
「…………だからよお、何をニヤニヤしてんだよ。人の顔面射抜いてハイになるとか、マジで変態だろ? キショ」
幸福絶頂な私の心に割り込んできた、クソな雑音。
あらあらぁ♪ 本っ当にムカつくヤツですねえ、この顔面
笑顔も眩しく振り向いて、補充された矢弾を電撃速射。ヤツを全身山嵐にしてやったところで、改めて退室です。
ああ、愛しき主様……この役目は別のイクサに〝ちぇんじ〟でお願いします。あのゲス太郎とかなら、無礼者同士で気が合うでしょう。
本当にお願いします……と、私は心から願い奉ったのでした。
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