サンゼンセカイヲイヌクナハ(7)


               ※


 自分が階段を駆け上がる間も継続して響いていた銃声。

 屋上に出る扉の前にたどり着いた時には、それはすでに止んでいた。


 狙撃戦の終わり。つまりは────。


 自分はあえてゆるりと扉を押し開けた。

 斜めに傾いた屋上部、その外縁に立つ後ろ姿。

 夕日の中でなお朱く鮮やかな赤備えの武者は、手にした得物を呆然と見つめていた。

 身の丈を超える長銃身を備えた狙撃銃。その用途ゆえか、銃身を包む銀の色彩は、陽光を反射することなく淡い鈍色に染まっている。

 その槍のごとき長銃身の先端が、無惨に砕け散っていた。


「こちらを狙い撃つ伏兵がいるだろうとは予測していた……」


 静かに、赤備えの射手は語り出す。


「ゆえに黒き姫のしもべに探ってもらい、案の上に見つけた折には……武蔵、貴様の策も破ったと思うたのだがな。及ばずは正に我が業前の拙さよ」


 砕けた銃口を指先で撫でながら、真田は苦笑う。


「それにしても……よもや、銃ではなく弓とは……この距離を射抜いてくる弓矢があろうとは思わなんだ……」

「……〝穿空センクウ〟というそうだ」

「ふむ、この〝こだま〟といい、冥府の武装は空恐ろしいな……。だが、そうか、弓でもこれほどの遠間を射抜けるのか……」

「何だ? 今度は弓にくら替えか? さすがに節操がなさ過ぎであろう」

「ふん、そうすることで目的が果たせるならば、何であれ試すさ。要と決めた〝ひとつ〟を守り抜く為に、あらゆる全てを拒まず、厭わない。それが我が父より教えられた真田の兵法だ……が、この場合は、得物の性能ではなく、射手の問題であろうな」


 真田は橋の向こう、サダメが陣取っているはずのビルを見やった。


「以前にうた折も、確かに非凡なる弓取りと驚いたが、これほどの腕とは……」


「サダメという。それがあの射手の名だ」


「サダメ……か。もしも、あの時にこれほどの弓取りが我が配下に居ったならな……」


 深い呼気とともに呟いた真田信繁。

 それは感歎の吐息か、あるいは感嘆の溜め息か、いずれにせよ、あの時というのがいつのことであるのかは、想像に易かった。


「……さて、武蔵よ。約束であったな……」


 真田は長銃を肩に担ぎ上げると、ゆるりとこちらに向き直った。

 砕けた銃口の下部、折り畳まれ収納されていた銃剣の刃が甲高い音色を奏でて展開する。

 

「眼前に対峙した以上、こちらも応じよう」


 鈍色に沈んだ銃身に相反し、白銀に煌めく大振りの銃剣。

 刃を備えた長銃身。銃剣ならぬ銃槍と化したそれを、まさに長柄の槍のごとく身構えた真田。

 自分もまた腰の大小を抜刀する。


 二天一流において────。


 槍に対する鉄則は、相手が構える前に懐に入ること。その上で決して離れず至近で立ち回り、長柄の利を封殺して仕留める。なれば、今の自分は二天流の基本を忘れた愚か者。


 だが、相手はあの〝日ノ本一のつわもの〟なのだ。


 天下に聞こえし真田の剛槍と、自分の二天の剣。ぶつかり合い斬り結んだ先には何が見ゆるのか────。

 それを求めて、自分は真田に相対するを望んだ。

 そして、サダメのおかげでそれが叶った。

 ……ならば、後はただ、存分に斬り結ぶのみ!


「「いざ、尋常に!」」


 互いの叫びは低く鋭く、踏み込みも同時に得物を振りかざす。

 真田の初手は長柄の利を存分に生かした薙ぎ払い。

 自分は身を伏せつつ、銃身を大刀で受け流す……が、重い! すぐに小刀も添え、二刀で斜めに押し上げる形で払い退けた。


 当然、真田の動きは止まらない。薙ぎ払いの勢いのままに身をひるがえし、脇下から銃槍を突き出して来る。

 薙ぎ払いで相手の、さらには周囲の動きを制してからの刺突撃。

 多勢を相手取るのが常である戦場の槍術。

 自分は大刀で槍の柄……この場合は銃身を薙ぎ払う。

 金属製の銃身を断ち切ることは叶うまい。だから、斬り払うのではなく打ち払った。


 石突きを握って放つことで長柄を活かす刺突は、遠間に届く代わりに、握りが不安定で弱くなる。まして、真田が振るうのは槍ではなく金属製の長銃だ。膂力で支えるのにも限界があろう。


 だが────!


 長銃槍が大刀の一撃を真っ向から受け止める。

 否、それどころか、ものともせずに突き込んできた。


「ぬん!」


 気合いとともに突き抜かれた長銃槍。技も何もあったものではない力任せの刺突撃。だが、その純然たる威力だけで、自分は受け流し切れずに押し倒されてしまった。


 地面を転がって間合いを取り、起き上がる。が、そこを狙ってさらに銃槍を突き込んできた真田。


 ひと刺し、ふた刺し、三刺し、次々と繰り出されてくる追撃を、自分は渾身の力で受け、払いながら後退る。


 刺突の速度はハッキリ言って遅い。あの八津島星護の刺突撃には比べるべくもない。

 が、その重さがとんでもなかった。

 刺突を受けようと触れた刀身が、まるで雪崩の中に突き入れたかのごとく瞬時に押し流されそうになる。

 正に剛力。

 重い金属製の長物を、凄まじい腕力で振るう。ただ、それだけがもたらす破壊力。純粋にして単純なる剛の物理。

 技を磨き、術理を駆使する剣士とは対局と呼べる存在。


 戦士────。


 ひたすらに実戦を生き抜くことで鍛え上げられた野生の兵法者。

 ただ一心に、真っ直ぐに、相手を目掛けて得物を振るう。ただそれだけのことが、こんなにも圧倒的に……!


「どうした武蔵。攻め手も皆無に退くのが貴様の武か? これでは、獣の方がまだしも勇猛だな!」


 真田のわざとらしい嘲笑は今朝方の意趣返しか?

 ならば、それはとても有効に自分の焦燥をあおっているぞ!


 ひときわ大きく振りかぶられた銃槍。

 その剛速の刺突に対し、自分は左の小刀を素早く鞘に叩き込んだ。

 両手で握り直した大刀を正眼に構え、突き込んできた銃槍の刃にしのぎを重ね、刀身を絡めて斜め下に巻き落とした。

 刺突の勢いを受け流され逸らされて、大きく前のめりにたたらを踏んだ赤備えの首筋に、返した刃を斬り上げながら引き金を絞る。


 銃声とともに加速した斬撃。


 応じたのは、硬い金属音と弾ける火花。


 真田の左の腕甲が大刀を受け止めていた。

 斜めに傾げ構えて刃筋をズラしている……と、言葉で言うのは易いが、どういう反射神経と膂力だ!?


「バケモノめ」

「……いいや、それがしもキモが縮んでおるぞ」


 真田はそのまま左腕を振り抜いて払い除けようとする。

 自分はそれに抗うことはせず、素早く刀身を時計回りに反転させて、ガラ空きの脇腹へと一文字に斬り込んだ。

 再度の銃声に加速した斬撃は、深紅の胴丸のせいで両断とまではいかなかったが、たっぷり一尺……三十センチ近くは斬り込んだ手応え。


「……ぐぬぅ!」


 右脇腹から蒼い炎を噴き上げながら、だが、真田は崩れることなく足を踏み締め、右手の銃槍を振り放ってきた。


 自分は大刀の引き金を再度絞ろうとして、だが、真田の左手が指ごとつかみ込んできて阻まれる。


「それはさせぬよ」

「空恐ろしいな日ノ本無双」


 不敵な笑みを浮かべ合ったのは一瞬、自分が左手を突き出したのと同時に、長銃身が我が身を打ち据える。

 今度は自分が胴を薙ぎ払われて吹き飛ばされた。


 斜めにかしいだ石造りの床を、強かに叩きつけられながら転げること数メートル。身を起こした自分は、激しい嘔吐感にさいなまれながら咳き込んだ。とはいえ、吐き出す物はないのだが……。

 銃槍に打ち据えられた左脇で蒼い火花が弾けている。少なくとも肋は砕けているか?

 それでも、己の右手にしっかりと大刀が握られているのを確認して安堵する。どうにかギリギリで真田の拘束を振り解けたようだ。


「……ッ……ぅ……」


 銃槍を構えながらも、追撃せずに立ち尽くしている真田。自分とは逆の右脇腹から蒼炎を噴いている。そして、その左手が押さえた喉元からもまた同様。

 死人となっても、なぜか呼吸を止めると苦しい。

 ましてや喉に貫手ぬきてを深々と突き込まれては、さすがの日ノ本無双もたまらず手を離してくれたようだ。

 

 ……さて、仕切り直しだ。が……どうしたものかな。


 自分は改めて左手で小刀を抜刀しつつ、吐息を細く絞る。

 さっきは咄嗟に一刀に持ち替えてしまった。結果、攻防を凌げはしたものの、これでは意味がない。


 自分は二刀で挑み、二刀をもって勝たねばならないのだ。


 だが、両手持ちでもあしらいきれぬあの剛槍を、片手持ちで凌ぐにはどうすれば良い?


 考えながら、双手に握った双剣の切っ先を中段に突き出して構える。

 二天・円相。

 内気を巡らせ、相手の攻め手を読み応じる二天流の基本型。とはいえ、長柄を相手に先手を赦していてはどうにもならぬ。かといって、先に踏み込んでも間合いは向こうが圧倒的に上だ。

 何より、あの触れただけで弾き飛ばされるほどの剛槍撃。

 待ちのせんであれ、せんであれ、あの剛槍をどうにかせねば、良くても相打ちにしかなるまい。


 そうして自分が思考している間にも、当然ながら真田は油断もスキもなくこちらを睨みつけていたのだが────。


「……武蔵。貴様、何を笑っている?」


 いぶかしそうに、そう問い質してきた。

 未だ喉の損傷が修復しきっていないのだろう、やや濁った声音。


 笑っている?

 そう言われてみれば、ふむ、確かに自分は笑っている。意識していなかったが、正に満面の笑みを浮かべているな。

 だが、そんなにいぶかしむことか?


「決まっているだろう。楽しいから笑っておるのだ」

「……? 何が楽しいのだ?」

「今、こうしていることが……だ」

「殺し合いが楽しいというのか?」


 軽蔑のこもった問い。


「殺し合い……?」

「ああ、これは殺し合いであろう。互いに互いの命を奪い合う。殺し合いだ。それ以外の何だと言うのだ?」


 真っ直ぐに、真剣に、真田信繁は問うて来る。

 オマエが笑う意味がわからない……と、問い質して来る。


「真田殿、オヌシは、戦を楽しいと思うか?」

「ハッ! バカな! 戦が楽しいわけがないだろう!」


 問い返せば、真田はさもイラ立たしげに吐き捨てた。


「戦は数多を蝕み、全てを踏みにじる地獄絵図。それを楽しむなどは悪鬼羅刹の在り様よ。戦など要らぬ、戦などあってはならぬ、されど、戦わねば戦は終わらぬ、だからそれがしは槍を取った。そして……」


 言い淀んだのは、刻んだ因果にせた無念ゆえか……。

 戦を厭い、戦を望まず、それでも戦い続け、忌避すべき戦国乱世に翻弄された果てに敗れ去った無念。

 それが真田信繁……〝ホムラ〟が刻んだ因果なれば────。


「……真田殿、自分も戦は好かぬ」


 ああ、そうだ。あんなものに関わるのは、もう二度と御免だ。

 真田の断じた通り、あれは最悪の地獄絵図だ。

 正義よ大義よと宣っても、やっておるのは残虐無惨な殺戮だ。だから、あんなものを楽しいなどと思うのは、確かに悪鬼羅刹の罪業である。


 だが────。


「自分は。だが、だ」

「……何?」

「なぜ笑っているのか? そういう問いであったな……」


 自分は右の大刀を上段斜めに振りかざし、左の小刀を正眼に、右半身に身構えて、前方の赤備えを見すえて


「自分が笑っているのはな、オヌシが強いからだ。オヌシが強いから、今まで死合うた誰とも異なる強さを振るうから……それに挑むことが楽しくてたまらない!」


 歓喜とともに宣言する。

 対する真田は、心の底からあきれ果てたとばかりに、手にした長銃槍を身構えた。


「理解に苦しむ」

「ああ、それは自分もそう思う」


 それでも、どうやらそれが武人という生き物だ。

 それに付き合わせることは、まあ、確かに申し訳なくも思うがな。


「理解してくれなくとも良い。代わりに、手加減は無用でお願いする」

「……元よりそのつもりだ。死人であるからといって、再び死にたいわけもなし。刃を向けられれば、抗うのが道理だからな」


 溜め息も深く、赤備えの姿がひるがえる。

 轟音を奏でて振りかざされた銀銃槍。

 それは正に戦場で軍勢を相手取るための一撃。凄まじい圧を纏った銃槍が、自分を横一文字に薙ぎ払った。



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