シノミチニシグルイテ(4)



 サダメの案内で訪れたのは同じアーケードにある店舗。

 同じく荒れ果てていたが、何の店であるかは一目瞭然だった。


「酒蔵か」


 店内に並ぶ酒ビンや酒ダル。

 多くは割れ落ちているが、無事なものも多い。

 それら健在な酒類に囲まれてくつろいでいるひとりの女の姿。

 店奥の座敷にて優雅に座しているそいつは、スズと良く似た服装と雰囲気をまとっている。ならば、影姫なのだろう。


 だが、物静かな幼女であるスズとは、あらゆる意味で対照的だった。


 蒼白い鬼火の色彩にきらめく長い乱れ髪。それを大雑把に右側頭で括り結い束ね、しなだれるように壁に身を預けて座した姿は遊女のごとく。着崩した胸元や開けた裾から覗く白い肢体が、実に妖艶で色っぽい。


 鋭い双眸を心地良さげに細め、頬を桜色に上気させた姿はまるで酒に酔っているかのように……否、ようにではなく、実際に酔っ払っているのだろう。女の手には杯があり、今まさに手酌で酒を注いでいた。


「……んー……あぁ♪ スズちゃん、サダくん、やっほー♪」


 能天気に手を振ってくる酔っ払いの影姫様に、スズは深い溜め息を、サダメは楽しげな笑声を返す。


「こりゃまた御機嫌だなナナオちゃんよ。オレにも一杯くれよ」

「良かよー、どうぞ駆けつけ三杯♪」


 嬉しそうに杯を差し出してくる影姫……ナナオというのか?

 ふと、スズの口許が動いたのは、何事かを呟いたのだろう。

 横に立つ自分ですら聞き取れなかった微かな声量だが、ナナオは確かに聴き取った様子でつまらなそうに頬をふくらませた。


「もう……わかったよ。相変わらずマジメさんなんだから……えーと、その刀をよーけ持っとるお兄さんかな?」


 とろけた目つきで自分を見つめてくる。

 その表情や仕種がいちいち艶っぽい。豊満な胸と腰つきにしなやかな肢体。酒気で上気した微笑も相俟って、確かに震える色香ではあるのだが、金色の双眸を気だるげに細める様は、まるで縁側でまどろむ猫のようで妙に愛嬌がある。

 思わず微笑をこぼした自分に、ナナオは同じく微笑を浮かべて首をかしげた。


「んー……言われてみれば……ウチが黄泉返らせたイクサさんのような……そげんでもないような…………どうだっけ? よー憶えとらんわ」


 ナナオはコロコロと笑いながら杯の中身をあおる。


「……〝己が黄泉返らせたイクサぐらい把握なさい〟……と、スズちゃんは憤慨しておられる」


 スズの言葉を仲介したのであろうサダメ。

 そのすねを、スズが勢いよく蹴りつけた。〝ちゃん〟付けが気に食わなかったのだろう。

 厳つい金属カーゴを背負うスズのこと。矮躯ながら力はあるのか、サダメは大きくよろめいた。

 かの弁慶法師すら泣き出すという臑への強打。

 尋常ならば痛みにもがくところだが、死人の弓兵は無表情無反応のままに身を起こす。


「……で? ナナオちゃんは本気で憶えてねえのか? イクサを連れてきたのは確かなんだろ?」

「……ニャーねー……現世に来る時ぃ……ひとり黄泉返らせたねぇ……けどぉ……うーん……ウチはぁ自主性をぉ重んじる方針だからぁ……」

「要するに、ほったらかして呑んだくれてたんだろうが」

「ニャハハ……♪」


 屈託なく笑う姿は、幼いスズよりも遥かにあどけない。

 色気と可憐さとが酒精にとろけた女。同じ影姫であるスズや、あの黒羽根の少女に比べると、あまりに対極的で無邪気な陽気さ。


 ……察するに、スズたちはこのナナオが自分を黄泉返らせて放置したのではないかと考え、確認しにきたというところか。

 確かに、このナナオという影姫の態度は見るからに怠惰というか幼稚というか、少なくとも謹厳とは思えない。


「……で? テンよ、オマエの方はどうだ? この酔いどれ女に見覚えはあるか?」

「いや、全く憶えがないな」

「そうか。ま、オレとしては敵じゃないんならいいんだけどな。職務熱心なスズ様が、それじゃあ納得してくれねえんだよ」

「職務……そもそも影姫とは何なのだ?」

「影姫ってのは、あの世とこの世の調停者……要は死神だ」

「死者を導き管理する者か。冥府と現世が繋がった……と、言っていたが。影姫は冥府の番人として、それを解決するために現世にきているということなのか?」

「ああ、だが、死神である影姫は、直接現世に干渉することができない。だから、イクサを使い魔として、間接的に現世に関わるのさ」

「現世に干渉できない……それは規則として制限されているのか? それとも現に力を行使できないのか?」

「さあな。試しにそこの酔っ払いを斬りつけてみるか?」


 剣呑な冗談だ。

 見れば当のナナオは〝やれるものならやってみよ〟とばかりに両手を広げて見せる。だが、その桜色に染まった微笑は無邪気に朗らかで、童女が抱擁でもせがんでいるような愛らしい様子。


 自分は苦笑いで首を横に振った。


 何にせよ、スズは重たげな金属カーゴを軽々と背負う剛力を持ち、サダメの影を出入りする異能の術を行使している。あの黒羽根の影姫も尋常な様子ではなかった。

 ならば現世における影姫は、少なくとも無力な乙女というわけではないのだろう。


 ふと、こちらをジーッと凝視していたナナオが立ち上がった。


「あー……ちかっと思い出したかもニャア……」


 ふわふわと軽やかな足取りでこちらに歩み寄る。

 それは千鳥足というほどではないが危なげで、案の定すぐに歩みをもつれさせて前のめりに傾いた。

 自分は大きく踏み込み、倒れ込んできたナナオを抱き留める。

 ハッキリと抱擁する形になってしまったが、腕の中のナナオは無礼を咎めるどころか、むしろじゃれつく猫のように胸元にすり寄ってきた。


「この感じ……うん、思い出した。このテンさんは、ウチが黄泉返らせたイクサさんで間違いないとよ♪ ねえ?」

「そう可愛らしく同意を求められても、自分には答えようがないことだ」

「可愛らしい? ウチのこと可愛らしい言うの? がばい照れますニャア……ふふぅ♪」


 嬉しそうに喉を鳴らす。

 色っぽい声音だが、それ以上に猫っぽい。ニャアニャアという語尾といい、蒼白い髪の上で三角の猫耳が見えるようだ。


 否……これは、本当に見えているな。


 目の前でピコピコと揺れている獣の耳。瞬きしても凝視しても確かに揺れているそれを、指先でゆるりと触れてみる。


「うにゃぁ……」


 ピクリと震えたのは一瞬。

 すぐに心地良さそうに揺れる、蒼白い毛並みをした猫の耳。

 どうやら幻覚でも錯覚でもないようだ。


「化け猫か?」

「あい♪ ウチは化け猫ですよ。どうぞ、よーけ愛でてくださいニャ」


 甘ったるい匂いを振りまきながら媚びてくる。

 そこで鼻の下を伸ばすほど節操なしではないが、自分も木の股から生まれたわけではない。魅力的な女人に寄り添われて悪い気はしない。


「黄泉返る前の記憶が完全に残ってるヤツも珍しいが、完全に忘れてるってのも稀少なこったな。ま、オレも言うほど多くのイクサを見てるわけじゃねえが……」


 胡散臭げに睨んでくるサダメに、スズが耳打ちする。


「……〝ナナオのイクサなら、冥府の使いとして働いてもらう〟……と、スズ様は仰ってる」

「それは、具体的には何をせよというのだ?」

「まさに、まずはそれを探ることが役目だな」


 何の謎かけか?

 目を眇める自分に、腕の中のナナオが身をよじる。


「冥府と現世が繋がってぇ、亡者があふれてさあ大変♪ たぶん、誰かが何かをしたんごたけど、誰が何をしたのやら。とりあえず、もともと不審な行動しとった上に、事が起こってから行方不明になって連絡つかん影姫がおるから怪しかね。なら、そいつを探して尋問やわぁ…………職務熱心なスズメちゃんはそう思い立ち、お供のサダメ君を連れて現世にやってきたのでした。まる」


「……〝他人ごとのように言うな〟……と、スズ様が仰っている」


「ニャハハ、そげん言うても他人ごとだもの。ウチだけと違う。影姫はみーんな、どうでもいいて思とるよ? こげんになっても律儀ん影姫を務めとるのはスズちゃんだけニャ」


 ナナオの指摘に、スズは何事かを呟く。

 サダメがそれを代弁するよりも先に、ナナオは浅い吐息をこぼして首を振った。


「そげん言うても、この在り様やもの。冥府と現世の拮抗きっこう……て、それを取り戻してどげんなると? 現世に生者は見当たらんし、冥府は元から死者の国。もうどこにも生者はおらん。なら、新しく死ぬんもおらん。うったちが頑張ったら誰か助かるごたね? ほっといても誰も困らんよ。なら、せからしくするより、のんびりするのが楽しかね」


 ナナオの口調はあくまで静かに穏やかに、クスクスとこぼした笑声は屈託ないが、だからこそ辛辣しんらつだった。

 そこに悪意はなくとも、深いあきれが刻まれている。


 スズ……正確にはスズメというようだが、彼女は物言いたげにナナオを睨みつつも、結局、無言のままに踵を返して出ていった。

 残されたサダメが、大仰な身振りで肩をすくめる。


「……ま、ナナオちゃんの言うのが正論だけどよ……〝だったらどこかにいるかも知れない生者を探して守るべきだ〟……と、スズちゃんは言いたかったようだぜ」

「ふふ、それも正論やね……。じゃけど、ウチは怠け者ふーけもんやから……」

「……まあ、猫だしな」


 小さく鼻を鳴らしたサダメは、主を追って去っていった。

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